interlude:今夜は眠らない!

惚れあたり注意


 夜の露天風呂の空気は、昼間よりも静かだ。俺は、湯気の立ち込める空に向かって叫び出したい気持ちを、お湯の中に顔を沈めて吐き出し、やっとの思いで堪える。


 盛大に負けた。

 自分から勝負に割り込んでおいて。しかも、相手はあの姉ちゃんだ。さらに、嫌味の上塗りのように、勝者の特権だけはこちらに譲られた。当事者はちーなんだけれど、我が事のように悔しい。

 でも、部屋割りでちーが俺を指名してくれたのは掛け値なしに嬉しかった。そんな我欲に忠実な感情のせいで、なおさら複雑だ。


 俺は洗い場で身体を洗っているちーに声をかける。


「ごめんな」


「ん?」


「卓球、勝たせてやれなくて」


 ちーのことなら、たとえ姉ちゃんを敵に回したって守ってやるって、本気で意気込んでいたんだ。


 ——結構自信あったんだけどな。

 乳白色のお湯の上に右足を浮かべる。体脂肪率十六パーセント。引き絞った大腿筋とふくらはぎ。ピッチを誰よりも速く駆けるために、しっかりとコンディションは維持している。

 でも、ちーをフォローしきれないんじゃなんの意味もない。


「隣、入るよ」


「おいで」


 湯面を割って、ちーがちゃぼんと風呂に入ってくる。

 抱きしめたらすっぽりおさまってしまうくらい小さいくせに、割と肉付きのある身体。肌の表面は、お湯を弾いてほんのり桜色に染まっている。

 ちーは両手を上げて、うーんと伸びをする。


「あたしはすっきりしてるんだ。萌くんのおかげだよ。お姉ちゃんとあたしで続けてたら、もっとひどい結果になってたと思う」


「ちー……」


「だから、ありがとう」


 ちーがへらっと笑いかけてくる。それは、もうすっかりいつもの彼女。

 こんな些細なことでも胸が高鳴ってしまうのは、俺だけなんだろうけど。長い間錆び付かせていた『ときめき』という回路が、ここ最近どうにもショート気味で困る。

 ——手とか繋いだら、びっくりするかな。

 本気で悩んでいた俺を、ちーがじいっと見上げているのに気づいた。


「萌くんとお風呂入るの、ちょっと恥ずかしくなっちゃった」


 ふいに、爪先から頭のてっぺんまでぴりっと電流が走る。

 ああ、こんなことって本当にあるんだなぁ。心臓が血潮に乗せて、愛おしさという脳内物質を過剰に供給してくる。まだお湯に浸かって五分も経っていないのに、茹であがってしまいそうだ。


 底の見えないお湯の中、ちーの手を探して、指先につっと触れる。


「次は勝とうな、姉ちゃんに」


「もちろんっ」


 頬を紅潮させたちーは、ししっと歯を見せて微笑んだ。




   ***続く***

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