pair #2


「はぁぁ……——」


 ——染みる。染み渡っていくなぁ。

 乳白色のお湯に肩まで浸かって、湯気の向こうの真っ青な空にめがけて深呼吸をする。ぴりぴりとした刺激がおさまってくると、心地のよい熱さが肌を包み込む。


「女子高生が上げる声じゃないわよ。りさちゃん……」


「いいんですよ。この気持ちよさの前では誰もが無力です……」


「溶けてますねぇ〜。はふぅ……」


「そんなこと言って、顔真っ赤だぞー。ちー……」


 先輩、私、ちーちゃん、そして萌黄くん——右から順に並んで、それぞれ左隣の人にもたれかかる。先輩の長い黒髪を結んだお団子と、ちーちゃんの水気を含んだ栗毛が、私の首筋を撫でてくるからこそばゆい。

 泉質——硫黄塩泉。つんと鼻をつく匂いがまた一層、特別なひと時を演出してくれる。小高い丘の上にある露天風呂から眺めるパノラマの大自然。緑と青のコントラストは「絵になる」の一言に尽きる。ビブラートやこぶしの一つや二つ、出そうと思わなくても自然と出てくるというものだ。


「いやーっ、貸し切りってのも素敵よね。十二人団体様よぉ」


「宮古先輩、今回はどんな手を使ったんですか?」


 こっちはヒワさんと詩織だ。私たちの向かいで思い思いにくつろいでいる。

 詩織の好奇心丸出しな質問に対して、先輩は、私の肩にもたれたまま答える。


「私はなんもしてないわよぅ。全てはウチの妹の、日頃の行いと幸運の賜物ってねぇ——」


「へぇ、いちかさんが?」


「いやぁ、雑誌の懸賞に当たっちゃったんですよ。『絶景写真特集部、限界崖っぷちの大盤振る舞い!!』、こりゃ応募するしかないと〜。——はふぅ……」


「茹でだこみたいだぞー。ちーぃ……」


 萌黄くんの日焼け気味の顔も、いい感じに朱が差している。その肩に、ちーちゃんが甘えるように頭を乗せて、唸っている。


「いちか……。無理しないで上がったら?」


「だいじょーぶー。————はふぅ……」


「あの、私たちまでご一緒させてもらって、ありがとうございます」


 ちーちゃんの友達——ゆっちゃんこと結さんと、たまちゃんこと夏目珠希なつめたまきさんも一緒だ。化粧を落としても美人な結さん、礼儀正しくて親しみやすい珠希さん。ちーちゃんを交えて三人とも全く違う性格だけど、とても仲が良さそうだ。


「気にしないでいいのよ、二人とも。いちかのチケットなんだから。それに、男湯の方にだって四人もいるわけだし」


 男湯には、伯父さんと羽賀先輩、斉木くんと櫻井くんがいる。

 群馬県の奥地にひっそりと湧く秘湯——。この場所には、先輩と伯父さんが運転する車に分乗して来た。古くて小さいけれど小綺麗な旅館と、気さくな雰囲気の仲居さんに歓迎されて、ちょっといい気分を味わえたものだ。

 一度は断りかけた旅だけれど、今は来てよかったという想いが胸を満たしている。シケンのみんなと気まずい雰囲気になるのではという不安が杞憂に終わってくれてほっとした。ヒワさんと詩織の会話をきっかけに緊張がほぐれて、以前と変わらぬ調子で話に加われたと思う。そうして振り返ってみると、先輩が詩織と伯父さんを引きずり込んだのは、私のためでもあるのだろう。


「まさか、初香さんたちがバカにいの知り合いだとは思わなかったですけどねー」


「俺と凛咲さんは知ってたぞー……」


「私が知らなきゃ意味ないでしょ! この鈍ちん——っ」


「ぶぇ——」


 べしゃっと音がして萌黄くんの顔にタオルが投げつけられる。

 結さんの苗字は斉木。シケンの『炎天下の漫画家』——斉木茂くんの妹だ。実際のところ、名簿を丸暗記したときに気づいていたけど、今まで打ち明ける機会がなかったのだ。悪いことをしたなと思う。

 でも、結さんも斉木くんも、当日の朝になるまで、お互いが同じ旅行に呼ばれていることを認識していなかったというのには、驚きを通り越して呆気に取られてしまった。

 先輩がにまにまとして口許をおさえる。


「あらあら、斉木兄妹は不仲なのかしら」


「——だって、ダサいじゃないですか!」


「ふぅん?」


「聞こえてんぞぉ、結!」


 ふいに、男湯から怒声が響き渡る。


「先輩、あんまり煽らないで——」

「ゆっちゃん、そのくらいで——」


 珠希さんと私の声が重なる。

 珠希さんは宥めるように、結さんの肩に手を添える。しかし、控えめな制止は一度スイッチの入った結さんには効き目がなかったようだ。彼女が勢いよく立ち上がると、周囲にお湯の飛沫が舞う。きらきらと陽光を反射する水滴を弾くモデルのように整った肢体が露わになる。


「聞かせてるのよ! 家族の前で『漫画家になる』なんて大見得きっておいて、あっさり漫研辞めちゃうような人にね!」


「あのなぁ——!」


 にわかに剣呑になりかけた空気を打ち破ったのは、面白がるように双眸を細めている先輩でも、湯面に泡ぶくを立てているちーちゃんでもなく。


「つまり、結ちゃんは茂くんが心配なわけだぁ。うんうん、わかるよ。熱血バカだもんねぇ、茂くんは。妹としてしっかりしなきゃって気持ちは、すっごく共感」


「ひでえっすよ、ヒワさん!」


 この一触即発なやり取りの中にあって、マイペースにも、詩織から次期生徒会選挙がもにょもにょと裏情報を引き出そうとしていたヒワさんだった。


「——いえ、そんなんじゃないですけど……」


 思わぬ方向からの横槍が、結さんを無理なく引き下がらせる。首までお湯に浸かって、ばつが悪そうに俯いてしまった。そんな彼女の頭を珠希さんが撫でて、やんわりとフォローしてくれる。

 とりあえず場が収まったようで一安心だ。ヒワさんは先輩に匹敵するくらい強かな思考の持ち主。その一方で、先輩とは異なるベクトルの影響を周囲に与えるムードメーカーだ。『シケンのひまわり』の異名は伊達じゃない。


「ふふ。面白そうなので、ヒワさんに耳寄りなお話を提供しますよ」


「えっ、マジですか!? 詩織ちゃんは女神さま!?」


 ——あ、その話再開するんだ。

 これだけ人が集まっていると情報についていけない。どうやら私は『図書室の令嬢』のようだし、生来、大勢の集まる場はあまり得意じゃない。先輩はにやにやと気持ち悪い笑みを浮かべたままだし、もうどうでもよくなってきた。


「ゆっちゃん、たまちゃん。あとで卓球やろうねぇ〜。——————はふぅ……」


 ——それにしても、意外と大きいな。ちーちゃん。

 先輩も結構あるけど、もしやそれ以上……。半分沈みかかっている彼女のそれと比較しつつ、私は自分の胸に手を当てて、真剣にため息をつく。それを、耳ざとい先輩が聞き逃してくれるはずもなく——、


「そういうのは二人きりの時に考えなさいな。手伝ってあげるわよ」


 とても他人様には聞かせられない一言を、私の耳元で囁いてくる。


「……変態ですか」


 あぁ——、もう本格的にどうでもいいや。私も沈もう。

 はふぅ……。




   ***続く***

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