第58話

 それは、凍り付くような地下室でようやく眠りについた晩だった。

 急に首元がしめつけられる感覚に目を開けると、肌の黒い人が馬乗りになって少年の首元を握る両手に力を込めていた。


 その顔に灯るのは、あろうことか笑いだった。


「お前を殺せばオレたちのことも殺してくれると言われたんだ」

 長年の恐懼からついに解放される、笑み。

「殺す――お前を殺す」

 自らの誓いを思い出した少年は、とっさに奴隷を蹴り上げ、逃げ出した。



 屋敷を抜けようとバラ園を走る背後に迫りくる黒い影。

 何体だったか成長した彼は思い出せない。

 ことによると寝込みを襲った一人だけだった可能性もある。

 自分の恐怖が、黒い影の幻影を作り出していたかもしれない。

 少年の手には、父に渡された短剣がある。

 これで身を守るために殺せと一言言い渡されていた。



 黒い影には何度も追いつかれ、掴みかかられた。

 その手を食いちぎってでも彼は逃げた。

 屋敷のどこにも逃げ場はないことすら考える間もなく。


 それでも子どもの体力と気力に限界は訪れる。


 少年は捕らえられ、噴水の中身を沈められた。

 息ができない。

 圧倒的な恐怖が肺を満たす。

 首を掴まれて水から上げられ、黒い人に鋭いナイフを振り上げられた。

 首元にかすかな痛みが走る。


 その一振りは少年の首の下方に長く、浅くはない傷を刻んだ。


 頭の中が真っ白になった瞬間。

 少年は相手の首元に深々とナイフを刺し込んでいた。

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