4 自由な人
帰りがけに片膝をつく形の上位の礼を示され、「明日、迎えに参ります」と颯爽と帰って行ったヴァルムを、ヴェルデビヒトは狐につままれたような気持ちで見送った。
扉が閉まると、ヴァイスハイトが侍従に小さく手で合図した。
彼も疑っているのだろう。当然だ。
あれがヴァルムのはったりだとしたら、ただでは済まない気がするが、大丈夫なのだろうか。
どうせ明日も見張りが付くのだろうと嘆息して、扉を見つめ続ける父に就寝の挨拶をすると、ヴェルデビヒトは自室に引き返した。
ヴァルムは、家の者がみな仕事へと出払った時分を見計らったかのように迎えに来た。
対応したハンナが目を白黒させているのを見ればわかるが、今日は小ざっぱりした冒険者らしい格好だった。髪は後ろに撫でつけただけ、シャツに厚手のコート。その上から昨夜も着けていたマントを翻して、ホールに仁王立ちしている。
階段の上からそれを認めて、ヴェルデビヒトは少しだけ足を止めた。すぐにヴァルムは気付いてニッカと笑う。
「おぅ、坊主。その格好はいただけねぇな。もっと動きやすいもんに着替えて来い」
ハンナの用意した着替えにダメ出しを喰らうとは。
ヴェルデビヒトは少し愉快な気持ちで着替えに戻り、彼と街へ繰り出したのだった。
道すがら、心配の種を吐露していく。
「あん? 家名? はったりだって、坊主も思ってんのか?」
にやにやと少し楽しそうにヴァルムは言う。
「領主一族が森の中で熊になってるという方が無理があるのでは」
「世の常識っつーもんは面倒だなぁ。あれだけ準備して、わしが調べられて困るようなヘマをすると思うのか」
「俺は貴方を知らない。それに、熊になってるのは、ヘマをしたからだと」
あっはっは、と豪快に笑って、ヴァルムはヴェルデビヒトの背中をひとつ叩いた。
「そうだ。そうだな、坊主。正解を教えてやろう。わしは外戚だ。本来ならば、パエニンスラの名は名乗れん。だが、我が姉はこう言った『お前は自由が過ぎる。国内のみならず他国でもその振る舞いは治らないのだろう。で、あれば面倒を減らすためにその家名を名乗ることを許す。許すからと言ってさらなる面倒を起こされるのは困る。使いどころは、よく考えるように』」
それから小さな溜息をついて、苦虫を噛んだような顔をする。
「だがなぁ……その名を使うならば、一通りの礼儀作法は学べと。地獄の日々よ。わしは騙されたと思ったぞ」
あまりの嫌そうな顔に、ヴェルデビヒトは思わず口元をほころばせた。
窓から逃げ出そうとするヴァルムが見えたような気がしたのだ。
その顔を見てヴァルムもふっと表情を緩ませる。
「まあ、今は少しそれで良かったと思っとる。面倒臭いやり方のほうが話が早いことがあるからな。今回のように。坊主が
自分はそれに見合っていない。それを、思い知らされるから。
彼の視線が下を向くのをヴァルムは気付かないふりをした。
「さあ。何がしたい? サボりたかったのだろう? 酒か? 女か?」
「そんなこと……」
見張りのついている身で、出来る訳がない。思わず辺りに視線を投げて、ヴェルデビヒトは魔石屋と武器屋を指差した。
「礼と言いましたね。じゃあ、試作の為の道具を少し買って下さい。自分の小遣いでは限界があるので」
「なんじゃい。勉強が嫌でサボるんではないのか」
肩を竦めるヴェルデビヒトと和やかな城下町の辺りの様子をぐるりと見渡すと、ヴァルムは顎に手を当てて「はぁん」と抜けたような声を出した。
「んじゃ、まずは石屋だな」
一番近い店にヴェルデビヒトを引っ張り込み、魔力のこもっていない質の良くない小さな石を種類ごとにいくつか買い込むと、次に魔術屋に入って市販の魔法陣を数枚手に入れる。
そこにいたるまでヴェルデビヒトの意見は尋ねられもしなくて、彼は面食らっていた。
口を挟む間もなく、今度は店の裏口から外に出たいとヴァルムは言い出し、店員が呆れたように、でも特に事情を訊くこともなく裏口を開けてくれた。
「こんな、簡単に裏に通されるなんて……お知り合いだったんですか?」
「いんや? 冒険者はよく使う手だぞ。買物さえしていれば断られることも、何か訊かれることもないな。事情なんて訊いたら店側も巻き込まれかねんからな」
ひょいとさらに細い小路に入って、ヴァルムはほい、と腰を落として両手を組み、下へ向ける。一瞬戸惑うヴェルデビヒトに、彼は視線と顎を上げて上を示した。
よくわからないまま、ヴェルデビヒトは軽く助走をつけてヴァルムの手に足を乗せる。
ぐいと身体が持ち上げられる反動に合わせてバランスを取り、放り上げられた先の屋根に手をかけてなんとか登りきった。
追いかけるように登ってきたヴァルムは楽しそうに笑っている。
「おうおう。反応もいい。センスもある。魔術ばかり勉強しとる訳じゃないようだな」
「護身術くらいはやりますから」
詠唱中は無防備になりがちだ。誰かと連携する時にも全く心得がないと困る。そういう意味で魔術学校とはいえ、護身術も剣術も教えている。
身体を動かすと、その間は余計なことを頭から追い出せるから、ヴェルデビヒトはその授業が嫌いではなかった。ただ、ストレス発散でそちらにばかり熱を入れすぎると、ヴァイスハイトはいい顔をしなかったが。
屋根の上でヴァルムは先程買った魔法陣を広げ、指で辿りながら何ヶ所か記述をナイフで削り始めた。
「何するんですか?」
「急いでるときゃぁ、一から書くよか早ぇんだよ。坊主はこっちだ。発動はできなくとも、籠めるのは出来るんだろう?」
ばらばらと石を投げ寄越されて、戸惑いながらもそれに魔力を籠めていく。
昨日の成績の話もそうだが、ヴァルムはヴェルデビヒトが名乗った時点で色々察していたのかもしれない。
勉強など嫌いそうな素振りでいるのに、ヴァルムの魔法陣解読の手は早くて的確だ。
金庫やドアなど、他人の目から隠しておきたい物に作用させる単純な隠蔽の魔術式だが、発動させるにも持続させるにも、もちろん魔力が必要だ。
ヴァルムが削っていたのは固定対象の部分と、光の反射に対する部分、あとは風の力の分配……ヴェルデビヒトの手元にあるのは風と光の魔蓄石が多かった。
魔力を籠めながら、ヴァルムの手元をじっと見るヴェルデビヒトに彼は言う。
「何をしてるか、わかるか?」
「何となく」
「優秀だな」
どこから拾ってきたのか、ひしゃげた釘を手に、ヴァルムはナイフで指先を傷つけた。その血で削った部分の記述を埋めていく。
「あんまり真似すんなよ? 血の記述は効果が違うことがあるからな」
「それは、優位属性が関わるからですか」
「知るか。わしは起こったことしかわからん」
頭の中で関わりそうな書物を探す。その顔を見て、ヴァルムは眉をしかめ、もう一度「真似すんな」と言った。
「嫌いなわけじゃねーんだな? なるほど、まあ、厄介だ。石、できたか」
小さな石だ。どれも定量まで満ちていて、緑や黄色や赤、それに水色に明るく色づいていた。
その中から緑と黄色の石を幾つかずつ拾い上げると、それぞれを叩いて発動させ、手早く魔法陣でくるんでしまう。後は無造作にコートのポケットに突っ込んで、ヴァルムはヴェルデビヒトに背を向けた。
「ほれ、おぶされ」
「は?」
「石の質と大きさを見ただろう? 大した時間はない。女みたいに抱いて行った方がいいか?」
にっと笑われて、考える時間もないのかと、ヴェルデビヒトは大きな背中に飛びつく。
家の中では小柄な母にも少し足りない程度の身長しかないとはいえ、人に負ぶわれるなど、いつ以来だろうとぼんやり思いながら、その太い首に腕を回した。
屋根の上を渡り、陽炎のようなゆらぎが飛び降りたのも、そのゆらぎが街の中を駆け抜けたのも、誰も、誰ひとり気づかずにいた。
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