52 責任の在処

 チッと舌を打ってラディウスはヴァルムを振り返った。

 ヴァルムは静かに首を振る。


「わしは金も手も出さん。正式な約束が交わされているのであれば、父君が亡くなった今、確かに嬢ちゃんに返す義務が生じる。示された方法も悪徳というほどでもない。他人がどうこういう話じゃない」

「だって、マリベルは嫌なんだろ? 細工の仕事、続けたいんだよな?」


 真直ぐに見つめ返してくる瞳は「続けたい」と訴えている。けれど、マリベルは頷かなかった。

 それが厳しいということも経験で理解しているのだ。


「君が毎月金貨二枚ほど彼女から買ってあげられるのならば、僕は別にそれでも構わないけどね」

「ラッド、駄目だ」


 セルヴァティオに掴まれた腕を引かれて、ラディウスはイライラとその手を振り払う。


「うるさい。分かってる」

「解ってくれればいいんだよ。なあに、早く返したければ、色々やり方はあるから、教えてあげるよ。君はまだ若いんだから」


 そう言って、レナル氏はマリベルの肩をゆっくりと抱き寄せた。

 青褪めたマリベルの顔が、レナル氏を見上げてひきつる。

 おそらく、ここにいる者達に見せつけるためだけなのだろう。ビヒトが彼にあまり警戒感を抱かなかったのは、彼がマリベルをそういう目で見ていなかったからだ。

 とはいえ悪趣味だとビヒトは眉を顰める。


 金貨百五十枚。どうにかならない額じゃない。

 けれど、それを払ったからといってマリベルの暮らしが変わる訳じゃない。ビヒト達がいなくなった後、もっと性質の悪い輩に付け入られる可能性を考えたら、決して悪い話ではないと解ってしまう。ヴァルムが断ったのも同じことを思ってのことだろう。


 みんな解ってるはずだったのに、キレたのはラディウスだった。


「ビヒト! アレは其方のものじゃない。確かにそう言ったな」


 言葉も、姿勢も凛と変えたラディウスは、横目でビヒトを睨みつける。

 その佇まいに気圧されて、ビヒトは思わず一歩下がって頭を下げた。


「は」

「では、私が貰う」


 カツカツと大股でマリベルに近寄ると、呆気にとられている彼女の肩に置かれたレナル氏の手を掴み上げ、口元を歪ませた。


「監督ばかりで、一度も教えてくれませんでしたね。レナル先生センセ

「……なっ」


 動揺するレナル氏の手を乱暴に放すと、今度はマリベルの腕を引いて強引に抱き寄せ、彼女にキスをした。


「ラディウス!」


 固まっていたセルヴァティオの声と、訳が分からないまま反射的に放たれた平手打ちの音が重なって聞こえた。


「何? なんなの?!」

「殴ったな」

「だから、なんなの!?」


 にやりと笑うラディウスは彼を叩いたマリベルの手を掴んで拘束する。


「パエニンスラへの攻撃と見做す」

「…………え!?」

「……ラディウス……パエニ……?」


 レナル氏はハッとしてまじまじとラディウスを見つめた。

 ラディウスはマリベルを拘束したまま、上目遣いにレナル氏を見て口角を上げる。


「お久しぶりです。お忘れかもしれませんね。隣国の一地方領主の子のことなど。騎士学は授業数も多くありませんでしたし」

「へ……?」


 ラディウスの腕の中でもがいていたマリベルが固まる。同時にレナル氏は数歩後退った。


「レナル先生、彼女との関係は実際どうなってるんです? 返す当てなどないのは解りきっているのに、纏まったお金を貸すなんて……」

「わ、私ではない。遠い、親戚筋だからと……亡き父が……」

「ほぅ。親戚。それは良かった。見たでしょう? 私は今、彼女に攻撃されまして……」


 ラディウスは何処からかナイフを取り出すと、ひっと息を呑んだマリベルにそれを握らせた。それから少し屈んでその腕を自分の首に回し、しっかりと押さえつける。


「このように命まで狙われる始末。長らく隣国として上手くやってきましたが、困った事態ですね? このままだといらない諍いが起きそうだ。女性の力など何とかできるとは思いますが、父を失った彼女と親戚で、彼女を保護するというのなら、もちろん彼女の罪の責任も取っていただけるのですよね?」


 マリベルはあまりのことに声を失くして、ぱくぱくと口だけを開け閉めしている。

 ヴァルムは横を向いて難しい顔をしているが、あれは多分、笑いをこらえているに違いない。セルヴァティオはちょっと頭を抱えているし、唖然としているマスターと同じように、ビヒトも成り行きを見守るしかなかった。

 この場なら全員が茶番だと解っていても、ラディウスがそうだと言うのならそういうことに出来る。


「な……戯言を! ふざけないでいただきたい。親戚だったのはもう遥か昔のこと。父が昔の恩を律儀に忘れなかっただけで、今は何の関係もない。罪だというなら自分で償えばいい!」

「なるほど。複雑な関係のようですね。では、とりあえず彼女は拘束してパエニンスラに連れ帰ってもよろしいですね? 罪が確定すれば、何年かは投獄することになると思いますが」

「構わ……あ、いや。ちょっと待て。うちの借金はどうなる。連れていくならすっかり払ってからにしてくれ!」


 チッと聞えよがしにラディウスは舌を打った。

 至近距離でマリベルと目を合わせると、彼女はその状態で小さく首を振る。


「罪人だっていうのなら、その財産は差し押えできるんだよな?」


 今まで黙って静観していたマスターがぽつりと言った。


「レナルさんよぉ。あんた、あんたの親父さんがマリベルの親父さんから買っていた品、あちこちに売り払ってるだろう」

「そ、それがどうした。うちの物を僕がどうしようが」

「構わねえよ? 結構いい値段で売ってるらしいじゃねえか。作者を伏せて、出し惜しみしたり、競り合わせたり。騎士より商売人の方が向いてるんじゃねーか?」


 レナル氏は口を引き結ぶ。


「それが高く売れることを知ってんなら、あんたは嬢ちゃんを働かせるより、それをもらった方がいいはずだよな? まさかとは思うが……嬢ちゃんを好きにして、さらに親父さんの作品まで狙おうなんて……」

「ば、馬鹿なことを言うな!」


 顔を真っ赤にして怒鳴りつける様は少し滑稽だった。


「――ということだ。あー。パエニンスラのお坊ちゃん? 差し押さえた物の中から、借金分くらい払えるんじゃねーかな」


 もう一度マリベルと視線を合わせると、ラディウスは彼女の拘束を解いた。ナイフも回収して「じゃあ、選んで」と肩を竦める。


 マリベルは奥から大小五十個ほどの作品を持ち出してきた。

 その中から、先日ビヒトが眺めていた薔薇のブローチを手に取ると「後はどうぞ」とレナル氏に差し出した。


「いいのか? 多いかもしれないぞ」


 聞くラディウスにマリベルは頷く。


「あたしはこれだけあればいいから。その代わり、もう放っておいて」

「言われなくとも、もう用はない」


 苦虫を噛み潰したような顔で、作品を詰めた箱に手を伸ばしたレナル氏を遮るように、ビヒトは片手を差し出した。

 訝しげな顔をする男に短く「証書」と告げる。小さく舌打ちが聞こえたが、聞こえないふりをしてやった。

 投げ捨てるようにして放られた巻かれた皮紙を器用にキャッチして、ビヒトは首にかけている鎖を外す。それを目の前の机に置くと、気になるのかレナル氏も視線を寄越した。

 広げた羊皮紙を陣の上にかざす。


イグニス


 ぼっと現れた火の玉に炙られ、みるみるうちに皮紙は端から焦げてじりじりと縮んでいく。レナル氏は目をこぼれんばかりに開いてそれを見ていた。

 ほぼ焼き尽くされると火を消し、ビヒトはそれを手に取ってレナル氏に向ける。


「これも、マリベルの仕事だ」

「なんだって?!」


 レナル氏は初めて彼女の価値を認識したかのように、彼女を振り返った。

 ラディウスが一歩前に出てその視線を遮る。


「女性は仕事などしなくていいと言ってましたね。彼が依頼したのもこれを使ったランプでした」

「キャンセルなどさせない。彼女の技術を貴方や帝都がいらないというのなら、パエニンスラが貰うまで。ごきげんよう、先生」


 ビヒトの言葉の後に続けたラディウスをビヒトは思わず二度見する。

 ビヒトが彼の母親と交わした会話を聞いていた訳ではないだろうに……

 何だ? と少し眉を寄せた父親似の顔を見て、ビヒトは我慢できずに笑った。訝しげな顔をする一同に、ビヒトは一度頷く。


「パエニンスラは、怖いですよ。とても、ね」


 納得いかない顔をしたまま、荷物を抱えてレナル氏は出て行った。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る