interlude:宮古初香について
朝《しまい》 #1
四月九日 午前六時五十八分。
カーテンの向こうから小鳥のさえずりが聞こえてくる。非常に煩い。
しかも、風になびく隙間から薄く朝陽が差し込んでくる。非常に眩しい。
昔から、朝だけは弱いのだ。
私は、呻きつつも、仰向けの姿勢のまま手を伸ばし、横着にカーテンを開け放った。
——ううん……眩し……い。
寝ぼけ眼をさらに細めた。寝坊は三文以上の損だと常々思っているが、どうにも頭が働いてくれない。周囲から自由人だとか奔放だとか言われていても、この低血圧には敵わないのが現実だ。しかも今朝は時差ボケがセットときた。
このまま目を閉じて二度寝に洒落込みたい誘惑に駆られるが、もう間もなく妹が叩き起こしにくるだろう。それもなかなかに悔しいので、最近では自力で起きるように努力している。自分を起こすために毎朝妹が実行していたことを、ただなぞっているだけなのは、隠しておきたい悲しい事実だ。
ようやく頭と体が働きだし、布団の中で一日の予定を思い浮かべた頃、階下からカチャカチャと音が響いてきた。下手ではないが、微妙にテンポの速い鼻歌と一緒に。
「ふーふふ、ふんふ〜ん」
「朝から元気なことねぇ……」
やけに上機嫌な声に苦笑しながらも、起き上がる元気はもらえたようだ。せめて朝食の準備でも手伝おうと、布団を跳ね退け、寝間着にしているエスニック柄のワンピースの上に、ニットのカーディガンを羽織る。腕を組んで縮こまり、小さく身震いする。ここ数日のうちでも一際肌寒い朝だ。暦の上では春でも、気温がついて来るのはまだ先か。
スリッパを履いてのろのろ廊下に出ると、突如屋外に投げ出されたかのような寒風が襲ってきた。
「——さむ……」
いきなりくじけそうだった。
当然だ。家中の窓と扉が開いている。まだまだ春風には程遠い冷気が吹き込んでくるのだから、たまったものじゃない。こんなことをするのはたった一人しかいない。のろのろと階下——風下を見やる。
案の定というか、図られたというか、踊り場の窓も開いていた。そして窓枠にちょこんと、猫の形をしたピンク色の付箋が貼ってある。丸っこくて可愛らしい文字が「おはよう」と、この悪戯の声明のように綴られていた。
「もう……、あの子ってば」
窓を閉めながら歩調を早めて階段を下りると、ほんのり味噌汁の香りが漂ってくる。
リビングには、既に食卓が用意されていた。朝に弱い私のために、朝食は妹が作ってくれるのだ。
私の席には、そら豆とキャベツのサラダにヨーグルトという軽食が拵えてある。この時間は大して食欲もないから有り難い。姉妹二人暮らしを三年も続けているだけあって、憎たらしい程よく分かっている。
——私が寒いの苦手だってこともね。
鼻歌は、隣のキッチンから聞こえてくる。透き通るように、はっきりと。
いつの間にか、食器の触れ合う音が止んでいた。
「お姉ちゃん、おはよう!」
足を踏み入れるなり、元気な声に出迎えられた。
流しの前には萌葱色のエプロンを身に付けた妹——いちかが立っている。今年で十五歳。顔立ちは大人びてきたものの、溢れんばかりの好奇心を宿した鳶色の瞳は、年頃の少女らしい雰囲気に少年のような幼さを添えている。
「おはよ」
手をひらひらさせて挨拶を返しながら、いちかの方に歩き進む。
そのまま目の前に立つと、頭半分くらい小さい彼女の頬を、人差し指でつつく。
「うひ……っ、なになに!?」
「寒かった。とーっても」
じと目で言ってやるが、妹は悪びれもせずにへらっと笑う。
「目、覚めたでしょ?」
そのあっけらかんとした様子に毒気を抜かれてしまう。
頰をつついていた手のやり場に困り、柔らかいほっぺたをひと撫でしてから手を離す。
「もう、しょーがないわね」
いちかはくすぐったそうに微笑んでから、台所にくるりと向き直る。
「すぐにご飯できるから。先に座ってて」
手伝いは不要らしい。言われるまま隣のリビングに行こうとすると。
「そうだ! お姉ちゃん」
今度はなにを思いついたのやら、ひときわ楽しげな呼びかけ。
「ん?」
いちかはエプロンを手際よく外すと、その場でくるんと一回りする。
皺一つないブラウスとふわりと広がる膝丈のプリーツスカート。そんな少女の胸元を、若葉色のネクタイと臙脂色のネクタイピンのコントラストが鮮やかに彩っていた。
その装い——つい先月まで自分も着ていた制服をみて、ようやく実感が湧いてくる。
「ああ、そうね。入学おめでとう。ようこそ我が母校へ」
***続く***
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