paint #5


 カリカリかとろとろかを議論した結果、「お祭りとくればとろとろでしょ」ということになった。たこ焼きの話である。

 何軒か冷やかして回って、一番美味しそうだと思った屋台をせーので言い合う。満場一致——二人だけど——で決まった屋台の列に並ぶと、ヒワさんと結にかち合った。偶然にも、同じ店にほぼ同時にやってきた形だ。


「やっほ。楽しんでるかい、お二人さん」


「ヒワちゃんっ」


 袖の中でこっそり指を解いて、手のひらを重ねるだけのライトな繋ぎ方に変える。ちーが人差し指をちょんと動かしてクレームをつけてくる。


「いちかちゃん、ほくほくしてるね?」


「はいっ。なんとですね、笹飾りコンプしちゃいました」


 ちーが前屈みになったので、俺もそれに引っ張られて半歩踏み出す。

 彼女は空いている左手で首にさげたデジタル一眼を持ち上げ、ヒワさんの手にのせる。裏面のボタンを操作して、モニターに写真を映し、次々にスライドしていく。短冊、吹き流し、千羽鶴、くずかご、巾着、紙衣、網飾り——笹の葉と共に華々しく流れていく七つの七夕飾りたち。


「おお、ぴっかぴかっ。千羽鶴、マジで千羽あるっぽい、すごっ」


「うわぁ、手が込んでるわね」


 結も覗き込んで感心した声をあげる。

 横着せずに右手を空ければいいのに。ちーはがっちり掴んで離してくれない。仕方ないのでふにふにした手を握り返すと、薬指がちょんと動いてアグリーの意を示してくる。


「萌くんが手伝ってくれたんですよ」


「広場は空いてたの?」


「いんや。天体ショーのせいで激込みだったよ」


「洗濯機みたいだったよね」


「そりゃ、おつかれさま」


 肩を竦めて片眉を上げる結の隣で、ヒワさんが半眼で睨みつけてくる。


「なんすか……?」


「いちかちゃん、萌黄くん借りるよ!」


 そう言ったヒワさんは跳び上がって、俺の右肩に手を回す。そのまま列から外れて屋台と屋台の間に移動する。自然、ちーと結に背中を向け、腰を折ってヒワさんと顔を突き合わせることになる。ちーの温もりが離れた手は、頼りなく風を纏った。

 ヒワさんは片手を口許に当てて、いかにも「内緒話していますよ」という雰囲気を漂わせる。


「よかったわねぇ、萌黄くん。もご満悦じゃないの」


「——それだけですか?」


「あーね、ちょっと真面目に質問。サッカー部の王子様はお姫様に夢中だってもっぱらの噂ですよ。実際どうなの?」


 ちーに付けられた『姫』というあだ名は、まだサッカー部とその周辺にしか通じないはず。どこから仕入れてきたのやら。この手の話題にかける彼女の情熱に対しては、呆れを遥かに通り越して尊敬の念すら覚える。

 今日は『攻めている』と自称したヒワさん。ペア決めのときの結もそうだけど、どうしてみんな俺たちのことに口を挟んでくるんだろう。


「どうもこうも……——ちーは従姉妹で幼馴染ですけど」


「ふーん」


 ため息と共に吐き出した言葉に、ヒワさんは大して興味もなさそうだ。


「キミらの場合、隠しておくことないと思うんだよ。二人とも愛されキャラだからね、そっちのが安心でしょ。それぞれ適度に自分の付き合いを持ってるわけだしさぁ。ああ。もしそうなったら、のお話ね」


 俺はヒワさんの腕から抜け出して背筋を伸ばし、浴衣の襟を正す。


「そうなったら、考えますよ」


「うむ。恋愛相談ならいつでも乗るからねー」


「それも考えときますよ」


 右手首にぶら下げた二つの巾着が揺れる。

 ——しまった。ちーにお財布渡してないや。

 そう気づいてちーと結の方を見やると、それぞれひとつずつビニール袋を携えた二人がこちらに歩いてくるところだった。歩幅が明らかに違うので、ちーの歩き方が子ペンギンのように見える。


「萌くん、ほっぺたたこ焼きみたいだよ」


「む——」


 俺は無意識に頬に溜めていた空気を、肺に入れ直した祭りのぬるい空気と一緒に絞り出す。代わりに吸い込んだのは、べたっとした反抗心だ。


「それにしても、ヒワさんこそ、恭一さんと来られなくて残念でしたね」


 祭りに行くと決まったのは、ちーの風邪が完治した——二日前。土壇場だったが、温泉旅行メンバーには声をかけてみたのだ。しかし、龍さんと恭一さんには用事があると断られてしまった。

 龍さんは悪友の手伝いとかで祭りの運営に回っているらしい。

 しかし、恭一さんの行方はようとして知れない。理知的でまとめ役もこなすけれど、どこか浮世離れした人だ。姉ちゃんのようにニューヨークとはいかないまでも、ふらっと箱根あたりにいると言われれば納得してしまう。

 ちなみに、茂さんの同行に関しては結がこれでもかってほど嫌がり、結果として道明さん共々誘わないことになった。珠にはかわいそうなことをしたと思う。


 話を戻す。シケンの中で、ヒワさんと恭一さんはセットみたいな認識になっているから、てっきり恭一さんと参加したかったものと思っていたけど。


「え、どうして?」


「どうしてって……。姉ちゃんから聞きましたよ、ヒワさんは恭一さん目当てでシケンに入ったって話」


「ほう、そうなってるわけね。初香さん、相変わらず悪いひとだなぁ」


 ヒワさんは「ふぁっふぁっふぁっ」と謎の笑いを浮かべる。

 俺は姉ちゃんから伝えられたことを、そのまま口にしただけだ。曰く、「お目当てということは、そういうことなんでしょう。うふふ」と。

 でも、ヒワさんの反応から察するに、いつものやつだろう。大事なところはあえてぼかして伝えておいて、相手の解釈を傍観するという——宮古初香の悪癖。


「まぁ、お目当てってのは違いない。恭一くんはお兄ちゃんだよ。バカ親父の血が繋がってんの」


「大事なことをしれっと言いますね」


「隠すことでもないから気にしないでー。初香さんや凛咲りんは知ってるし。それに、いい女ってのは、大事なことほど何気なく伝えるものよぅ」


 向日葵色の癖毛を揺らして、得意げな顔をきめる。さっきよりも腹が立たないのは、この人なりの十七年を経ての含蓄だと分かったからか。それすらもヒワさんの計算のうちかもしれないけれど。

 そのとき——、


「部長っ!」


 ちーが日向のような声で人混みに向かって呼びかける。


「ん——? だから部長がお兄ちゃんって……」


 それに応えて歩み寄ってくるのは、コンデジ片手に眼鏡をかけた青年。学校にいるときと違って前髪を上げているが、間違いなく——、


「恭一くんっ」


「やあ、まさか会えるとは思ってなかった。ヒワさん、みんなも、浴衣似合ってるね」


 恭一さんは眼鏡の奥で温和な瞳を眩しそうに細める。


「はぁ……。ありがとうございます」


 まさか一人で来ているなんて……。狐につままれたような気分だ。

 ヒワさんも呆れたように腰に手を当てる。しかし、突っ込みどころは違ったようだ。


「もう。公式カメラマンって、こんなところをふらふらしてていいの? てっきり花火大会の方にスタンバってるもんだと思ってたよ」


「僕は補佐だからいいんだ。こうして夜店の景色を撮るのも仕事のうちさ」


「公式カメラマンって、あの笹飾りチャレンジの?」


「うん、そうだよ」


 素朴な返答だ。

 公式カメラマンの任期は一年と聞いた。つまり、恭一さんは去年のグランプリ。絵だけじゃなく写真も堪能なんて、想像だにしていなかった。


「あ、せっかくだから。記念写真、撮ってよ」


「喜んで」


 ——うーん。公式カメラマンを私物化する妹の図。

 ちーの浴衣姿の写真は残しておきたいからいいけどね。

 それにしても、裏事情を知ってみると、この二人の関係も不思議な感じがする。宮古姉妹とはまた異色な気の置けなさ。なんというか、安心感がある。


 ヒワさんはちーを連れて、ぱたぱたと映えるスポットに移動する。のぼり代わりの吹き流しが風に揺られていた。


「結」


 牡丹色の柄が入った浴衣にかかる見栄えのする琥珀色の巻き髪を翻し、結が立ち止まる。

 俺はたこ焼き代である五百円を彼女に握らせる。


「ありがとな。ペア分け、気を使ってくれたんでしょ」


「別にいい。楽しいお祭りに水を差されたくなかっただけだしぃ……」


 ちーとヒワさんが両手を振って俺たちを呼んでいる。

 結が眉をひそめて小さく呟く。


「それより萌黄くん、ちゃんと見ててよ。いちか——、ちょっと、よくない感じだったから」


 ——それを言ったらずっと『よくない』んだ。

 とは打ち明けられず、曖昧に首を振っておく。色恋の機微を熟知している結ならではの鋭い指摘。

 分かっているけど、決めかねていること。それこそ生まれた頃からの付き合いだ。ちーが言い出しそうなことくらい想像できている。ちーは変わった。きっと、あの『問い』の答えも持っている。問題は、俺がそれを受け入れられるか。


 四人で撮った一枚に、どうか俺の気持ちが写り込まないようにと願った。




   *




 屋台の並ぶ駅前通り商店街を逸れて少し歩くと、多摩川本流の河川敷に出る。対岸から打ち上がる花火を間近に見られる絶景スポットだ。都内の花火大会に先駆けて開催されることもあり、市外の人も大勢集まってくる。河川敷の一画に設けられた予約制のレジャーシートは例年通り満席らしい。

 うちは団体向けの大きなシートに十名——俺たちと睦月夫妻だ。マスターと千代さんはお店を早めに閉めて、先にシートの番をすると言っていた。ちーと計画を立てて、予約はだいぶ前から済ませていたらしい。改めて、風邪が治って本当によかった。


 集合時間にはまだ余裕がある。結たちと別れて、河川敷に向かって流れる人の波に混じってのろのろと歩を進める。指を絡め合っている瞬間を、一秒でも引き延ばしたくて。


 ふいに、ちーが波から外れて、デジタル一眼を構える。

 お祭り会場では七人ぎゅうぎゅうにひしめいていた虹彩に、今映っているのは俺一人。


「萌くん、あたしを許してね」


 ちーがふわりと笑い、


 夜空に軽快な音が響く。


 それから、カランと下駄を鳴らして、ちーは雑踏に飛び込んでいく。

 ぴくりとも動けなかった。

 周囲は構わず俺を置いて流れていく。


 まるで魔法にかかったように、俺はまた、大切な彼女の姿を見失った。




   ***続く***

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