第54話

 ロジェが向かったのは明後日の料理の宅配先のモンマルトルではなくその手前のオペラ座周辺と呼ばれるエリアであった。

 エスポール名義でのプレヌへの返事の手紙を投函し、金の彫像と三色旗が翻る華やかなオペラ座を通り過ぎてすぐ北にそびえる大通りに出る。

 数メートルおきに石造りの豪奢なデパートが軒を連ねるさなかに、ヴェルレーヌ宝石社パリ店はそびえていた。

 金の柵で囲われた門をくぐって広大なバラ園を過ぎると、ステンドグラスのドームがそびえる宮殿風の建物にぶつかる。

 豪奢なレットカーペットの敷かれた客用の正面玄関を素通りし、裏口の階段から、最上階の社長室へと急いだ。

 


 たっぷりとスペースをとった社長室の前にそびえる、ダイヤと金で飾られた扉は天国の門と呼ばれている。

 中に足を踏み入れ最初に目に入る、天井いっぱいに描かれた絵もまた神の国を描いたものだ。

 その真下。社長机に座ってる者の本性を思えば、皮肉を通り越し滑稽でしかないが。



「春の大掃除、といったところかな」

 ヴェルレーヌ社長であり、父――ゼフェルは感情のこもらない瞳で、そう言った。

 挨拶や近況を尋ねる言葉というのは健全に機能している父子のあいだのもの。

 それに加えてこの父は、無駄を極端に嫌っていた。

 いつも決まって要件だけを申し付ける。



「お前に溜まった不用品の処分を命ずる」

 一縷の憐憫も罪悪感すらなく機械的に父がそう言ってのけるのは無論、奴隷を扱う仕事のことだ。

 度重なる重労働や劣悪な衛生環境にとって心身に変調をきたした人々のことを、不用品と平気で呼ぶ。

 そういう男だ。

 憤りを露わにすることは懸命ではないと学んだのは、まだ幼い日のことだった。



 ふいに衝動がロジェを襲う。



『――エスポールには人殺しなんか似合わないわよ』

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