第78話

「ちょ、ちょっとちょっとっ」

 あわてて声をかけると、膝の上に乗せられた端正な顔の片眼がかすかに開けられる。

「オレのためになにかしたがってくれてるんだよな」

 かすかに覗く琥珀色は、まどろみの中にいたずらっぽい輝きを宿している。

「言ったけど。たしかに言ったけど」

 ばくばくと、うるさい不整脈――後にその瞳にきゅんと心臓が縮む感覚。

 身体が示す未経験な反応が、脳に混乱をきたす。



 数秒何語なのかさえわからない言葉をもごもごと呟いたあと、プレヌはどうにか、

「こんなところで、みんな見てるわ」

 言葉らしい言葉を口にした。

 が、ロジェはもう目を開くことすらせず、

「気のせい気のせい。だいたいがこの庭園はパリ有数の恋人たちの聖地なんだから。みんな自分たちのことに忙しくてそれどころじゃねーよ」

「……うん、と」



 バラ園を見渡せばたしかにそういうカップルもいる。

 口元を彼の耳元に近づけ、プレヌは囁いた。

「でも、少なくとも数人はこっち見てるわよ」

「見さしとけって」

 ふぅと心地よさそうな息を吐いたあと、

「えっ、ひゃっ」

 ロジェはそのまま膝の上でごろんと寝返りを打った。

「すげー気持ちい。……どんなに嫌な想い出も、これでぜんぶ塗り替わったな」

「え?」



 嫌な想い出って、と思わず訊こうとしたが、開かれた優し気な両目が、その疑問すら飲み込んで、彼女を満たしていってしまう。

「ありがとう、プレヌ」

「……もう」

 再び目を閉じ無邪気に微笑む顔を見ているとなんだかもう、あとのことなどなにもかも、どうでもよくなってくる。

 プレヌの困り顔は次第にバラの香りに溶け、代わりに微笑みに染まっていった。

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