第1章 シャンゼリゼで旅支度

第6話

 気がつくと馬車に揺られていた。



 クリーム色の曲線美の建物が連なる大通り。たった今視界を過ぎていった看板にはマルソー通りと書かれていた。

 右手に温度を感じ、しっかりと握られていることに気づくと、隣に腰かけている恩人の彼があわてたように手を離した。

 取り出したハンカチで血のこびりついた頬を、スカートについた泥をぬぐわれ、とうにヒールの折れた靴を脱がされ。



 足が楽になると同時に、目尻にじわりと熱いものが浮かび来る。

 受けたことがないからこそ、身に染みる気遣いというものがある。



 窓から身を乗り出してみると、はるか彼方後方に、セーヌ川と渡ってきたらしい橋が見える。

 その景色を背後に見るにいたってようやく、見事救出されたらしいと悟り、遅まきながら言うべきことが口をついて出る。



「助けてくれてありがとう。優しい方」

 優しげな琥珀色の瞳をできるだけ真摯に見つめ、訴える。

「でもどうぞお願い、この馬車からわたしを降ろして。このまま捨て置いてください」

 戸惑ったように見開かれる琥珀の瞳から目を逸らすことなく、想いを馳せる。


 約束の時間をとうに過ぎても、エスポールは来なかった。

「わたしにはもう、行く場所がない。情けをかけてくれるのなら、このまま死なせて」

 わたしが死んでも悲しんでくれる人なんかいない。

 小さくそう付け足してみると、じわりと視界がにじむ。

 プレヌリュヌはだんだん自らの哀しみに酔いつつあった。

 とてもじゃないが笑えない、かといって泣けば同情をかっているとか、めざわりだといって殴られるという人生である。もはや陶酔するしかないではないか。

 だがふと上げた目を、プレヌリュヌは瞠った。

 目の前の彼は、とても傷んだ目をして。



「なんていうか。うん……」



 気の毒そうに伏せられた瞳でわかる。

 心から悼んでくれているようだ、と。

 プレヌリュヌはしみじみと思う。

 最期に、少しでも人のぬくもりに触れられて、幸せだった。



「その通り、みたいだね」

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