55 御守り

 広げられた絨毯の上に木箱か何かが置かれ、その上に鮮やかな青い布を掛けて展示台にしている。

 銀なのか、錫なのか、銀色の、いかにも手作りの風合いのある、少しいびつな品物の数々。どの品にも現地の言葉なのか、丸みを帯びた文字のような模様が刻み込まれていた。

 水色や、緑の石や、木製のビーズと組み合わせてあったり、鳥の羽で飾られていたり、皮紐を編み込んで模様を出していたりと異国情緒あふれている。


 ヴァルムは何やら現地の言葉で話しかけたようだ。

 女は少し意外そうな顔をして応じている。

 文字と同じように響きも柔らかい言葉だった。


「大丈夫そうだな。まあ、担げるゲンは担いどけ」

「どういうことだ?」

「アンタラ 森 行く。森 キケン。オマモリ 持つ」


 女はベールで顔を覆っていたので目元しか見えなかったが、にやりと笑ったのが判った。


「これは、何かの御守りなのか?」

「タマハミを知っとるか?」


 知っているような気がして、ビヒトは記憶を探りに行ったが、よく思い出せなかった。魔獣か何かの一種だっただろうか。


「聞いたことはある、ような……何だったか」

「お伽噺みたいなもんよ。アレイア辺りはあまり聞かんかもなぁ。辺鄙な田舎の方に多い。ともかく、何か買っとけ」


 言われるがままに、邪魔にならなそうなチャームをひとつ購入してベルトに引掛けておいた。


「貴方に幸運を」


 そこだけ流暢な共通語で、女はうやうやしく頭を下げ、ビヒト達が立ち去るまでその姿勢を崩さなかった。




 水や携帯食料、魔石と陣を少し。ナイフなどに塗りつける毒を数種類。

 さすがに傷や病気を治すような陣は無いので、傷薬と鎮痛剤をいくらか買って腰の小さな鞄に放り込んでおく。


「回復の陣とかありゃあ、高く売れそうなのにな」

「『癒し』を使えるのはほとんど奇跡だ。相手の細胞を活性化させて、治癒能力を部分的に高めているだけ。個人で差があるし、深い傷では間に合わないことも多い。それを大衆が使える陣になんとか書き起こせたところで、使い物になるわけがない。三日で治るところがほとんど三日になるくらいだ」

「魔法と癒しはやっぱり違うのか?」

「違うな。癒しは相手に合わせて魔力を変えなきゃならない。だから、だいたいはその力に特化している。他人の魔力には普通反発を起こすものだからな。逆に言えば自分だけなら癒せる人間はもっといてもいいと思うんだが……多分、意識してないから気が付かないのかもしれないな」


 なるほど! とヴァルムは解ったような顔をして頷いた。


「ある程度以上の冒険者は、傷の治りが早かったり、痛みへの耐性がある気がしてたんだが、あれは慣れじゃねえのかもな。魔力量が多い方が生き残れる確率も上がるのかもしれねぇ」

「ああ、そうかもな」


 うんうんと頷いていたヴァルムは、竜馬に跨るとにやりと笑った。


「そういう常識をひっくり返してくるのがタマハミだぞ。奴等は触れただけで人の命を啜るそうだ」

「……ん? 最初の、御守りを買った時の話か?」

「そうだ。青い月が出ると、タマハミが現れて、人々の命を啜って歩く。悪い子にしてると、タマハミが来るよ! そう言って脅す話を田舎ではよく聞くんだ。これから行く『不帰の森』付近にも同じ話が残っとる」

「青い月?」

「見たことねぇか?」


 月は何度も見ているが、茶がかった乳白色の柔らかい光以外だと、少し赤みがかったものくらいしかビヒトは見たことがなかった。


「ないな」

「だろうな。わしも無い」


 ヴァルムのあっさりした答えに力が抜ける。隣に並ぶと、にやにやした顔が砂の向こうに見えている緑の塊を見つめていた。


「ないのか。あるような言い方をするな」

「昔から残っとるような話は、必ず何かある。必要な時以外は近づかない方がええ。満月の頃に話が多いから、今回は大丈夫だと思うが」

「よくある教訓話にも思えるが……青い月っていうのは不思議だな」


 何か引っかかって、ビヒトは空を見上げた。今は雲の隙間に鮮やかな空色が広がるばかりだ。


「あ……思い出した。従姉の家で見せられた本の中に青い月の話が、確かあった」


 青い月の夜に森の中で見つかった幼子。

 彼女は美しく成長し、やがて月を見ては涙を流すようになる。

 彼女を慰めようと何人かの男たちが結婚を申し込むのだが、彼女はつれない。

 そうこうしているうちに、ある晩、青い月が昇り、森の中から人の姿をした何かが現れる。

 それは周りの人間に触れるとたちまち命を奪っていくバケモノだった。

 彼女を護ろうと幾重にもなった人垣を、それは死体の山を築きつつ進んでいく。

 それが彼女に手を伸ばした、その時。バケモノの背中を斬りつけた若者がいた。

 化物を退治した若者に、義理の両親は彼女を娶らせようと働きかけるのだが、彼女は一向に首を縦に振らない。

 そしてある日、迎えの者だと名乗る美しい男に、彼女はついて出て行ってしまうのだ。


 タイトルは確か『蒼月の姫』。

 化物がタマハミと呼ばれていたのかもしれない。その辺の記憶は曖昧だった。


「本にもなっとるのか。お坊ちゃんは話の入手ルートも違うな」

「うちには魔術関係の本しかなかったから、ちょっと新鮮だったのは覚えてるが。所詮作り話だろってあまり気にしてなかったな」

「可愛くねぇガキだな」

「そうだな」


 兄や姉に追いつきたくて背伸びすることしか知らなかった。

 ビヒトは当時の自分を思って、笑った。



 ◇ ◆ ◇



 森の入口でヴァルムは一度止まった。確かめるようにビヒトを見ると、口元に笑みを浮かべて森に入っていく。

 砂地からしっかりとした土へと変わる大地に、竜馬の歩みは軽やかだ。

 しばらくは馬車が一台通れるほどの道が続いていた。それが段々細くなり、やがて草に覆われ、木々の間を縫うようにして進むことになる。そこまで来ると陽はほとんど届かず、薄暗い森の中には遠くから何かがこちらを窺うような気配が漂い始めた。


「何かいるな」


 竜馬の脚を緩めずビヒトが言うと、ヴァルムが鼻で笑う。


「竜馬に臆するようなのは、構っちゃいられねえ。それより、どっち向いとるか判っとるか?」

「どっち……? 多少の差はあるかもだが、だいたい西に……」


 ヴァルムに任せていたこともあって気にしていなかったのは確かだが、アレイアの方角を確かめてビヒトは言葉を引込めた。

 湖は右手に感じたからだ。


「……北上、してるのか?」

「お。やはりそれは狂わないのか。わしは北西に向かっとるつもりだったんだがな。修正しておこう」


 左手に四十五度進行方向を修正してヴァルムはスピードを上げた。

 その感覚の鋭さと迷いのない判断にビヒトは手綱を握る手に少し力が入った。ちらとだけフルグルがビヒトを仰ぎ見て、ヴァルムの後に続く。


「ヴァルム。正確な方向は……」

「わかっとる。それでもわしの感覚よりは正しいだろう。時々教えてくれ。あと……多分、この先サルどもの群れに突っ込む。上から来るのに気をつけろ」


 言葉の途中でヴァルムの竜馬が横に飛ぶ妙な軌道を描いた。

 足元にはずむボールのような物体をフルグルは躊躇なく蹴り飛ばす。

 慌ててビヒトが視線を上げると、前方の木々の上に丸っぽい影が大きな実のように鈴生りになっていた。


「構ってると面倒だからな。駆け抜けるぞ!」


 剣を抜き、片手で手綱を操るヴァルムは楽しそうにさらに速度を上げた。




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