41 閉架書庫

 少しだけのつもりが、結局店を閉める時間まで飲んでいて、ビヒトはどういう訳か店員に交じって後片付けをしていた。

 さっさと帰ればよかったのだが、なんだかんだ話しかけられるものだから、タイミングを逃してしまったのだ。

 マスターと一緒に酒場を出て、欠け始めた月を見上げる。そっと寄り添うように雲が近付いていった。


「利き腕怪我ぁしてんなら、食い扶持稼げてねぇんじゃねえか?」


 鍵をかけながら、マスターは軽い調子で言った。


「そうだな。まあ、元々稼ぎに来たわけじゃないから」

「嬢ちゃんにあんな注文出すくらいだ。懐は暖かそうだよな」

「無駄遣いはめったにしないからな」


 何が可笑しかったのか、彼はひと笑いしてビヒトに向き直った。


「……待ち合わせ、だっけか」

「ああ。元々の目的は図書館なんだ。調べたいことがあって。だから、怪我してても問題無い。大分、よくなったし」

「そうか。じゃあ、少し時間が空いたら頼まれてくれないか」


 ビヒトが軽く首を傾げると、マスターは腰に手を当ててニッと笑った。


「どうせ近々様子を見に行くだろう? 嬢ちゃんに飯、届けてくれ。金は出さないが、お前さんの分も用意するからよ」

「別に構わないが……いつも差し入れしてるのか?」

「そういう訳じゃねえが、集中すると寝食サボりがちになるようでな。普段は熱あっても無理して食うような奴なんだが……いつもは一段落したら気分転換にって顔出すのに来ねえってことは、気合い入れすぎてる気がしてな。勝手の違う注文だしよ」


 そういうことかと、ビヒトは頷いた。


「じゃあ、早い方がいいんだな? 明日は頼んでる本があるから……夕方で良いなら、少し早く切り上げて出てくるよ」

「わかった。用意しておくから、寄ってくれ」


 頷きながら片手を上げて、ビヒトは冒険者組合ギルドへと足を向けた。



 ◇ ◆ ◇



 もうすっかり朝一で図書館に顔を出すことが日課となっているビヒトが受付で許可証を差し出すと、昨日とは違う若い青年神官が刻まれた番号を確認して席を立った。


「閉架書庫の資料をご希望の方ですね。ご一緒します。どうぞこちらへ」


 階段を下り、地下へと向かう。

 神官は鍵を開けてから、その鍵穴の上にある一文字の隙間に首にかけていたプレートを差し込んだ。魔力の動く気配がする。

 どうやら魔術的な鍵もかかっているらしい。

 開かれたドアの向こうは真っ暗で、先に入った神官が壁にととんと指を叩きつけると明かりが点いた。

 ずらりと等間隔に書棚が並び、独特の匂いが満ちている。窓のない地下ではその空気に古い皮紙かみとインクの匂いが染み出し、重さを増しているようだった。


「こちらです」


 神官はそんなことにお構いなしにずんずんと足を進める。ビヒトはその背中に黙ってついて行った。

 棚についているプレートを確認して、中へと折れていく。書棚へと視線を走らせていた神官が中ほどで足を止めた。


「この辺りですね。こちらの棚の物は傷みも激しいので、奥のスペースで閲覧頂けると助かります」

「わかった」


 ビヒトは頷いて棚に手を伸ばす。

 もう表紙の文字も掠れたもの、そもそも表紙が無く紐で括られただけの物など、いかにも古そうな書物に緊張する。

 数にしても魔術関係は五冊程度しかなく、全てを抱えてビヒトは奥の簡易な閲覧スペースに移動した。

 一応、小さなテーブルが四つ繋がっていて、誰もいないので手前側を使うことにした。


「もし、辞書が必要なら入口側の棚にありますので」


 神官はそう言うと壁際の中央にある、小さなカウンターの中へと腰を下ろした。


「ありがとう」


 礼は言ったが、ヴァルムと書き写した陣ほど古い文字で書かれたものはないだろうとビヒトは思っていた。そういうのは、この部屋のさらに奥にでもあるに違いない。『一般立入禁止』の札のかかった、扉の奥に。


 初めに開いた本は上でも見た魔術入門のごく初期の版だった。所々破れているので頁を捲るのにも気を使うが、ざっと流し読みで済ませる。

 もう一冊も似たようなものだった。

 今度は紐で括ってあるだけのいかにも古そうな資料に手を伸ばす。表紙代わりの一番上の皮紙のタイトルも掠れて読めない。古語で書かれた古い言い回しがのっけから出てきて、ビヒトは一度背筋を正した。読み間違えないようにもう一度最初からゆっくりと文章を辿る。

 元々静かだったが、それさえも意識の外に追いやられるほど、ビヒトは集中して頁を繰っていった。




 コツコツとテーブルを叩く振動と音でビヒトは現実に引き戻された。

 顔を上げると若い神官が呆れた顔でビヒトを覗き込んでいた。珍しい菫色の瞳が彼を責めているようで、特に悪いことをしたわけでもないのに心臓がどくりと脈を打つ。


「あ……何か……?」

「お昼ですよ。休憩挟んだりしませんか?」


 そう言われてビヒトはもう一度抱えている資料に視線を落とした。ちょうど、雷の魔法のことが出てきたところだった。

 迷う。


「い……や、読んでしまいたい」

「そうですか。では、何かありましたら、こちらを使っていただければ人が参ります。私は少し席を外させていただきますが、係の者が一緒でないとドアは開きませんので、ご了承ください。お手洗いは入口側にございます」


 黄色い石の付いた小さな丸っこい魔道具を机の上に置くと、神官は淡々と説明して書庫から出て行った。

 ビヒトはひとり残されて少しだけ面食らう。交代するわけでもなく席を外すということは、ある程度は信用されているということなのかもしれない。

 切れてしまった集中力に一度トイレに立つことにする。戻りがけに部屋のドアノブを捻ってみたが、スカスカした感覚がしてドアは動かなかった。開かないというのは事実らしい。

 外に出たかった訳ではないので、そのまま席に戻って続きを読み始めた。


 雷の魔法については、どの魔術書にも一行「失われた」としか書かれていない。下手をすると記述すらないくらいだ。

 魔術史になると、いくつかの予想を元に書かれてはいるが、結局のところ「詳しくは分からない」と結ばれるのが常だった。

 だからビヒトも、閉架とはいえ一般に開放されているものの中に目新しいことが書かれているなどと期待していた訳ではなかった。


 気になっていたのはその扱い。

 語ることも禁忌なのか。資料としても残っていないのか。どこかに呪文の切れ端でもないものか……

 ビヒトではたとえ呪文が分かったとしても発動させられない。

 だから、確認のしようもないし、禁忌と言われているものを他の誰かに試させる気もない。ただ、魔術の全てを知っておきたかった。


『雷の魔法は、他の魔法とは一線を画する。

 その性質と力故に、留め置くことが出来ず、常に流動的である。術者には細心の魔力操作が求められ、暴発の危険がついて回ることを認識されたい。

 また、魔法で作り上げた雷が刺激となって自然界の雷を呼ぶことがあるため、使用に制限がかかっていた時期もあるようだ。

 この魔法には、より安全に術を行使するすべも過去には存在したが、非常に残念なことに、現在では失われている(※原文ママ 詳細は書かれていなかった)。そのため、おそらく、このまま雷の魔法は衰退していくだろう。せめて確かに存在した証として詠唱の一部を後に残――』


 次の頁に文字は続かなかった。

 光の魔法の呪文が古い言い回しで載っている。いくつか頁を進めてみても、それらしいものは出てこなかった。

 抜けたのか、抜かれたのか、諦めきれずに一枚一枚を丁寧に捲っていったが、結局該当するような頁は見つからず、少し呆然として、肩を落とした。

 ここに書かれている感じだと禁忌だという印象は無い。

 扱い方を失って、自然に廃れたのだと取れる。


 もう少し詳しく知りたかったが、文章中の注意書きから、これも何かの写しだと思われるので、諦めるしかないようだ。抜けている頁もそこだけではなく、いくつかあるようだった。

 溜息を吐きつつ、ビヒトは元の著書名や著者名がないか探し始めた。

 裏表紙裏の位置に掠れて薄くなった文字が目に留まる。


『“魔術の心臓” ペッカトール著

 写し スキーレ・カンターメン』


 その名から目を離せずにいるうちに、ビヒトの鼓動は徐々に早くなっていった。

 もう五年も離れて薄れかけている記憶の中の親戚を、一人一人、高速で思い出す。

 いない。

 少なくとも祖父母の代までは、ビヒトの記憶にある限り、そんな名の人物はいなかった。


 何名かいる、カンターメンの名の偉人達の名でもない。

 魔術そのものではなく、研究の方に名を連ねた人物だろうか。

 元の著が書かれた時期も分からないが、この資料自体も古いことだけは確かなので、それより前の人なのだろう。

 もしもまだ存命なら、会って話を聞いてみたかったが……とても無理そうだ。

 残念に思いながらも、妙な繋がりに、ビヒトはしばらくの間その名を指でなぞっていた。




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