paint #3
***萌黄***
日が傾きかけるといよいよ、大和市七夕祭りは盛況の様相を呈していく。
女子七人、横に並んで集合写真を撮った暇は夢か現か幻か——。駅前広場へ怒涛のように押し寄せる人人人。
俺たちは夜店の立ち並ぶ駅前通り商店街へ足を運ぶ前に、三十本の笹のどこかに隠された七つの笹飾りを探していた。
俺の浴衣の
ちーは俺に寄りかかって、眼を
「……ありがと」
「珍しいな。ぼーっとしてると危ないよ」
見れば姉ちゃんたちの背中はだいぶ離れたところにあった。ドームの柱付近の笹の下。姉ちゃんも凛咲さんを庇うように、人波に背中を向けている。ヒワさんの向日葵色のつむじが、俺の高さからようやく見えるか見えないかってところだ。もし、誰か——特に小柄なちーがはぐれでもしたら、見つけられる自信はない。
とりあえず、ちーを抱えるようにしながら人をかき分け、姉ちゃんたちに合流する。
「ここにもないわねぇ」
「ちーちゃん、大丈夫?」
伽羅色のミドルヘアを編みあげた凛咲さんの顔が心配そうに、俺の懐に向けられる。スカイブルーな和柄のシュシュが、耳の上に綺麗なアクセントを灯している。
「うん」
袖を引くちーの手にぎゅっと力がこもる。能天気な彼女だけど、この群衆に押し流されまいという危機感くらいは持っているんだろう。なんせ俺よりずっと目線が低いんだ。その様子を、結が物珍しげな表情で見つめている。
「四つだっけ? 見つけたの」
「網飾り、紙衣、巾着、くずかご——、うん、四つ。全部金ぴかだぁ」
ちーがデジタル一眼のモニターを俺の目前に近づけてくると、柑橘香る日向の匂いに包まれる。せっかくだから全部収めておきたいという彼女の意向に従って、パンフレット片手に笹飾り探訪をしているのだ。
「宮ちゃん、悪いけど……——」
「そろそろ駅前通りに出ましょう。私、限界よ」
結が、首を小さく回して言った。彼女は姉ちゃんの隣で珠の風除けになっている。
ちーはそれに迷いなく頷き返す。
「りょーかい。みなさん、付き合ってくれてありがとうございます」
ぺこりと栗毛を下げたちーの肩に、ヒワさんが手を添える。
「いやいや、こっちこそごめんね。来年こそは一緒にコンプリートしよっ」
「ヒワさん、来年も俺たちとくるんすか……?」
「悪いかよぅ。それを言ったら、初香さんだって一緒じゃん」
「ふふん。私は愛ゆえにってね。悔しかったらヒワちゃんもそーいう相手を見つけなさいな」
「ぬぬぬ…………」
ヒワさんが恨めしげに呻いている。あれだけ一緒にいるのに、恭一さんに脈はないんだろうか。結構いい感じの雰囲気に見えるのに。
そうこうしている間にも列は動く。一番後ろにいる俺は、ちーを抱えているのと反対側の手を珠の肩を添え、心持ち天井から吊られるように胸を張る。この中では一番立っ端があるから、気休めでも目印になるだろう。先頭を行く姉ちゃんと時折顔を見合わせ、全員揃っているのを確認しつつ、じりじりと駅前通りを移動する。片側三列くらいの幅にぎっちりと人が溢れかえっていた。
夕陽に映える赤い吹き流しの形をした提灯。香ばしいソースや甘辛い和風だれの匂いが煙と一緒に漂ってくる。わたあめの屋台が甘く視界をよぎったけれど、よそ見をしているうちに、ちーが飲み込まれてしまいそうな気がして、ぐっと堪えた。
「うーん。さすがにずっとこのままってのは無理そうだなぁ」
ただでさえ動きにくいのに、神経を酷使する度合いが半端じゃない。額がじとっと汗ばんできた。でも、疲れたと口にしたら負けな気がするし。
そのとき、ヒワさんが右手をぴっと上げて主張する。
「はいはーい! ここで大瀬日和ちゃんから進言です!」
「——ペア分けしませんか?」
「あり、ゆっちゃん?」
そこに割り込む形で乗っかったのは、意外にも、俺の目の前を歩いていた結だった。ヒワさんが半身で振り返り、丸く開いた眼を向けている。
「すいません、ヒワさん。でも——」
「いいっていいって、アタシも同じこと言おうとしてたんだ。八人もいるとこの人混みの中は歩きにくいからねー」
「まぁ、そうね」
姉ちゃんの背中が同意する。こんな状況での会話は自然と大声になるけど、それにしても姉ちゃんの声だけはすっと耳に入ってくる。前を向いたままなのに。
ヒワさんと結の提案を受けた姉ちゃんは、いつもの滔々とした口調で、整然と実行プランを述べる。
「こうしましょう。二人一組で商店街を好きに回ってから、屋台の食べ物を持ち寄って集合。花火は十九半時からだから——、会場の河川敷に十九時。みんな睦月さんからチケットは受け取ってるわよね。シートに直接集まるってことで」
「異議ありません。二人ならお互いを見失うこともないでしょうしね」
詩織さんは同意しつつ、いみじくも身を翻して、すれ違いざまによろけそうになった女性の身体を支える。もちろんのんびり立ち止まっているわけにもいかず、女性は一礼すると俺たちと反対側の波に戻って消えていく。詩織さんはゆったり頷くと、下駄を履いた足で、結の隣をしずしずと歩きだす。
——うーん、たおやかさここに極まれり。
「そうと決まったら、早速ペアを作りましょう。私は——」
「もちろん凛咲りんと一緒にどうぞ! ヒトナツの思い出にはぴったりのシチュエーションですよ」
「ちょ——え、あの……っ」
ゴシップ好きのヒワさんは凛咲さんの腰をがしっとつかまえて、姉ちゃんに先回りして指名した。凛咲さんの足がもつれそうになっている。彼女の耳が赤くなっているのは、屋台の明かりのせいだけじゃないと思う。
「やけに攻めるじゃない、ヒワちゃん?」
雑踏に火花が散った。言外に「今回は大目に見てやる」という怨嗟が聞こえてきそうだったけど、ヒワさんはしれっと胸を反り返す。
「ええ、今日は攻めてるアタシなので。そうですね、あとは————」
「いちかは、萌黄くんにちゃんと付いてなさいよ」
「はぁい」
「——逆じゃない?」
「だってぇ——」
過保護すぎるくらい気を配っているつもりだけに、結の発言には納得がいかない。ついでに、彼女のお見通しと言わんばかりの視線に晒されるのもきまりが悪かった。
「いやいや、お姉さんも間違ってないと思いますよ。このイケメン、誰にでもイケメンですからねぇ。うっかり足をくじいた女豹でも見つけようものなら……」
ヒワさんのしたり顔が、珠の肩に回した俺の手に注目している。今更だけど、自分が両脇に女の子を侍らせていたことに思い至って、いきおい気まずくなる。咄嗟に珠を前に押し出して、結に預ける。
——うん、待って。女豹って。なんて語彙をしてるんだ、この人。
真面目な顔をしてからに。いちいち突っ込んでいたら、舌がいくつあっても足りない。
「イケメンでもないですからね。れっきとした女子っす」
「まぁまぁ……。萌黄くんだって、女の子らしいところちゃんとあるから……」
珠はほわっとした和やかな笑顔で執りなす。ちょっと引っかかる物言いはダイレクトスルーパスを決め込むとして。
珠の手を引く結は、対照的なくらい邪悪に口許を綻ばせて見せた。
「そうねぇ。三毛玉ぶちさんのぬいぐるみ、コレクションしてるとか?」
「——!? なんで二人が知ってるのっ」
「そりゃもちろん——」
結の視線が俺の傍らに移動する。
「おま、ちーっ!」
栗毛の少女はししっと悪戯っぽく舌を出す。
三毛玉ぶちさんとは——、大和市非公認の超ドローカルなゆるキャラである。
まるっとしたボディに短いしっぽ。三毛猫をベースにして、背中が水玉模様、お尻に大きな黒ぶちがある。何か被り物をいるわけでもなく。言ってしまえば、普通の猫だ。特徴はゆるキャラにしては珍しく四足歩行であることくらい。
ぬいぐるみ他バリエーション豊かなグッズを展開しているが、商店街の端っこにある専門ショップでしか買えない。俺たちが生まれる前、バブル期に土地を転がして大儲けした猫好きのお婆さんが趣味で生み出した、採算度外視のキャラクターなのだ。
普通の猫だけあって普通に可愛いので、毎月一種類ずつ発売されるぬいぐるみは欠かさず買っている。——こっそりと。
いや、確かに口止めとかしなかったけど——、
「違うからなっ」
ちーに勧められて動画サイトに上がっているゆるい振り付けのダンス映像を観まくった結果、サブリミナル効果が働いたせいであって、断じて俺の趣味ではない。
——あれ、でも女の子らしくて可愛い趣味だからいいのかな?
よく分からなくなってきた。冷静に判断できる頭になってから考え直そう。
「しーちゃんはタマちゃんのエスコートお願いね」
「ええ。珠希さん、いいかしら?」
「はいっ、よろしくお願いします」
珠と詩織さんが微笑みを交わす。ここだけは平和そうな取り合わせだ。
「あら意外。ヒワちゃんは詩織ちゃんを指名すると思ったのに」
姉ちゃんが肩を竦める。
隣で凛咲さんが曖昧な表情を浮かべている。先頭を歩いているのは、姉ちゃん、凛咲さん、ヒワさん。ヒワさんがずっと俺たちの方を向いて歩いていられたのは、凛咲さんの腰に抱きついているからだ。
「うふふ。今日のアタシはゆっちゃんに興味があるんだなぁ」
「お手柔らかに。というか、彼氏いますからね、私」
「ぬぁ!?」
祭りの熱に浮かされてハイテンションなヒワさんのハイトーンな唸り声が、屋台の色鮮やかなのぼりを震わせた。
***続く***
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