interlude:今夜ははしゃぎたい!

親友談話 #1


   ***珠希***




 物心ついた頃には夏目家は母子家庭だった。


 お母さんは建築関係のデザイナー。忙しい人だったけれど、学校から家に帰るといつも美味しい夕食を作って待っていてくれた。わたしとそっくり同じところにあるそばかすをくしゃりと歪ませて笑う、気立ての良い人だ。

 代わりに夜中、わたしが寝静まってから、持ち帰った仕事をこなしていたのも知っていた。だから迷惑をかけないように、できるだけ早く帰って、できるだけ早く一人で眠るようにしていた。


 わたしが小学三年生の頃、ついにお母さんが倒れた。お医者さんが言うには過労による急性心疾患だった。幸いにも命に別状はなく、後遺症もなかったため、二週間の入院を経て復帰した。

 原因が仕事と育児によるオーバーワークであることは明らかだった。しかし、祖父母を早くに亡くして頼るあてもない一家にとっては、お母さんの現職の仕事を維持できるかが最後の生命線だった。わたしには隠していたつもりのようだけど、パソコンはずっと病院のベッドの枕元にあって。早く復帰しなきゃという焦りが子供心に伝わっていた。


 結果的には、なんの障害もなく、後腐れも残さず、お母さんの職場復帰は果たされた。


 変化があったのはわたしのほうだ。

 学校での付き合いを全て断って、ことさらに早く家に帰るようになった。もちろん、家事をするためだ。掃除、炊事、洗濯のやり方を本やネットで調べつつ、たどたどしいながらもレパートリーを増やし、仕事上がりのお母さんを出迎えて、ちょっぴりしょっぱいお味噌汁を一緒に食べるまでになった。お母さんはどんなに失敗しても「偉い」と褒めてくれた。

 そのお母さんが曇った表情で口にする。


「ねぇ、珠希——」


「大丈夫だよ。ちゃんとできる。わたし、お母さんの役に立ちたい」


 そう答えると、お母さんは何も言わなかった。

 勉強の成績は維持するように努力した。常に上位十位以内をキープし続けた。公立の中高を出てできるだけ早く働けるようになるためだ。学校、家事、勉強——当時のわたしを構成していたのは本当にこれだけだった。




 だから当然と言うべきか、進路調査票に書いたのは地元の公立の中で成績上位の中学校——大和一中——一択だった。


 宮ちゃんたちと出会ったのはこの頃だった。

 宮ちゃんはいつもカメラを持ち歩いていて、よく先生に叱られている変わった子だったけど、底抜けにプラス思考で、一緒にいると抱きしめられているような安心感があった。どこか遠くを見据えている鳶色の瞳は大人よりも大人らしくて頼りがいがあった。

 同じクラスだった宮ちゃんと一緒にいる——というより、ほぼ一方的に距離を縮められている——うちに、ゆっちゃんや萌黄くんとも付き合うようになった。

 萌黄くんは常に日焼けをしているサッカー少女だった。クラスは違うけれど、宮ちゃんとは従姉妹で幼馴染という深い付き合いをしているからか、短い会話だけで全てを分かり合っているような信頼関係が築かれているようだ。

 ゆっちゃんは派手なグループに属しているけど、その中でも際立っていた。百人が見たら九十人が可愛いと言うような、琥珀色のウェーブヘアを降ろした女の子で、キッズ誌の読者モデルをやっているなどといった、近寄りがたい経歴を持っていた。でも、宮ちゃんとは低学年からの付き合いらしい。よくちょっかいの掛け合いをしていて、その瞬間は等身大の小学生女子になるのだった。


「みんな、進路書いた?」


 ゆっちゃんが希望調査票の紙の端を持って、ぺらぺらと風をはらませる。きっと彼女のはまだ白紙だろう。


「萌くんとあたしは、大和一中だよ」


「萌黄くん、サッカーやるなら報瀬しらせ中のがよくない?」


 宮ちゃんの応えに対して、ゆっちゃんはより魅力的な案を提示する。報瀬中は大和地区トップを維持し続けている中学女子サッカーの名門だ。


「いいの。大和一で都下の天辺とればいいんでしょ」


 チャレンジャー精神旺盛な彼女らしいというか、一方で合理的な彼女の性格を考えると、この決断の理由にはもっと個人的なものがありそうだ。

 制服が可愛いから、とか——?

 想像もつかない。


「珠は?」


「——わたしも、大和一中。部活も強制じゃないし」


 公立のわりにバイトがゆるい学校だ。朝のバイトと、放課後の商店街のお手伝い。それくらいなら中学生のわたしにもできる。

 そして高校は近所の進学校に進む。そう、それが最善だ。


「まぁ、お母さんのことがあるものね」


「うん……」


「珠ちゃん、中学はともかく、高校は悩んでるんでしょ」


「——え?」


 宮ちゃんに言い当てられた思考がフリーズして言葉を忘れさせる。


「前に珠ちゃんちに行ったときに、料理だけじゃなくてお菓子のレシピ本も見つけて。調理師免許の本もあったから」


「——それは、その……興味本位で」


 わたしはしどろもどろになって言い訳をする。願うたびに無理だと否定してきた、それでも、本棚の隅に燻っている祈りのような願い。


「この近くで料理の専門課程がある高校は——橘だけだよ。でも、私立かぁ。奨学金は前提として、週二くらいでバイトして、少しでも貯蓄しておきたいところだね」


 ちーちゃんがはきはきと、わたしがずっと考えては打ち消してきたことと同じことを口にする。


「あんまりしっかりしたバイトはちょっと……」


 家のことができなくなる。それでは本末転倒なんだ。


「最初のうちはあたしが家事と学校のことをお手伝いするよ。珠ちゃんが勉強とバイトに集中できれば楽かなって。だんだんと、お母さんと分担できるようにしよう」


「私もテニスが空いてる日なら、いけるわ」


「右に同じく」


  宮ちゃん、ゆっちゃん、萌黄くん、全員が手伝ってくれると表明してくる。

 わたしの進路の——家庭の問題なのに。


「みんな……」


「それから、うちの料理クラブ。お昼に活動してるみたいだから、覗きに行こうよ」


 宮ちゃんはさらにアイデアを紡ぐ。ほぼ全クラブの体験入部を制覇しただけのことはある。

 宮ちゃんは栗毛に包まれた首から下げたコンパクトデジカメを揺らしながら、愉快な鼻歌に興じる。ちょっとテンポが速いようなそれも、彼女らしい。


「たぁーだぁーしっ、瑞希さんには全部話すんだよ。バイトのことも、あたしたちのことも、夢のことも」


「宮ちゃん……」


「やれること全部やってみたら、希望は案外目の前にあるのかもしれないよっ」


 宮ちゃんのひだまりにような笑顔が、わたしに向けられる。でも、その鳶色の瞳は、まるで問いかけるように、わたしの胸の内を捉えている。


「珠ちゃんは、どうしたい?」


「——わたしは、夢、目指したい。最初はお母さんのお手伝いから始めたことだけど、だんだん興味を持つようになって……。今は好きだからやってるの」


「うん」


 ゆっちゃんと萌黄くんが、後押しするように頷く。


「だから、わたしは橘に行きたい。三人にもやりたいことがあるのは分かってるけど、わたしを助けて。お願い」


 不安はあった。もうお母さんに倒れて欲しくないと、心から思っていたから。でも、宮ちゃんたちの言葉は不思議と『やってみよう』という気持ちを起こさせる。この四人がいれば、きっと何もかもどうにかなっちゃうような、不思議な全能感みたいなものがあった。


 それが、わたしにとって初めてできた友達。きっと一生ものの予感がする、大切な親友たちとの、出会いのお話。




   ***続く***

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