パジャマパーティ
——なんだ、割と普通じゃん。
負けた瞬間の剣幕は尋常じゃないものを感じたから、ちょっと心配だった。
でも、萌黄くんと温泉に入り直して汗を流してきた彼女は、清々しいほどけろっとしていた。なんにせよ、二人とも負けは引きずっていないようだし、ひとまず胸を撫でおろした。
それから十二人一同に揃って、お座敷で夕食をご馳走になって、それぞれの部屋へ解散となった。
この部屋にいるのは、いちか、萌黄くん、珠、私——の、一年生組だ。
「あたしここーっ」
いちかは部屋に入るなり、ばふぅっと音を立てて、部屋の奥に敷かれた布団に飛び込んだ。
「こら、ちー。お行儀悪いぞー」
萌黄くんがすかさずその隣の布団に陣取る。
この二人は昔から本当に仲がいい。
私は珠と顔を合わせて、ぷっと吹き出した。
四人で枕を突き合わせていると、中学の修学旅行に戻ったような気分になる。
定番だけど、ちょっと
いちかは————、どうなんだろう。いつの間にか変な部活に入っているし、相変わらず謎だ。
隣り合わせの布団で、いちかと萌黄くんはあっち向いてホイをしている。
——あ、またいちかが勝った。
「萌黄くんはいないの? 付き合ってる人とか」
「俺の話、聞いても面白くないよ。知ってるだろー。先週も三年の先輩を振ったばっかり」
「まったく、共学に入ったってのに『王子』様なんて呼ばれちゃって。胡座かいてると、本命をさらわれちゃうわよ」
「うるせー。俺はいいの。そんなこと言ったら、結だって」
珠はふふっと私に笑いかけて言う。
「ゆっちゃんはモテるもんね。モデルみたいだし」
「ふふん。まぁね」
「いいなぁ。男の子に振られたこととか、なさそうだもん」
頷いてみたものの、奥歯がむず痒くなる。
嘘は言ってない。確かに『男の子』には振られたことはない。しかし、過去を振り返ると一度だけ、振られた経験がある。それはあの大きな枝垂れ桜の樹の下で、相手は——萌黄くんだった。
当の本人は涼しげな顔で掛け布団の中に入り込んでいる。絶対覚えてるはずなのに。後腐れなく終わったし、もう過去のことになっているけど、これだけしゃあしゃあとされるとちょっとムカつく。私のプライドに関わる問題だ。
——それは置いといて、見過ごせないのは珠の発言だ。そんなことを気にするってことは。
羨ましそうに語尾まで上げちゃって。
「珠、いるんでしょ。好きな人」
「えっと……。ど、どうかなぁ——」
目が泳いでいる。相変わらず嘘をつけない性格だこと。
「珠ちゃんは、ミッチーが気になってるんだよね?」
「なんで!? 誰にも話してな——あ——」
「墓穴よ、珠」
珠は観念したように枕に顔を埋める。湯気が立ちのぼっているのが、見えるようだ。
「いちかも、知ってたんなら教えなさいよ」
「いやぁ、今朝のことだもん。教えるタイミングがやっと巡ってきたの」
「今朝って、一目惚れ? どこが気に入ったのよ?」
「えっと、その——。かっこいいなぁ……って」
珠は口籠もりながら白状する。
櫻井さん、か——。見た目は男性陣の中でダントツにいいのは認めるけど、中身はバカ兄と同レベルだ。前々から思っていたのだが、珠はダメな男に惹かれるタイプじゃないだろうか。礼儀正しくて甲斐甲斐しくて、苦労人。将来が心配である。
「あ、『落ちた』瞬間なら写真が——」
いちかは枕元に置いてあったデジタル一眼を手にする。
途端に顔色を変える珠。その赤から青への変わり様は、信号機さながらだった。
「やめてぇ、消してぇ……っ!」
普段なら絶対出さないような大声で懇願する珠に、いちかは歯を見せて「どうしよっかなぁ」とうそぶく。
そのとき、少し高めのアルトトーンのボイス——、目を瞑った萌くんが、鼻にかかった甘えるような声で、もごもごとしゃべる。
「ちー、俺も撮ってよ————」
萌黄くんはいちかの方に横向きになって、すやすやと眠っていた。
「早、もう寝てる……」
「萌くんはいつも寝るの早いんだ」
そう言って、いちかは寝息を立て始めた萌黄くんの短い髪を、梳くように撫でる。愛おしさを確かめるような、優しい手つき。
いちかの張りのある唇が、音のない言葉を形作る。
——ありがとう。
まつ毛が伏せられた表情は一瞬大人びて見える。
でも、顔を上げたいちかはいつもの、無邪気な笑顔だった。
「ゆっちゃん、珠ちゃん。あたしたちも寝ようよ」
「そうね」
「だね。——写真はその、消して、……一枚だけちょうだい」
いちかが電気を消す。真っ暗な天井に目を凝らすと、だんだん薄ぼんやりと見えてきた天井の木目を眺めながら思う。
——いつか聞いてみよう。
ただの勘だけど。萌黄くんの十五年越しの想いは、ようやく届いたのかもしれない。もしそうだったらいいなぁと思う。
今夜は目が冴えてしまっていて、もう少しだけ起きていたかった。
隣では早くも、珠の静かな息遣いが聞こえてきている。珠と萌黄くんを起こさないよう静かな声で、頭の先にいるはずの彼女に問いかける。
「——いちか、起きてる?」
「うん」
「お風呂、入りにいかない? 二十四時間やってるみたいだし」
いちかは囁くように、楽しげな笑い声を漏らす。
「どうしたの?」
「おんなじこと、言おうとしてた」
「——上等っ」
私は掛け布団を崩さないように、布団からすり抜ける。立ち上がった頃にはいちかの準備は終わっていたみたいだ。タオルを手にしている。私も干してあったタオルを手にする。お昼に一度お風呂に入った時の湿り気が、少し残っている。あの時の騒がしい感じも嫌いじゃないけど。
ふいに、いちかは思い出したようにカバンから何かを持ち出して、袖に入れる。
二人でこっそりと部屋を後にする。
——今夜はまだ、眠りたくない。
***続く***
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