paint #2
七月七日——駅前広場に入ると、すっかり七夕祭りの風情になっていた。
背丈三メートル近くありそうな笹が、いつもの目印であるユリノキを半周するように立て付けられている。吹き流しをぶら下げた笹は緩やかにしなって、方々に分かれた枝から細やかな深緑が垂れ下がっている。笹は広場のあちこちに点在していて、その数三十本。その中のどこかに、七種類の特別な笹飾りが隠されているそうだ。
喫茶『壱月亭』から閑静な住宅街を歩いて、ローカル線の小さな駅を北から南に抜け、焼きそばやりんご飴の屋台が並ぶ大和市駅前通り商店街をまっすぐ、誘惑を振り払いつつ、人の流れに乗って行き過ぎてきた。
太い柱に支えられたドームは風通しがよく、南西からの日差しが眩しいほどに降り注ぐ。千人以上は余裕で入れるスペースの外周にはファッションブランドなどの店舗が軒を連ねている。私たちが通ってきた商店街から円周の反対側にも道が続いており、そのちょうど中間——つまり広場の中央には十メートル四方くらいのステージがある。普段の広場は小さなバンドや若手お笑い芸人が登場するイベントホールにも使われているのだが、今夜は天の川のプロジェクションマッピングによる天体ショーが開催される。
「おーい! 初香さん、凛咲りん!」
待ち合わせに指定したのはレインボーカラーの吹き流しが飾られた笹。周囲は人で溢れていたけど、ヒワさんが小柄な身体を目一杯伸ばして、私たちを目敏く見つける。
「ごめんね。遅くなったわ」
「ごめんなさい、みんな」
「まぁまぁ、野暮なことは言いませんって。しばらくぶりですし、積もるお話もたぁーっぷりあったんでしょうから」
ヒワさんは下世話な話に興味津々な模様だ。口許がふやけている。先輩を前にしてここまで無遠慮に切り込めるのは、橘高校広しと言えど、彼女をおいて知らない。
当然ながら、先輩はその駆け引きに乗っかるつもりはなさそうだった。なんせ眼がこれ以上ないってほど笑っている。
「まぁ、気がきくわね、ヒワちゃん。あなたのそういうところ、大好きよ」
「ひゃあ、ほっふぇひゃふえひゅひょひゃへへふひゃひゃい」
少し遅れて、すっきり晴れた日向のような声。
「——じゃあ、ほっぺつねるのやめてください?」
「訳さんでよろしい」
小首を傾げるちーちゃんの隣で、腕を組んで頬をむずむずとさせている萌黄くんが、すかさずツッコミを入れる。きっと似たような制裁を味わったことがあるんだろうなぁ。
機敏にターンして先輩の手から逃れたヒワさんは、迷わず詩織の胸に飛び込む。
「ええん、しーちゃんっ」
「自業自得です」
温泉旅行以来親交のできた——というか、ヒワさんが一方的にアタックしているらしい——詩織は、素っ気ない風を装いながらも彼女の赤く腫れた頬をいたわるように撫でている。懐が深いというか。生徒会の外ではあまり同年代の人と接しているイメージがないから、ちょっと新鮮な光景。まるで姉妹のように微笑ましい。
もう一方の姉妹はというと、一触即発————なんてことはなく、ちーちゃんと先輩は顔を突き合わせて、カメラのモニターに目を向けている。ちーちゃんが写真を一枚一枚スライドさせて、そのストーリーを語っている。
ふと眼が合うと、ちーちゃんはくすっと笑いかけてくる。三毛猫の髪留めをつけた栗毛も軽そうに揺れている。病み上がりの心配はなく、どうやらご機嫌麗しい様子だ。
白地に菫色の朝顔が咲いた涼やかな浴衣に、髪と同じ栗色の帯。その控えめな色合いは、ちょっと前なら背伸びをしているように見えたかもしれないけれど、今はなんとも言えない色香を漂わせているように感じる。もちろん、猫と兎のストラップで首から下げた、真っ白なデジタル一眼レフカメラも一緒だ。ちょくちょくファインダーを覗き見ては、詩織たちに向かってシャッターを切る。
私たちをはじめ、詩織、ヒワさん、結さん、珠希さん——全員揃って浴衣姿だ。詩織以外は、喫茶『壱月亭』のスタッフルームで渡辺さんもとい睦月千代さんに着付けをしてもらった。普段から和装しているだけあって、手際がこなれていた。
しかし、私が着いた頃には、ちーちゃんは萌黄くんやヒワさんたちと共に商店街へ繰り出していた。待っていたのは千代さんと、気味が悪いほどのにこにこ顔を張り付けた先輩だけだった。
「風邪、治ったんだね。よかった」
「うん。シューアイスごちそうさまでしたっ」
ちーちゃんは十センチ以上身長差のある私を見上げるように、顔を寄せてくる。その距離は相変わらず口づけ寸前と言えるほど近い。
またしても背を冷や汗が伝う。きっとちーちゃんに他意はなく、江ノ島以前と同じ態度で接しているだけ。あからさまに引いたら傷つけてしまうかもしれない。いや、でも先輩を想うならそうするべきなのでは——。先輩と萌黄くんの刺々しい視線を左右に感じながら、なんとかちーちゃんを諫める言葉を探す。
「あの、ね。ちーちゃん————」
私が狼狽た声を漏らしたとき、
「——あたっ」
先輩と萌黄くん、両側からちーちゃんの側頭部が叩かれる。
「あんたは懲りなさい」
「ちーはしばらく凛咲さん断ちな」
ちーちゃんは「はぁい」と、分かっているんだか分かっていないんだか判断つかない生返事をする。ポーカーフェイス気味の微笑からも、何も読み取れない。
あからさまにむすっとした顔の萌黄くんは菊模様の入った黄色い浴衣。帯は濃緑色だ。ショートヘアをアレンジして、鬼灯のかんざしを刺している。スレンダーで長身な彼女のスタイルに浴衣は非常に似合っている。腕を組んで袖に隠し、さりげなくちーちゃんの巾着を持ってあげているところも、彼女らしい仕草。
「あの——、とりあえず、短冊書きませんかっ?」
笹の前に三台置かれた横に長い作業台の一画に立って、珠希さんが私たちに呼びかける。そばかすの浮いた目元をくしゃりと歪ませて。手には桃色の短冊が一枚。
「どうしたの? あらぁ、もしかして書きたいお願いごとでもあるの?」
「も、もう——ゆっちゃんっ」
率先して茶化しに行った結さんに続いて、私たちも作業台に集まる。台の上には赤、桃、黄、青、紫、白、黒の七色の短冊が束になっていて、側に白黒のマジックペンが何本か転がっていた。
迷わず紫を選んだ先輩に遅れて、ちょっと迷って白を選んだ私も願いごとを考え出す。そういえば、短冊の色にも意味があったような気がする。ヒワさんは黄、詩織は青、結さんは赤。みんなフィーリングで選んでいるみたいだけど、それぞれの願いごとに自然と吸い寄せられているのかもしれない。
「俺も黄色にしようかな。ちー、もう書いたの?」
「うん、ばっちり〜」
早くも笹の葉に桃色の短冊を括り付けたちーちゃんは、作業台を離れて私たちに向き直る。カメラを覗き込みながら、何歩か前後左右にうろうろする。危なっかしくて冷や冷やするけど、不思議なことに通行人には一切ぶつからなかった。背中にも眼が付いてるんだろうか。
やがて、これだという立ち位置を見つけたんだろう。ちーちゃんはデジタル一眼で方々の写真を撮り始める。
そちらに目を奪われているうちに、先輩が私の短冊を見つめていた。裏返しにしておいてよかった。短冊の上にすっと手のひらを乗せる。目的を達成し損なった先輩の手はさりげなく引っ込められた。
ぺろっとお茶目に薄紅色の舌を見せられても、ノーカウントにはしてあげない。膨れてそっぽを向いた私の耳に、先輩の落ち着いた声が染みる。
「どんなお願いごとを書いたの?」
「先輩こそ」
「学業と恋愛を両立する。なんて、かっこよくない?」
——嘘くさい。
案の定、見つめ返した途端に、わざとらしく目を逸らす。
「……短冊、見せてくださいよ」
「ダメよ。せっかくだから、りさちゃんには内緒で叶えるわ」
「いじわる……。私のは覗こうとしたのに」
ずいぶん前に、ちーちゃんにもスケッチブックを覗かれたことがあったっけ。本当にこの姉妹は、私のパーソナルスペースの内側に立つのが得意だ。
「私はいいの。それに七夕のお願いごとは、口にした方が叶うって言うわよ」
「口にしたら、先輩が叶えてくれるんですか?」
「ええ、当然。ドバイの別荘でも、モンマルトルのアトリエでも、なんだって叶えてあげるわよ」
自信満々に胸を張る先輩。彼女ならやりかねないと考えたら、頭の中に魅力的な景色が浮かんできて——、ちょっと待てと、かぶりを振る。
——まぁ、確かに。先輩がいなきゃ実現しない願いだけども……。
手のひらに隠した文字が熱をもっていく。
私は、先輩を——。
「はい、みんな〜。撮りますよ」
思考の湖に入り込んだ私を引き揚げたのは、ちーちゃんの元気な一声。
それは、不思議を通り越して奇跡的な光景だった。ちーちゃんがデジタル一眼を構えているのが鮮明に見える。あれだけいた人波が途切れて、私たちとの間に遮るものは何もない。
「らぶ・あんど・——」
眩しいほどだった日差しがふわりと和らぐ。西南西の斜光。
たぶん、みんな無意識に。ちーちゃんに向けて、とびきりの笑顔を向けていた。
「「「「「「「「ぴーす!!」」」」」」」」
***続く***
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