89 反撃
嫌な予感がして、ビヒトは木の陰から飛び出し、上空に向かって叫んだ。
「気をつけろ!!」
参謀に聞こえたかどうかは分からないが、そのまま地面に魔法陣を描き始めた。ヴァルムの居る木の位置を確認して、炎と風を混ぜた盾を作る。魔力はまだ温存したかったので、持っている魔石を使うことにした。
何が来るか分からないが、魔法でなければ来る方向は絞れる。防ぎきれなくとも威力は落ちるだろう。
描き終わって顔を上げると、朝日が雲と木々の梢の隙間から差し込むところだった。
するすると伸びてくる光の帯は、普段なら綺麗だと目を細める光景だ。
少し下がりながら、ビヒトは光が海獣を照らすのを見ていた。
体表面を覆う粘液が不似合にキラキラと輝き、海にいた時と同じように大きく膨らんだかと思うと、腹部の方から筒状の管が伸びてくる。違ったのは、その先が細く絞られているところだった。
一度砲身を縮こまらせ、伸び上がるようにしてつけた狙いは魔術師たちの方向。勢い良く吐き出されたのはコイン程度の大きさの水球だった。
大きく旋回するように動いた管は、参謀を追うように上空にも向けられる。相変わらず照準は甘いが、その分広範囲にまき散らすので、ビヒトはじりじりと下がり続けていた。
ひとつが小さいだけに速度が出るのか、いくつか壁を破って飛び込んでくるものがある。同じ構造なら海の上に作った陣と同じものの方が良かったかと次のことを考えていると、横合いから手が伸びてきた。
腕を引かれ、バランスを崩した身体を抱き寄せられる。
「何の攻撃だ? 水には届いとらんだろう?」
「
「まだ攻撃は続いとるぞ。木の幅は決まっとるんだ。わしだって抱くなら女の方がええ」
ガガガ、とヴァルムの寄りかかる木が揺れて葉と木の破片が散る。二人で肩を竦めて、苦い顔を見合わせた。筒がこちらを向いたのか、壁を越える水球の数が増えたようだ。
「水の量が制限されるからか、球の大きさを小さくしてるみたいだが、こっちの方が厄介だな」
破壊力は無いが、貫通力は上がる。一度斬って終わりという訳にもいかない。
「そんなら、水に近付けなければ、そう何度も撃てんだろう。日に一度か、二日に一度か……」
音が落ち着いたので、ヴァルムを押し退けて様子を窺う。筒は上を向いて水球を吐き出していた。それもすぐに収まって、満足したように管はまた腹の下に潜り込み始めた。
忌々しさが込み上げて来て、森から飛び出し腕輪を発動させる。
襲い来る触手は風の護りに任せて、ビヒトは短くなる管へと真直ぐに向かった。
細くされた管の先が腹の下へ潜り込む前に、腕の長さ程度切り落とすことに成功する。耳障りな叫び声にもそろそろ慣れてきた。
焼け石に水かもしれないが、再生にだって生命力を削っているはずだった。
そのまま後方に回り込んで、躰を少しずつ削っていくことにする。まずは腕輪の魔力が切れるまでと短剣を構えたとき、上空で魔力が不安定に揺らいだ。
反射的に顔を上げると、参謀がゆっくりと下降し始めたのが分かった。
何をしてるんだと思っているうちに、ふらふらと安定が失われていく。それに気付いたのか、触手の一本が参謀へと伸びていった。
「……まずい」
地を蹴って海獣の背に飛び乗る。
腕輪を解除し、かけてもらった護りを信じて海獣の背から触手へと飛び付いた。
切りつけた触手は狙いを外して空を切る。すれすれを参謀が落下していった。
追いかけるように地に降り立つと、倒れ込む参謀に駆け寄って戻ってきた触手を弾き飛ばす。
「何やってんだ! おい!」
小さく呻くような声に耳を近づけようとして、魔力の気配に身を引いた。
発動された魔法は、ビヒトが切りつけた触手の傷をなぞるように吸い込まれて、すっぱりとその腕を切り落としていく。
再び上がる叫び声と、暴れ回る触手をチャンスと潜り抜けて、ビヒトは参謀を抱えて森へと走った。
何度か触手の気配を感じたが、振り返ることはしない。木々の間をわざとジグザクに通り抜けて攻撃範囲外まで駆け抜ける。
大きめの木の陰に目をつけて、抱えている参謀共々へたり込むと、腕の中で参謀が溜息なのか安堵の息なのか、微妙なものを吐き出した。
「……お人好しですね」
「うるさい。目の前に降ってくるからだろう」
やや乱暴に相手を引き起こして、ざっと目を走らせる。眉を寄せる顔にはかすり傷程度だが、肩と腿の傷は深そうだった。
「さっきのか」
「受けた時はそうでもなかったのに、あの声が意外に響いて……意識を一瞬持っていかれました。お気遣いなくと申しましたのに。生きて戻っても、そう面白いことは待っていないので」
本気かどうか、その穏やかな表情からは読み取れない。
ビヒトもわざわざ反応することはしないで、参謀のマントの内布を引き裂いて簡単な手当てをしてやった。
「救護班を回してもらえ。しばらくは引きつけておく」
「策がおありで?」
「ない。地道に削って確実に弱らせる。人が増えればやりようもあるだろう」
「ビヒトさん」
立ち上がろうとしたビヒトの腕に参謀は手を添える。アレイアのものとは少し違う文言を唱え終わると、その手を軽く振った。
「頼んでませんよ」
「これ以上、借りを積ませないでいただきたい」
「この程度。借しだなんて思わない。目の前でこれ見よがしに死なれる方が迷惑だ。まだ何かあるかもしれないのだから、魔力は温存しておいた方が」
参謀はおや、という顔で首を傾げた。
「それこそ、この程度ではないですか。ここは魔力の回復が早い」
「え? 早い、ですか?」
ビヒトは出来るだけ魔力を温存していたから気付いていなかった。少し集中して辺りを窺う。
「……いつもでは、ないのかな?」
参謀の瞳の奥に鈍く光を見て、やはりそう簡単に死を選ぶ人間ではないと再認識する。
周囲の魔素は今まで感じたことが無いくらい濃密だった。頭上の雷雲といい、いつもと違うのは明白だ。回復が早いのは歓迎したいが……
「何もかも、いつもと違うんじゃないですかね!」
言い置いて、ビヒトは踵を返して走り出した。
「あ……あぁ…………若いな」
参謀の笑いを含んだ呟きは、ビヒトの耳に届く前に海獣の叫び声に掻き消されていくのだった。
アウダクスにかけてもらった護りは、逃げている間に何度か攻撃を弾いてくれたので、かなり弱体化してしまっていた。だから、参謀の追加はかなりありがたいものだった。素直に礼を言えなかったことをビヒトは少しだけ反省する。
追ってきた触手は一本だけだったように感じた。
で、あれば、ヴァルムがもう一本を引きつけていてくれたに違いない。
叫び声が聞こえたということは、それほど心配することは無さそうだが、魔力の回復が早いというのが気になった。
それは、人間だけに限った話ではないだろう。
どのくらいの魔力で転移してきて、どのくらい回復しているのか。小さいとはいえ、水球を撃ち出せたのは、それだけ回復している証拠でもあるのでは。
その上、誰もが思い違いをしている可能性があった。考えすぎであればいい、と、ビヒトがすっかり開けてしまった場所へ戻ると、二本の触手相手にヴァルムが飛び回っていた。
足を払うように迫る一本を飛んで避け、上から叩きつけるもう一本を剣で受ける。すばやく剣を回してわざと触手を絡めると、落下する勢いも利用して引きちぎるように斬っている。
海獣の叫び声と共に通り過ぎた触手が戻ってくると、剣を立てて待ち構えた。力比べだというように、真正面で打ち下ろした剣は、当然というようにそれも斬り落とす。
飛び上がり、時に蹴りつけ、なんなら張り手で対抗するヴァルムに、海獣の声は怒りを帯びてくる。
一本を相手にしている間に後ろから襲い掛かろうと、もう一本が近付いていった。
ぼんやり見ている場合じゃないと足を踏み出したビヒトだったが、ヴァルムは叩き落とした触手を踏み台にして、後ろへと宙返りする。見えているようなタイミングに目標を見失ったもう一本が、あっさりと斬りつけられて、また短くなった。
今まで高かった叫び声が低く地まで震わせるものに変わり、海獣は二本の触手を一旦引いた。同時に、今までとは違って、海獣から魔力が放出されるのを感じる。
ヴァルムも異常を感じたのか、表情を険しくして後ろへ飛び退いた。
今まで、海獣が魔法を使わなかったから、誰もがそういうものだと思っていた。魔力は水を球に変えるためにしか使わないと。魔獣のように魔石を持たないから、大丈夫だと。
違う。魔石は見える場所に無いだけかもしれない。
使わなかったのは、使う必要が無かっただけのこと。
追い詰められれば、必要に迫られれば――
ゆっくりと、魔術式が組み上がっていった。
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