第2章 リュクサンブールの駆け引き

第30話

 緑あふれる木々の合間から、黄金色の木漏れ日が零れ落ちる。

 プレヌとロジェはシャンゼリゼ通りを南下し、サン・ジェルマン・デプレの南端。リュクサンブール公園にやってきた。

 イギリス庭園風の門から並木道を抜けると、どっしりしたリュクサンブール宮殿が顔を覗かせる。



「どこ、どこなの。エスポールっ。――あそこなのっ!?」



 花壇と広間に囲まれた、それはかつて、王妃マリー・ド・メディシスが過ごした宮殿。

 浪費家で有名だった彼女の生涯はこの時代はナポレオン美術館、現在のルーブル美術館に絵画として飾られていた。



「あぁぁどうしよう。どの人も怪しく見えてきた」

「どう見ても、みんな休日を楽しむ一般市民だよ」



 呆れ顔のロジェの傍ら、風にそよいでやってくるダリアの芳香をプレヌは胸いっぱいに吸い込んだ。

「ロマンチックよね。歴史や文化のミニ知識に、行方のヒントをちりばめるなんて」

「ふん、見え透いたなぞなぞなんか出しやがって」



 宮殿を睨むように目をすがめ、芝生に腰を降ろすロジェに倣う。

 サルビアやフレンチマリーゴールドが、草原を春の海のごとく青く彩り、愛らしい花々をスイスチャード、タイムといった葉がフォトフレームのごとく引き立てる。



「ロジェ。あなたエスポールに厳し過ぎよ。あぁ、こうしているあいだにも、しなやかな彼の体躯が、端正な面差しが、この腕をすり抜けていってしまうかも」

「しなやかな体躯に端正な面差し? なんでわかんだそんなこと」

 どうでもよさそうにそう言ったロジェは芝生に足を投げ出し、頭の後ろで手を組んでいる。

「とにかく、ロジェも探して」



 ――とは言ったものの。

 プレヌは広大な緑園に向けた目をすがめた。

 エスポールの外見の手がかりは首筋の傷跡の一点を除いて皆無なのだ。

 こんなことなら文通をしているとき絵姿の一枚くらい送ってもらうんだった。



 そんな彼女の悔しさをよそに、目の前ではアイスクリームのワゴンに子どもたちが群がりだしている。

 購入したてのアイスクリームに頬張るその姿に、抗えず頬を緩めていると、隣の連れが立ち上がった。



「ロジェ。エスポールが見つかったの?」

 食えない笑顔のまま、彼は肩を竦めただけだった。

「あんまり目をきらきらさして見てるから。調達してきてやるよ、あれ」

「え?」



 視線を正面に戻せばそこにあるのは甘い氷菓のワゴンで、かっと顔に血が上る。

「ち、違うわ。誤解なの。わたしが見ていたのは――」

 弁解の言葉を発したときには、ロジェの背中はすでに数メートル先を進んでいた。

「んもう」



 不満の声を漏らしてすぐ、激しい空腹を自覚し、てへっと舌を出した。

 そういえば朝から夫からの逃走劇に緊張しどおしの、それに失敗してからは殴られどおしで、ご飯どころじゃなかったんだわ。

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