interlude:雨あがり
微酔
——私は彼女になりたかった。
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『せんせって話しやすいよね』
男女問わず、生徒たちにはよくそう言われる。襟足を刈り込んだ短髪に最低限の化粧。ジャージが正装のような出で立ちも手伝って、一見すると体育教師に思われるだろう。実際、新入生の図書委員には毎年びっくりされるのが習わしだ。そんな風体をした図書室ごもりの司書教諭——それが
しかし、橘高校に通っていた時代の私は、校則違反の明るく染めた茶髪とルーズソックスに濃い目のアイメイク。語尾を上擦らせて話し、友達とは表面をなぞるような話題と共通の造語で盛り上がる。ケータイは群れの一員であることを象徴する、絶対に手放せないマストアイテムだった。
つまり、今とはまるっきり正反対のなりをしていた。
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河内涼と出会ったのは、教室で友達とげらげら笑っていた時のことだ。
『動かないで』
『あははっ————は?』
彼女は伽羅色の長い癖毛を、頭の後ろで一本に結えていた。長身にブレザーをきちんと着こなした彼女は、ポラロイドカメラのファインダーを覗いて、迷いなく私を目がけてシャッターを切った。
『うん、優しい』
仕上がりを見る前から確信めいて言うものだから、その訳知り顔に腹が立った。
『何——。ってか、カメラ? 勝手に撮るなっつーの!?』
『現像したら渡すから』
彼女は悪びれもなくそう言うと、約束通り、数日後に私に写真を手渡してきた。げらげらと涙が出るほど声を上げて笑っているつもりだったけど——、写真の中の私はみんなが調子に乗りすぎないように伺うような微笑だった。
それから、なんとなく話すようになったのだけど、移動教室があれば寄り道をして平気で遅刻してくるし、部活動への所属が必須の橘において唯一の帰宅部を貫いた。それを逐一追求しようとすると、『薫ちゃんは親身だねぇ』とへらへら笑って、結局のらりくらりと躱されるのだ。一言で言うと偏屈だった。
後で知ったことだが、制服を型通りに着ているのは、真面目だからではなく単に無関心だからだった。わざわざ着崩すという行為に意味を見いだしていない。だから、ひそかに努力を重ねてオシャレにイジっている私の制服にも、少しも興味を抱きやしない。大抵の人は一目で『同調』か『反発』に分かれるから、仲間を見分けやすかったというのに。
この人は王様が裸なのを知っていて、何も言わずに写真を撮るようなやつだ。
『薫ちゃんは親身だねぇ』
——そしてこの人のせいで、私はうっかり教職への道を志してしてしまうのだった。
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バー『Januar』のカウンターテーブルに私、涼、招鬼の順に座っている。内装は深い色の木製で統一されており、ガス灯の形をした間接照明が店内に穏やかな雰囲気をもたらしている。優しい選曲のジャズミュージックが耳を通して、微酔いの前頭葉に染みる。昼間は『壱月亭』という名の喫茶店だ。
「馬鹿、飲み過ぎだ」
元同級生の招鬼は瞳の小さい三白眼で、彼を見下ろしてため息をつく。菫色の派手なロングヘアは健在だ。当時二人のヘッドがいがみ合っていた大和市筆頭レディースを一代でまとめあげた伝説の女。でも、なんだかんだと面倒見はよいのだから可愛らしい。
答える涼はにべもない。早くも酔いが回って呂律が回っていない。
「招鬼ちゃんも飲みなって。今日は俺の奢りだよぉ」
涼は伽羅色の前髪をかき上げ、招鬼にメニューを勧め——押し付ける。涼の短く刈り込んだ後ろ髪はモスグリーンに染めてあった。以前は燃えるようなルージュだったのに。
照明のおかげで緩和されているけど、このテーブルだけ明らかに派手な発色をしている。というか、私の黒髪が浮いている。
「で、家出してた——、凛咲ちゃんは帰ってきたの?」
「ああ。あの子はあの子なりに、過去と向き合って、成長して帰ってきたんだ。ううん——、昔はあんなに引っ込み思案だったのに。支えてくれる子もいっぱいいてね————」
涼は遠い目をしながら告げる。機嫌よく揺らしていたカクテルグラスを置いて。
涼の姪である河内凛咲には双子の姉妹がおり、複雑な家庭事情を抱えていることも知っている。去年彼女が入学してくることは聞いていたけど、まさか図書委員に入ってくるなんて思わなかった。加えて、淡々として絵に関すること以外はまるっきり無関心なところが、あの頃の涼をそっくりそのまま想起させる。
きっと長い付き合いになるだろうと、そんな予感がしたものだ。
「それが俺は嬉しくって————ふぐっ」
「げ、泣き始めたぞこいつ……」
「店員さん! タオルを!」
「——はい。まもなく」
黒いベストをきちんと着こなしたボブカットの女性ウェイターが、穏やかに、音の速さで駆けつけてくる。渡辺さん、といったっけ。綺麗だし——、端正な人だ。
「薫ぅ」
「あ?」
「凛咲たちのこと、よろしく頼むなぁ」
三十九になる男が艶やかさを失わない涙声で、私に顔を突きつけてくる。
呆れてそいつの頭を撫でてやる。整髪剤を塗りたくって立てているけど、元々の毛質は柔らかいので、撫でつけるとすぐにぺたんとなってしまう。
「安心しな。そりゃ、教師だからね」
この話し方も立ち振る舞いも、涼の真似をして身に付けた。私にとって、彼女との出会いはそのぐらい衝撃だったのだ。ベビーピンクのラメの入った長いネイル——当時は自慢だったけれど、彼女と一緒に図書室に入り浸るようになってからは、本を読むのに邪魔だからと外してしまった。全ては彼女の松葉のネクタイピンをもらうために。
数年後、その彼女が髭まで生やして現れた時はさすがに驚いた。そうじゃない。裏切られたと思ったのだ。
そのくらい、私にとって河内涼はアイドル的存在だった。
いやもっと言うなら——、
——私の初恋は彼女だったんだ。
***続く***
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