51 葬儀

 工房の脇の庭とも呼べないスペースに竜馬を繋いで、肩で息をしながらビヒトはそのドアを叩いた。

 ゆっくり開かれた扉の向こうで、白のシャツに黒のワンピースを着たマリベルが驚きに目を見開いて、それからその瞳を少し潤ませた。


「どう、して」

「酒場の親父さんに聞いて。彼は?」

「今は教会の方に……入って。フード被らないで来たの? 馬車、動いてた?」

「フルグルで来た。隅に繋いでる」


 マントを脱いで水滴を振り落すビヒトの脇から、マリベルは外を覗き見た。


「後で、何かあげるね」

「気にするな。それより……」

「それより、タオルだね。ちょっと待ってね。よかったら、父に挨拶してあげて」


 奥に引っ込んでいくマリベルを目で追えば、広くない工房の机の上に棺が乗せられているのが嫌でも目に入る。

 その傍らに座る、騎士の制服に身を包んだ軽薄そうな男も。

 ビヒトは彼に軽く目礼をして、棺に近付いた。


 初めて対面するマリベルの父親は、もう白髪の混じるくすんだ金髪の男だった。口を囲む髭と、もみあげから続く顎髭を短めに整えてはいるが、少しこけた頬や胸の上で組んでいる指には擦り傷が目立っていた。

 拳でとんとんと眠る彼の胸を叩き、その手を開いて自分の胸に当て、目を瞑って心の中で祈りを捧げる。

 うつむくビヒトの顔を髪から伝う滴がいくつも落ちていった。


 顔を上げると、レナル氏がじっとビヒトを見つめていた。


「作法が違ってましたか? この辺りの者ではないので」


 ビヒトがしたのは冒険者たちが死者に対した時にするものだ。見慣れないのかもしれないと、声をかけた。


「冒険者の作法だろ。知っているよ。挨拶に来たのかい?」

「手が足りないようだから、何か手伝えればと思って」

「それは、殊勝なことだ。だが、心配ないよ。僕がいるからね。うちがきっちりと最後まで面倒を見る」

「それはありがたいけれど、手はいくつあってもいいわ。ありがとう。ビヒト」


 戻ってきたマリベルからタオルを受け取りながら、ビヒトは少し首を傾げた。


「最後まで? 彼は、どうして……昨夜の嵐が原因なのか?」

「父君はうちで手伝いをしていてくれたからね。昨夜も瓦が一部崩れて雨が入り込んできたから、応急処置をしてくれようとしていたんだな。なんとか処置を終えて、梯子を下りようとした時に近くの木に落雷があって……驚いた彼は足を滑らせた。落ちたところへ割れた木が風にあおられて倒れかかって……」


 レナル氏はゆるゆると首を振った。


「運が悪かった。あの状況でこちらも混乱していたから、救出も遅れてね」


 マリベルは静かに俯いていた。


「あなたの、ところで?」


 お金を借りている、と言ったマリベルの言葉を思い出して、何かがビヒトの心をざわりと撫でた。


「そう。だから、うちのせいとも言えるからね。葬式くらいは面倒見ないと。はまた後でだね」


 薄く笑うと、彼は優雅に立ち上がる。


「まあ、見張り役が来たなら、僕は少し騎士団の方の様子を見てくるよ。あちこち手が足りなさそうだからね」


 ひらりと手を振って、彼は出て行った。

 嫌な予感がする。

 受け取ったタオルを使うのも忘れて、ビヒトはマリベルを見下ろした。

 小さく息を吐いたマリベルは、ビヒトを見上げて笑う。


「拭いちゃいなよ。水も滴るイイオトコだけどね」


 ゆっくりとタオルを額に押し当てながらも、ビヒトの意識はそこに無かった。


「借りた金は……いくら借りてて、いくら返せてるんだ?」


 きゅっとマリベルの口元に力が入る。


「よく、わからないの。父さんは教えてくれなかったから。でも、きっと大して返せてない。『残りはどうする?』って聞かれたけど……全然っ考えられな……っ」


 堰を切ったように流れ出した涙に声を詰まらせて、マリベルは自分の口元を覆う。それでも震えながら声をこらえて、何度か深く息を吐き出すと気丈に顔を上げた。


「……当てがないなら、父の代わりに雇うよって言ってくれてるの。女性を働かせるのは主義に反するんだけどって言いながらね」

「それは、線細工を続けられるってことか?」


 ぐっと奥歯を噛みしめてマリベルの視線は下がる。


「それは、きっと無理。父さんも無理だった。あの人はこの仕事を仕事と認めてない。借りた物は返さなきゃ。解ってる。解ってる、けど……」


 一歩、間を詰めて、マリベルはビヒトの濡れた服にこつんと頭を寄せた。


「……ビヒト……連れていって。途中まででも、なんでも……!」


 ビヒトは動けなかった。自分がこれから行こうとしているのは危険な森の奥にある遺跡だ。とてもマリベルを連れていけるところではない。

 かといって、ここに残って何とかしてやるとも言えない。


「マリベル……」


 名を呼ぶのが精一杯だった。

 抱きしめることも出来ずに、雨音だけが耳につく。

 くすりと、胸に小さな笑い声が響いた。


「冗談。ビヒトは真面目だなぁ。解ってるよ。そんなのビヒトの迷惑にしかならないもん。逃げ出すのも嫌。大丈夫よ。たぶん、なんとかなるわ。父さんの作品を少しずつ売ったりすれば、きっとね。さ、ビヒトは父さんを見張っててね。悪いものが近寄らないように。私はフルグルに何かあげてくる」


 踵を返すマリベルを追えない自分が、ビヒトは歯がゆかった。



 ◇ ◆ ◇



 しとしと降り続く雨の中、葬儀は行われた。

 嵐に巻き込まれた者、それとは関係なく亡くなった者。数人を合同で送る式だった。

 ビヒトも喪章を腕につけ、ヴァルムや酒場のマスターと棺を墓穴まで運ぶ作業を手伝った。少しずつ明るくなっていた空は、今度は夜の色に落ちていき、マリベルの工房に戻る頃にはランタンが必要になっていた。


 棺の乗っていた机は細長く並べ替えられ、白いテーブルクロスがかけられて、パンやチーズなどの簡易な料理が用意されていた。この辺はマスターの采配らしい。


「何にもないけど、良かったら食べていって」


 きっと最後になるから、と聞こえたような気がして、ビヒトは視線を伏せた。

 近所の人とビヒト達くらいしかいないささやかな晩餐だったけれど、マリベルの父母の昔話を交えて和やかに時間は過ぎていった。

 やがて一人二人と人は去り、残るはマスターとビヒト達だけとなる。そろそろ……という雰囲気になった時、件の人物が現れた。


「マリベル。荷物を纏めておいておくれ」


 相変わらず、周囲に頓着しない男はにっこりと笑って言った。


「さすがに今日、という気はないからね。でも、明日には移ってきてほしい。それとも、誰かと算段が付いたのかい?」


 嫌な笑みを浮かべてその場にいる者を舐めるように見渡したレナル氏に、ラディウスが眉を顰める。


「何の話だ?」

「マリベルを家で雇うという話だよ。収入の安定しないものを頼るより、毎月少しずつでも手に出来た方がいいだろう? 働きが良ければ色だってつく。僕も変な督促をしなくていい」

「督促?」


 ラディウスはピンときたようだった。


「ちょっと待て。俺は彼女に注文したものがある。それの納品はしっかりしてくれるんだろうな?」

「そうなのかい?」


 少し渋い顔になって、レナル氏はマリベルへと視線を流した。


「そ、そうなの。だから、それが出来るまで待って頂戴」

「期限は? それで、いくら手に入るの」

「ひと月。銀貨十枚の仕事よ」


 ふっとレナル氏は可笑しそうに笑った。


「なんだ。じゃあ、お断りしなよ。そんな程度焼け石に水だろ?」

「そんな! 前金だってもらってるのに!」

「使い込んでしまったわけじゃないんだろう? 返せばいい。ああ、僕が返してもいい。いくらもらったって?」

「あたしが! 受けた仕事よ!」

「マリベル」


 それまでのへらへらとしていた表情を消して、レナル氏は低く彼女を呼んだ。


「それで食べていけるのかい? ようやく、二つ三つ売れたところで、彼等はもういなくなるのだろう? そんなのは仕事とも言えない。確かに君の作った借金じゃない。でも、君がそれを続けるためには、君は僕に返すんじゃなくて借り続けなければいけないんじゃないの?」


 すっとマリベルの血の気が引いた。


「なに、娼館で働けなんて酷いことは言わないさ。少しずつ返してくれればいい。だけど、そのは先が見えるまでお預けの方がいいね」

「いくらだよ」


 黙って聞いていたラディウスが口を挟む。


「何?」

「いくら貸してんだって聞いてるんだ」

「ラッド」


 少し焦って、セルヴァティオが彼の腕を掴んだ。

 微笑ましそうに、レナル氏は嗤う。


「金貨、二百枚。五十枚ほどは返してもらったから、残りは百五十枚か。君が返すの? それとも、そっちの『鬼神』が?」

「それが事実だって言う証拠はあんのかよ」


 やれやれと、大袈裟に彼は肩を竦めた。懐からくるりと巻かれた皮紙を取り出す。


「ちゃんと、父君のサインも入ってるよ」


 わざわざマリベルに見せて頷きをもらってから、レナル氏はその借用書をひらひらと振って、みんなの前にかざして見せた。




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