12 噂の広がり
酔っ払い男は一瞬怯んだものの、テーブルを挟んでいるだけに逃げ切れる自信が勝ったようだ。
筋肉男の方を一瞥するとうっすらと口角を上げた。
背後からの剥き出しの圧力に(殺気ではないところが逆にビヒトは怖かった)、ひじ打ちから屈みこんで大きな身体を背負い投げる。
巨体が飛んできたことに酔っ払い男は目を剥き、手を出すこともなくサッと避けた。
奥のテーブルをもう一つひっくり返し、木製の椅子を潰して、筋肉男は頭を床に強かに打ちつけた。
店内は逃げる客や、どさくさに紛れて金も払わずに出て行く客と、面白がって遠巻きにヤジを飛ばす者達に分かれていく。
ビヒトはテーブルを飛び越えて相手との距離を詰めようとする。
酔っ払い男は筋肉男が起き上がれずに頭を振っているのを見て分が悪いと踏んだのか、あっさりと踵を返して逃げ出そうとした。
が、見物人が作った人垣で、そんなに簡単に店を出ることはできない。
ビヒトは急ぐことなく、ゆっくりと追いかけながら手に触れる物をその背中に投げつけ始めた。
狙いは正確で、皿もジョッキも男の頭に背中に当たっては床に落ちていく。
大した衝撃は無いが、ウザったくなった男がちらりと振り返ると、ビヒトが椅子を持ち上げるところだった。
躊躇なく投げつけられたそれに、見物人が何人か逃げ出す。
空いた空間に走り出そうか瞬間迷って、男は思わず手を上げて椅子を受け止めようとした。
派手な音がして一部が折れ、男の手の中が熱くなる。
何だ? と思う間にその熱量は一気に膨れ上がった。
「あっつっ……!!」
衝撃に倒れ込みながら手を離したのがビヒトの耳飾りだと、しばらく男は気付いていなかった。
壊れた椅子に炎が移って彼の上に落ちてきて、慌てて尻でいざりながら火を叩いて払い除ける。
急に立ち上った火に、傍にいた誰かが近くのエールをぶっかけた。椅子の残骸に移った火はそれで消えたが、肝心の火元は床で燃え続けている。
店の奥から覗き込んでいた店長も、慌ててボウルに水を汲んできたのだが、ビヒトに止められた。
「そんなんじゃ消えん」
ビヒトは近くのテーブルからナイフを拝借すると、炎に近付いてそれで中心部を軽く叩きつけた。とたん、あれほど燃え盛っていた炎がふっと消え失せる。
「焔石か! あんさん、なんつーもん着けてるんだ!」
「普段は魔力を抜いてる。騒がせたな」
ビヒトが金貨を何枚か店長に投げると、少し呆れた顔をして受け取った店長が「あっ」と声を上げた。
店長の視線にビヒトが振り返ると、筋肉男が耳飾りに手を伸ばしているところだった。ビヒトは彼がそれを握り込んでから、短剣を抜いた。
「……んっ……あつっ!」
微かにジュ、と音がして筋肉男が耳飾りを取り落とす。
情けなくも尻餅をついたその男の股間ぎりぎりにビヒトは短剣を突き立てた。
「馬鹿なのか? 炎は熱いもんだ。大事なもん削ぎ落とされたくなかったら、とっとと消えろ」
最大級の侮蔑を込めて睨みつけても、筋肉男の目の奥の色欲は消えないようだった。襲う気は消えたようだったので、短剣で耳飾りの鎖部分を引掛けて拾い上げ、呆然としている酔っ払い男も一睨みすると、さっさと店を出ようとした。
「おい、あんた」
店長の声に、まだ何かあるかと振り返ったら、手に持ったボウルを差し出された。
「持てるくらいまでは冷えるんじゃないか?」
一拍の間見つめ合って、ビヒトはありがたくその厚意に甘えた。
水の中に入った耳飾りはジュウウと音を立て、少しの間小さな気泡を湧き立たせていた。水面が静かになってから、温かい水の中へと手を突っ込んで耳飾りを拾い上げる。まだ熱いけれど、火傷するほどではなくなっていた。
「よく溶けなかったな」
「見越して作ったからな」
「はは。そうか。盗られんなよ」
「ありがとう」
二カッと笑った店長は座り込んでいる二人の男を足で小突いて店の外まで追い出すと、店員たちと総出で散らばった床を片付けだした。こんなことは慣れっこなのか、食器の破片が片付くと、すぐにテーブルと椅子が並べられ元の喧騒に戻って行く。
その様子を確認することもなく、ビヒトは宿へと遠回りで足を向けていた。
騒ぎの後に声をかけられて、新たな騒ぎになることもあったからだが、特に被害は無かったのに腕に立った鳥肌が治まらなかった。できれば二度とあの男に会いたくない。
次に会ったら問答無用で叩きのめしてしまう自信があった。
次の日、滞在予定を切り上げて、まだ朝の早いうちにビヒトはその街を後にすることにした。
◇ ◆ ◇
わずかに残っていた魔力を他の焔石に移してから、元のように耳飾りを着ける。
それを着け始めてから一度もそこに攻撃を受けるようなことはなかったけれど、やはり心配はなくならない。
立ち寄った先の街々で、形は様々だが赤い石の付いた耳飾りを着けている冒険者を何人も見掛けた。酔っ払い男の言っていたことは近付くための方便でもなかったようだ。しかも、うちの何人かが『ビヒト』を名乗っていて、軽く脅かす羽目になっている。
ファッションは勝手にすればいいが、その特徴でヴァルムに気付いてもらおうと思っているのに、『ビヒト』が何人もいたら混乱する。
頭の痛い気分で酒場のカウンターでエールを頼むと、女将さんらしき恰幅のいい女性がビヒトの耳飾りに目を止めた。
「おや? あんたもかい。誰も彼も着け出したら魅力は無くなるだろうに」
「俺は元々これをくれた知り合いにどこかで会った時に気付いてほしくて着けてる」
「そうなんだ。じゃあ、気をつけなよ?」
腰に手を当てて、女将さんはふうと息をついた。
「何か?」
「もうちょい西から来た人たちがね、赤い石のついた耳飾りを着けている人物を襲う、通り魔が出るようになったって」
「物騒だな」
女将さんは大げさに頷く。
「別に何を盗られるわけでもないらしいけど、恨みからならもっと厄介だって、あっちの方では流行は下火らしいよ。理由があるならやめないんだろうけど、西に行くなら、しばらくは外していた方がいいんじゃないかねぇ」
「ありがとう。だが、多分大丈夫だ」
「そんなに強そうに見えないけど、本当に? 見栄は張らない方がいいよ」
ビヒトは苦笑して、追加の注文をすることにした。
「じゃあ、肉でも食って力をつけとくよ。旨いヤツ、頼む」
女将さんは笑って、不味いものなんてないよ! と奥に消えて行った。
いったい自分がどのくらいの力を持っているのか、ビヒトはよく解っていなかった。時々、
強そうな人には積極的に声をかけて、手合せしてもらうのを忘れない。魔術とは違い、やればやるだけ身についたあの感覚を今でも覚えているからだった。
体術もかなり重心を意識できるようになってきたから、今ならヴァルムが投げていたように熊も投げられるかな。と、ビヒトは首を傾げて、自分の基準がおかしいことに気付いた。笑いがこみあげてくる。
冒険者を始めて、様々な者達と会うと、改めてヴァルムが規格外れだと解ってくる。誰も野生の竜馬に乗ろうとは試さないし、自前で転移陣を作ろうともしない。
以前にヴァルムは目指すなと言われたことがあるけれど、彼のように生きられたら楽しいだろうなとは思ってしまう。
きっと、彼を知る者はみな、そう思うのだ。
帝都には一般市民に開放されている図書館があるという。とある宗教団体の一部らしいのだが、太っ腹なことだとビヒトは思う。恐らく、魔術書の類も多くあるだろうと踏んでの帝国行きだった。
生活が安定してきたからこそ、もう一度自分に出来る魔術を彼は模索してみたかった。
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