第20話

 思わず顔を歪めて笑う。

「プレヌリュヌ・コルネイユ」

 離婚したので旧姓にした。

 ただ、このファーストネームを名乗るときはいつもつい恐縮してしまう。

 苦笑に異を唱えるように、再び歩き出したロジェが言う。



「いい名前じゃん。満月なんて」

 プレヌリュヌとは、フランス語で満月――欠けるところのない月を意味する。

「好きじゃないの」

 完全無欠を期待されてつけられた名前だ。

 世間に誇れる、常識をわきまえた令嬢。

 妙齢になれば嫁ぎ、夫に粛々と従う妻。

 そんな諸々にそぐえないたび、家族や周囲には名前負けをひきあいに出された。



「ふぅん」

 だめだめ、とプレヌリュヌは自分を叱る。

 せっかく新たな出立の手綱を手にしたこのときに、わざわざセンチメンタルに浸る理由はないだろう。

 ぶんぶんかぶりを振って嫌な考えを追い払おうとしていると、数歩先で、ロジェが止まった。



「プレヌ」



 振り返って投げられたそれは、弾むボールのように胸に快く響く。



「行こう。まずは旅支度だ」



 満ちてくるのはなにか、新鮮な湧き水のような気持ち。

「――はい」

 生まれてはじめてつけられたあだ名に返事をして、プレヌは数歩小さく駆け、ロジェの隣に並んだ。

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