left #3


 江ノ島のアトリエに来てから数日が経った。

 本を読んだり、絵を描いたり、写真を撮ったり、家事を分担してやっているうちに、瞬く間に日にちは過ぎていった。


 最初の日に寝転がった作業部屋以外は、ほとんど行き来していなかったので、若干ホコリが溜まっていた。

 まずは寝室の掃除からだ。十畳ほどの和室。押入れの中の布団は少し湿気を吸っていたので、迷わず外に出す。ちーちゃんにはたきと箒を手渡しただけで意図は伝わったようで、彼女は障子のホコリをはたきで手早く落とし、最後に箒で掃き出した。

 海の天気は変わりやすいもので、今日は歌いたくなるほどの快晴だ。気温は半袖で充分なくらい、湿度は大和市より高いけど、めずらしくからっとしている。昨日乾かなかった洗濯物や布団をベランダに干す。そういえば、ちーちゃんを海に案内していなかった。午後から買い出しがてら誘ってみようか。島の裏側も散策したいと言っていたっけ。


 寝室と風呂場とトイレだけで充分だと思って始めた掃除も、興がのってくると家中に手を広げていた。

 作業部屋の隅に乱雑に積まれていたのは、レフ板やストロボなどの写真関係の機材や、画材ケースやイーゼル、大判キャンバスなどの画材が主だった。ちーちゃんはそれらをカテゴライズして押入れにしまっていく。伯父さんが考えなしに買い足したメタルラックを上手に組み合わせて、効率的な収納に仕立てていた。

 私もそれに触発されてしまって、キッチンの模様替えに乗り出した。二人で作業するならどんな感じかな。調理機材の配置を変えてみたり、収納を整理したり。年末の大掃除のような勢いだ。棚の奥に見覚えのない流線型のアーティスティックな片手鍋が増えているのは——伯父さんの仕業か。こんなところに隠さなくても……。


 下着は新調したけど、衣類は私のを貸すことにした。そこそこ身長差があるので、フリーサイズのワンピースなどは必然的にちーちゃんが着ることになる。私は残り物といってはあれだけど、無難なTシャツにパンツルックだ。


 ちーちゃんはキャンバスの前で色々な顔を見せてくれて、そのどれもが魅力的だった。アトリエの中にいる時は、これまで前髪をずっと飾っていた三毛猫の髪留めをしなくなった。

 一人になるのが嫌で、寝る時は、二人で裸になって同じベッドに入るようにした。彼女はまるで哲学論的イデアのようだ。落ち込んでいるときに欲しい言葉をかけてくれる。好きだと言えば好きと返してくるし、抱き寄せれば抱き返してくる。時折、枕元に置いた真っ白なデジタル一眼レフでありのままの私を撮る。

 ちーちゃんは身体のどこに触れようとしても、私に身を委ねた。あくまで日向のような微笑を浮かべたまま。でも、感覚は無視できないらしく、時には身を震わせ声を押し殺して、必死な様子で堪えている。そんな悪戯をしても彼女は文句一つ言わない。

 そうしながら、もう何度繰り返したか分からない、ちーちゃんと咲季の出会いのストーリーを話してもらう。


 今夜もちーちゃんが寝息を立て、私も眠りにつこうとしたその時だった。

 伯父さんからの、着信。

 どうしたんだろう。いつものメッセージは夕方に入れたはずなのに。


「凛咲! アトリエにいる?」

「いるけど」

「落ち着いて聞きなよ」

「——うん」

「病院から。咲季の意識が戻ったそうだ」

「本当!?」


 運命と言わざるを得ないタイミングだった。

 胸が張り裂けそうになって、上ずった声をあげてしまう。それは、安堵か、恐怖か。たぶんどっちもなんだろう。彼女と向き合うことで、私は一つの事実を認めなければならない。

 隣のちーちゃんも目を擦って目覚めたようだ。


「ああ。ただ、少し問題があって——、ね」

「ちーちゃんも連れていっていい?」

「いいよ。あとは車で話す。もう着くから。とにかく早く乗りな」


 服を着て家を出る。民家の間を通る細長くて折れ曲がった階段を降りると、一方通行の道に車が止まる。窓から伯父さんが顔を出した。




   *




 彼女は集中治療室に移されていた。点滴の他にもいろんな機器が繋がれていたけれど、看護師さんに支えられて上半身は起こしていて、意識ははっきりしているみたいだ。意識が回復した後、容態が安定しないらしく、急遽集中治療室に運ばれたのだそうだ。でも、幸いなことに、命に別状はないと。

 私の周囲には、ちーちゃんと伯父さん。それから、父と母がいる。誰もが神妙な面持ちで彼女を見守っている。

 集中治療室は分厚い窓ガラスで仕切られていて、廊下側からは彼女の横顔しか見えない。九年たったのに鏡で自分を見ているかのようにそっくり。その、彼女の長く伸びた髪と同じ色——私とお揃いの伽羅色の双眸がゆっくりと、私に向かって注がれる。

 ちーちゃんが私の背中に手を添える。それは崩れそうな私をぎりぎりのところで支えた。


 集中治療室の扉がスライドする。

 双子の妹だと思っていた彼女は、耳をすませてようやっと聞こえるような弱々しい舌足らずな口調で、私の名を音にする。


「おはよう。——さき」


 私はできるだけ穏やかに震えないように、使い慣れた双子の姉の名を音にする。


「うん。おはよう。——凛咲」


 そう。私は河内咲季————。双子の姉にかばわれて助かった双子の妹。大好きな凛咲が泣かないように、咲季がいなくなればと願ってやまなかった——、その愚かさの果てに自分を凛咲だと思い込んで、彼女を演じて生きてきた、双子の妹だ。




   ***続く***

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