77 南の森へ

 仕事は二日後の朝一の鐘から。大公城前広場に集合で、足には馬か竜馬を用意しておく。

 その説明と共に鈍い銀色の金属の板を一枚渡された。


「門衛に見せれば、通れるようにしておく。失くすなよ? 解ったら、さっさと帰れ。いいか。残るなよ?」


 やけに帰れと念を押されて、不思議に思いつつも、兄と顔を合わせないで済むのは望むところだったので、ビヒトは素直に従う。

 廊下には面接を終えた者もまだ残っていて、文官に目礼されながら階段へ向かうビヒトを、憐れみと優越の眼差しで見送っていた。




 当日、まだ暗いうちに城門前に行き、門衛に金属の板を見せる。門衛はそれを受け取ると、格子の模様の一部にはめ込んだ。

 魔力の動く気配がして、格子が左右に開く。人がすれ違えるほどの幅で止まると、ビヒトは「どうぞ」と促された。

 そのまま軽いランニングも兼ねて広場まで走って行くと、すでに馬車が一台停まっていて、騎士団の制服に身を包んだ者が数人待機していた。


「早いな」


 ゆっくりとスピードを落として近付いたビヒトに声をかけてきたのは、アウダクスだった。

 彼に背を押され、騎士団員たちの前に進み出される。


「みんな。今日の臨時の中では彼が一番魔術の扱いに長けている。憶えておくように」


 はい。とひとりが手を上げた。


「なんだ」

「魔法も使えますか」


 聞き忘れた、と言う顔をしてアウダクスはビヒトを見やる。


「使えない。ただ、魔法陣はいくらか」

「了解しました」


 きりりと表情を引き締めて頷くのは、ビヒトとそう変わらないくらいの女性騎士だった。

 アウダクス以外は皆、若手のようだ。若手と臨時ばかりの編成なのは、本当に予定外の外出だからなんだろうか。

 ビヒトの表情を読み取ったのか、アウダクスは少し笑って、白み始めた雲の多い空を見上げた。


「行程はみなが揃ってから説明する」


 冒険者の残り二人が姿を現し、朝の鐘の音と景気のいい雷の音が響き渡る。冒険者二人は出身が違うのか、その音に少し眉を顰めていた。


「今日、向かうのは城の南側、国境付近の森の中になる。距離的にはそう長くはないが、場所が場所だけにが色々ある。馬車から離れすぎると迷子になる危険性もあるから、油断しないように」


 二名の冒険者は笑い声を漏らしたが、ビヒトは笑えなかった。城を守るための仕掛けなら、一流の魔術師が施したものだ。その証拠に、アウダクスは続ける。


「見聞きしたものも、軽々しく口にしないように。妙な噂や動きがあれば、相応の処罰が下る。血判でサインしたことを忘れないように」


 血判とは。

 身に覚えが無くて、ビヒトは驚いてアウダクスを見た。気付いた彼はにやりと笑うだけだったが。


「先導は我々が行う。貴殿らには後方をお願いする。では、ご本人もいらしたので軽く顔合わせしておこう」


 城の方から馬車が一台近付いて来て、近くで止まる。

 騎士団員たちはかかとを鳴らして敬礼し、アウダクスは馬車の扉を開けて軽く頭を下げた。

 濃い紫色のローブが風になびいて、少し鬱陶しそうに足元を捌きながら壮年の男性が下りてくる。綺麗に整えられたあご髭と、常に居座る眉間の縦皺が気難しそうな雰囲気を後押ししていた。


「よろしく頼む」


 短くそれだけ口にすると、男は用意された馬車へと乗り込んでいく。

 冒険者になど、一瞥もくれず、足を緩めることもなかった。

 アウダクスが軽く頭を下げたまま、紹介する。


「アレイア大公国筆頭魔術師、ヴァイスハイト・カンターメン閣下。本日の護衛対象である。私からもよろしく頼む」



 ◇ ◆ ◇



 最後尾で馬車の両サイドを走る冒険者たちの後ろ姿を眺めながら、何度目かの溜息をビヒトはついた。

 もちろん、周りに気付かせるような大げさなものではない。

 最初から、引っかかるものはあったのだ。選考過程にも妙な点はたくさんある。ただ、知っているのかが判然としない。

 アウダクスが一枚噛んでいるのは間違いないだろう。だが、彼もビヒトとヴィッツとヴァイスハイトの関係を完全に把握している風ではなさそうだった。そう演じているだけなのか、問い質して正体を明かすことになるのも避けたい。

 だいたい、一番の首謀者は誰なのか。ビヒトを、この護衛に着けたかったのは。


 何度考えても分からなくて、ビヒトは頭を振って考えるのを止めた。

 目の前を走る馬車に集中する。

 外側からも内側からも護りの力を感じる。護衛など、必要ないだろう。そう、卑屈になるくらい、綻びも隙間もない。

 だから少々子供っぽい感情だとは思いつつも、護衛中に余計なことが頭に浮かぶのだ。


 城を大きく回り込んで南下し、今は少し北へ戻っている。

 右へ左へ蛇行して進んでいるので、おそらく前を行く冒険者たちは方向を失っているだろう。加えて、先頭を行くアウダクスにのだ。凡人では覚えようとして覚えられる道ではなかった。

 ビヒトだって、そこに湖が無ければどうだったか。


 秋も深い森の中は、冬支度に駆け回る小動物の気配も多かった。それを狙う狐や狸も、急に現れる馬車や馬に驚いて逃げていく。

 ぐねぐねと走り続け、馬車が南の国境近くまで来た時、ばさばさと羽音を立てて何かが飛び上がった。

 馬車を止め、アウダクスが先頭で声を上げる。


「さあ、まともな仕事だ! まずは、こいつらを退かすぞ!」


 最後尾のビヒトには「こいつら」の姿は見えなかったが、前を走っていた騎士団の若者たちが戸惑っているのは見えた。冒険者たちはさすがに反応が早い。二人とも得物を手に前へ出て行く。

 ビヒトは一旦馬車の横で止まり、上から滑空してくるものに目を凝らした。


 茶色の羽の所々に黒のラインが入っている。広げた翼はビヒトが両腕を広げたのと変わらぬ大きさで、ずんぐりとした身体と鉤型に曲がった太い嘴は愛嬌があると言ってもいいのかもしれない。

 太めの脚に固い爪を持ち、その脚力で飛び上がっては翼を広げて滑空してくる。揺らぐ鳥ガストルニスと呼ばれている魔獣だった。

 身を捻り、叩き落とすつもりでふるった短剣は、ガストルニスの首を切り落としていた。少しだけ眉を顰める。

 まだその切れ味にビヒトは慣れていなかった。これに慣れてしまうと、他の剣が使えなくなりそうだ。加減を覚えないと、と思いながらビヒトも前に出る。


「君も、出るのか」


 意外そうにアウダクスに言われて、ビヒトは軽く首を傾げた。


「騎士二人傍にいれば充分でしょう? むしろ、いなくたっていい。あそこから出て来なければ。彼はよく分かっているだろうから、出てこないでしょう。俺がいる理由がない」


 目を瞠るアウダクスを置いて、ガストルニスの群れに突っ込む。

 馬から飛び降り、がらんと空いた土に陣を描いていく。先程飛び上がった一団が滑空してくるのを剣で捌いて、別の一団が飛び上がるのを横目で確認する。その一団が下りてくるまでの時間で陣を描き上げ、魔力を籠めながら首にかけている鎖を外した。

 ビヒト目掛けて下りてくる一団を引きつけて、鎖は陣の中に残したまま飛び退く。

 ビヒトを追うように身体を持ち上げたガストルニスを見つめながら、ビヒトは呟いた。


「『イグニス』」


 陣の中に、ぽっと火の玉が出現したかと思うと、瞬く間に渦を巻いた炎の柱となってガストルニスたちを焼いていく。

 巻き込まれずに慌てて方向を変えた何羽かを追って、止めを刺してから火を消した。

 それだけで、ほとんどのガストルニスたちは周囲に散って行く。マリベルの作った陣が溶けたりしていないか確かめていると、呆れたようにアウダクスが近付いてきた。


「何だ。今のは」

「発動調整を単純にしたかったので、火をきっかけにしただけですよ」

「そっちは」

焔石ほむらいし代わりです。まだ、終わってませんよ。面倒なのが残ってます」


 興味津々な彼の視線から隠すように、鎖を首にかけて服の中にしまい込むと、ビヒトは短剣で上を指した。

 ゆらゆらと、先程から見れば少しゆっくりと下りてくるように見えるガストルニスの額がちかりと光る。

 待ち受けたアウダクスが振った剣は、確かにその首を捉えたと見えたが、抵抗の無さに彼はバランスを崩す。その、肩の上の何もない空間にビヒトは短剣を突き出した。

 鋭い叫び声と共に、短剣に突き刺されたガストルニスが現れる。

 そのまま地面に叩きつけられたガストルニスを目で追って、アウダクスは小さく唾を飲み込んだ。




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