paint #4
人混みの中、浴衣の袖に隠して指を絡ませ合う。
姉ちゃんたちと違って、俺たちは付き合っていることを明言していない。凛咲さん以外には、だけど。
他人との物理的な距離が近いのは宮古姉妹にとっての当たり前で、ただの従姉妹で幼馴染の頃から、俺たちは公然とボディタッチを交わしていた。だから、手が触れるくらい大したことじゃない。
でも、この結びつきは特別だ。ちーのマシュマロみたいな指先が、俺の指の背を遊ぶように這い回る。冗談でも、外でこんな風に生々しく感触を確かめ合うような手の繋ぎ方はしてこなかった。
登校は毎朝一緒だけど、なんとなく人目を憚って——それでも普通に手は繋ぐんだけど——、名目上は『変わらない』距離を保とうとしている。
ちーも熱気にあてられたのか、まぶたを伏せがちなとろんとした眼差しで、雑踏なんか目に入らないくらいに俺の首筋あたりを覗き込んでくる。俺は屋台を見渡すふりをして目を逸らした。
「ちー、歩きにくくないか?」
身軽になったとはいえ、大和市の総人口を超えるんじゃないかってくらいの人出だ。そうでなくてもこの身長差。がっちり手を繋いでいると、ちーの肩が窮屈じゃないかと心配になる。
「大丈夫。王子様がついてるからねぇ」
「やめれ」
——ちーに言われるとむず痒くてしょうがない。
俺は空いている手で自分のショートヘアをぼりぼりと掻く。毛先が汗の玉を弾く。天気予報によると湿度はそんなに高くないものの、人が密集しているせいで、どうにも熱気がこもる。
とはいえ、暴力的な人口密度は花火大会の会場である河川敷の方へ移動し始まっていた。市道を渡って約十分歩く。人の流れに逆行しているから、夜店を落ち着いて見回る余裕はあるだろう。
「どこ行きたい?」
「萌くんが行きたいところ、かなぁ」
ちーがじぃっと見つめているのは————わたあめの屋台だ。
屋台の前のディスプレイには、最近の子供向けの朝のヒーロー番組や、小児向けの可愛らしいキャラクターのイラストがプリントされた、ぱんぱんに膨らんだビニール袋が掛かっている。
「子供っぽくない……?」
「萌くんはお子様舌だよ」
ちーはしれっとした顔で答える。
そんな彼女を、俺は目を細めて見下ろす。
「怒るぞー」
「ふふっ、行こうよ」
「おす」
ちーがかんかんと下駄を鳴らして先を行く。
屋台の中には、年の頃五十くらいの女性が立っていた。赤いエプロンに描かれたイラストは——三毛玉ぶちさん。それだけで親近感が湧いてくる。彼女はしわを刻んだ口許をつり上げて「いらっしゃい」と破顔した。
屋台に近づいたときに気づいた。タイムリーなことに、ついさっきいじられたあれ。それはちーも同じだったようで。
「三毛玉ぶちさんっ!」
わたあめの袋たちの隅にぽつんと、そのキャラクターがプリントされた袋が掛かっている。
女性が身を乗り出してきて、ゆったりと「それ、最後の一つなのよー」と明かす。
「買います」
一も二もなく財布を取り出す。結に茶化されるのは、この際どうでもいい。なかんずく、このイラストは初出だ。『第九十一回大和市七夕祭り 2018』のロゴが入っている。
女性は三毛玉ぶちさんの袋と、小児向けの魔法少女ものの袋を、それぞれ、俺とちーに手渡してくる。
「——頼んだの、三毛玉ぶちさんだけですけど」
女性はにこにことして「カップルには特別だよ」と告げた。
ちーと俺は顔を見合わせて、はにかんだような笑みを交わす。
——ううん、照れる。
店番の女性から顔を隠すようにぺこりと頭を下げて、夜店を後にする。
「二つあるし、片っぽ先に食べちゃおっか」
「ん、いいけど。ちー、わたあめそんなに好きだったっけ?」
「ふふ。ぶちさんの袋、隠しちゃいなよ」
「確かに……」
結とヒワさんにいじられるのが目に見えてるからなぁ。
俺はロップ——綿菓子袋が傷つかないように、慎重に口の輪ゴムを解いた。
割り箸を引っ張ると、袋の中で窮屈そうにしていた砂糖の繊維が広がり、夜店の明かりに照らされて夕雲のような色合いを見せる。
小さくちぎってちーの口に入れてから、俺もひと齧り。
わたあめは甘っとろい。それがいい。ふわふわの砂糖の雲を齧ると、口の中の水分を吸い上げてぎゅっと圧縮され、溶けきるまで舌を甘美に包み込んでくる。至福のひとときだ。
しかもカップル特典つき。どんな形であれ、他人から恋人認定されるのは嬉しい。袋は畳んで巾着へ。あとで洗って大事に飾っておこう。
ちーが俺の浴衣の袂をついっと引いてくる。
「夜店を巡る前に、行きたいところがあるんだ」
「あれだろ、笹飾り」
「うん、宝探しっ」
ちーはこういうゲームみたいな催し物が好きだ。お祭り女——いや、遊び心があると言うべきかな。
さっきは諦めざるを得なかったけど、今度はぜひコンプリートさせてやりたい。駅前通りの人が減っているということは、広場も動きやすくなっている可能性が俄然高い。
——という希望的観測は裏切られて、広場は天体ショーのためにがっつり長蛇の列ができていた。広場の半透明なドームから見える花火は鮮やかとは言い難いだろうけど、見られるに越したことはない。そして、その後に始まるプロジェクションマッピングの天体ショーを特等席で見物できる。
ふらふらと俺から離れて、笹の下に移動していたちーは、真っ黒ないかついカメラを抱えた青年と何か話している。ナンパだったらさっさと止めよう。キャップを目深に被っているので、相手の
そう思って近づいた瞬間、「くずかご——っ! どこにあったの!?」と青年が叫んだ。少年のような高く不安定な声だった。ちーは青年から借り受けたパンフレットに赤いばつ印をつける。
「ここですよ」
青年は慇懃に頭を下げて「——ありがとう……——っ!」と言葉を述べる。そして、ちーの反応を待たず、一直線に大笹へと早足で駆け出し——、途中で人に揉まれて悲鳴を上げていた。
「もしかして俺たちと目的いっしょの人?」
「うん。あたしも三つ分、教えてもらっちゃった」
ちーが見せてくれた四つ折りのパンフレットには駅前広場の概観と、三十個の丸印。そこに、ちーが描き加えた緑色のばつ印が四つ——これは俺たちが自力で見つけたやつだ——それから、赤色のばつ印が三つ。全部、意外と近いところにある。
ゴールが見えてくると俺も気持ちが昂ってくる。
「行こうぜ」
「うんっ」
お互いを見失わないように再び指を絡ませ合い、遅々と寄せ合う人波を乗りこなしながら、いよいよ笹飾り攻略にのめり込んだ。
*
終わってみれば、笹飾りは三つともすぐに見つかった。千羽鶴と吹き流しと短冊。事前に見つけていたものと合わせて七つとも、金色の特殊紙で作られていた。配置も笹の葉に巧妙に隠れるようになっていて、すごく手間が掛かっていそうだ。大人の本気の遊びって感じである。
再度、屋台の並ぶ駅前通りに戻ってきた俺は、両手を上げてうんと伸びをする。わたあめもちょうど食べ終えたところ。手を下ろすと、すかさずちーの両手が左腕に絡んでくる。彼女の胸元の真っ白なデジタル一眼が振り子のように揺れた。
「そういえば、七つとも撮ってたけど、なんか意味あるの?」
「うん。大和市七夕祭りフォトコンテストっていうのが開催されてるの。普通はSNSに写真を送ればエントリーできるんだけど、特別選考ってのがあって」
「——笹飾りの写真が必要なのか」
ちーはこくこくと跳ねるように頷く。
「そうそう。専用のホームページに本命の写真と、七枚の笹飾りの写真を添付してエントリー」
「特別選考ってのは?」
「大和市開催イベントの公式カメラマンの選考だよ。公式カメラマンになるとね、当日色んなところで写真を撮って、それが市のホームページに載るんだ。今年のハロウィンから早速、だって。それに、龍さんも選考委員なの」
——おいおい。結構な大役じゃないか。
ちーが尊敬している写真家・河内龍さん。凛咲さんと知り合ってから、龍さんともだいぶ近しい関係になったけれど、公の場で写真を審査してもらうとなれば話が違ってくるだろう。
プロの写真家の眼に、ちーの写真はどう映るか。それを知ることができるいい機会だ。
「そんなに大事なことなら言ってくれよ。何がなんでも手伝ったのに」
最初に広場を出る雰囲気になったとき、ちーは何も言わなかった。
こうして事情を知ると、とても、あっさり引き下がっていいものじゃないだろうと思う。
「みんながいたからねぇ。——それに、ちょっとぼーっとしちゃって」
「もしかして、調子悪いか? 病み上がりなんだから——」
「大丈夫だよ」
ちーが俺の脇に肩をぐいぐいと押し付けてくる。
「萌くんと一緒でよかった。ありがとう」
「調子いいことばっかり……」
江ノ島で凛咲さんと何かあったのは明白だ。問いかければきっと、ちーは包み隠さず嘘偽りなく、教えてくれるんだろう。でも知ってしまったら、もう二度とこのぬるま湯に戻れない。
——俺は、なかったことにできないから。
「そうだよ。あたし、お調子ものなんだっ」
鈴を転がすような声は日向のように温かくて、雲が立ち込めれば本当にどこかに転がっていってしまいそう。
ちーの左肩についた糸くずを取るふりを装い、右の袖を翻して抱きすくめるようにして、周囲に見えないように栗色の髪に口づけをする。
「たこ焼き買いに行こうか」
「いっぱいあったねぇ。カリカリ、とろとろ——どの屋台がいいかなぁ」
***続く***
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