第56話

 日中は木漏れ日を浴びて芳香を放つバラは、夜になるとならず者を威嚇するように棘を月に光らせ、花弁を闇の漆黒に染める。



 それは、十年ほど前の夜に遡る。



 ヴェルレーヌ家と、家が所蔵する宝石店が隣接した中庭を一人、少年が走っていた。

 それを追う黒い影が三つ。いや、もっとか。

 ほとんどむき出しの皮膚に黄ばんだ瞳。

 日ごろヴェルレーヌ社所蔵の奴隷船に乗せられて、過酷な労働をその背に負う奴隷たちだった。



 黄ばんだ目――否、その顔についているのは瞳と言えるのか。感情などとうに忘れた二つの節穴のようだった。あるのは虐げられた果ての狂気。

 彼らはヴェルレーヌ社長に命じられるがままに、少年を追っていた。


『お前は私生児。間違いで生まれた子どもだ』

 遮二無二走る少年はすりきれたシャツに、大きさもあっていないつぎはぎだらけのズボンを身に着けている。



 彼は始末されようとしていた。

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