親友談話 #2




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「落ち着いた?」


「はい、もうすっかり楽になりました」


 薄暗い帳の下りた空を背景にして、提灯の明かりを灯した商店街がルビーの川のように見えた。ひしめき合う人たちの動きは緩慢で、ともすれば凪のよう。あの中にいたときはとても忙しなく感じていたのに、不思議なものだ。

 詩織さんとわたしは、その様子を俯瞰で眺めている。

 みんなに持っていくための唐揚げとお好み焼き、それから真っ赤なりんご飴を一本とサイダーを二本買ったわたしたちは、商店街の小道に逸れて長い石段を登った。役者のようにぴんと張った背中に引っ張られ中腹まで来て、腰を下ろした頃には、わたしは膝に手をつき息も絶え絶えの体だった。詩織さんは呼吸すら全然乱れていないというのに。

 詩織さんはりんご飴をしゃくっと齧ると、睫毛を伏せた眼差しで商店街を見つめたまま言う。


「この階段を登りきるとね、小さな神社があるの」


 彼女は肩にかかった長い髪を払った。


「縁結びにご利益があるそうよ」


 言外に「行ってみたらどう?」と言われている気がして恥ずかしくなり、その奥ゆかしげな微笑から逃れるように、彼女が差し出してきたりんご飴を齧る。表面の砂糖の層がパリッと割れて、前歯が林檎まで到達しなかった。普段なら甘すぎるくらいのざらめは、お祭りっぽさという魔法にかかれば美味しい。


「あの——、詩織さんと凛咲さんって、高校からのお友達ですよね?」


「急ね、どうしたの?」


 何かの話の折に、凛咲さんは鎌倉の方から引っ越してきて、橘に入学したのだと聞いた。

 一方、詩織さんは大和市に根を下ろした伝統ある旧家の一人娘らしい。彼女は「川島家の娘は代々橘女子を卒業してきたのよ」と、少女小説のような身の上を語ってくれた。地元の小中高一貫の女子校に通っていた彼女は、高校から橘に在籍している。

 つまり、二人の付き合いは一年と数ヶ月ばかりということになる。その割には阿吽の呼吸というか、とても信頼し合っている印象を受ける。まるで、宮ちゃんと萌黄くんのような。


「すごく長く付き合っている親友のように見えるので」


「ううん。珠希さんたちは、いつから?」


「小学校からです」


 詩織さんは合点がいったようににこりと微笑みかけてくる。


「ふふ、とっても仲がいいものね」


「いえ……そんな」


 その真っ直ぐな視線に射竦められてしまう。

 わたしは今度こそりんごに歯を立てる。思ったより固くて、顎に少し力を入れて齧りきる。


 わたしはお母さんと、宮ちゃんやゆっちゃん、萌黄くんの努力のお陰で今の生活を送れている。学校と勉強と家事の無限の繰り返しから、少しだけ逸することができたのだ。私立橘高校への入学が叶い、家事も母と分担に、さらに週一回のお料理研への参加まで実現できているという充実っぷりだ。

 『やってみたいけど我慢していること』を親子できちんと話し合う——わたしがずっと避けてきた行為を、やってみようと後押ししてくれたのは三人だ。

 お母さんの調子もこのところ安定している。家事とお母さんの仕事の手伝いをしながらだけど、自分なりの未来を描くことも全くの非現実ではなくなった。本当、感謝してもしきれない。

 わたしの人生を変えてくれた、素敵な親友だと言い切れる。


 翻って、詩織さんと凛咲さんの関係はどうだろうか? 好奇心は自然と湧き起こってくる。


「短い間だったけれど、凛咲と私は生徒会で宮古——初香先輩の下にいた。あの頃の毎日は愉快だったわ」


「へぇ……。生徒会……ですか」


「まぁ、あの子は生徒会を辞めちゃったけれどね」


 詩織さんは苦笑混じりに告げる。陰りを微塵も感じないのは、彼女の育ってきた環境のせいだろうか。

 ——凛咲さん、生徒会役員だったんだ。二年生以上では有名な話なのかな。

 確かに二人とも、そんなオーラがある。ただの優等生じゃない、方向性は違えど周囲に影響を与える何かを持っている。


「でもね、元を辿れば、幼稚園からの付き合いなのよ」


「あれ、でも、凛咲さんは大和を離れていたって……」


 詩織さんは楽しむように忍び笑いをする。


「凛咲とは文通をしていたの。携帯やパソコンじゃなくて、紙の文通を。ちょっと前まで——小中の八年間くらいかしら」


 やり直しのきかない紙に手紙を書いて、封書に入れて郵送する。携帯やスマートフォンのメッセージアプリで事足りる時代に。

 ——それを、八年も。


「そんなに長く、ですか……——」


 彼女は両の袖をつかんで、軽く腕を組む。


「私は書道を習い始めた頃だったから、すごく丁寧に文をしたためたつもりだったのよ。文章もすごく練って、時間をかけて推敲して。なのに、凛咲ったら丸っこい文字で『海が綺麗だ』とか『金星が輝いている』とか、素っ気ない手紙ばかり。国語の成績はいいはずなのに。挙句にね、絵だけ、なんてこともあったわ」


 メッセージアプリでも相手への返事に迷うことはある。時折、すごく丁寧に返したいと思う言葉に出会う。言いたいことは伝わっているよと、その意を表明するだけなのに、文章だと野暮ったくなってしまう。意図せぬ長文になったりすると、一旦なかったことにすることもしばしばだ。迷った挙句スタンプで返す。そんなことも一度や二度ではない。

 そんなとき、凛咲さんは、絵で表現するのかな?

 凛咲さんの絵を見たことがないから、はっきりしたことは言えないけれど、彼女にとって絵を描くことが特別なのはなんとなく分かる。


「——なんだか、微笑ましいです。凛咲さんは絵だけでも詩織さんに伝わると信じていたんでしょうね」


「そういう考え方もあるわね」


 詩織さんは感心したように頷いている。

 彼女はたおやかな微笑を崩さない。まるっきり、それが普通の表情であるかのように。


「江ノ島での生活も大変だったでしょうに。凛咲は悩み事を一度も言わなかったわ」


 ふと、宮ちゃんの微笑が浮かぶ。ポーカーフェイス気味の、誰にも心が読めない表情。彼女は周囲の悲しいとか苦しいとかマイナスの感情をどこかに溜め込んで、『楽しい』というプラスの感情に変えているみたいだ。

 最近、彼女も凛咲さんと一緒に江ノ島にいたらしい。


「宮ちゃんは、いつも笑ってるんです」


 彼女が笑っているから、激しやすいゆっちゃんも、憂鬱に考えがちなわたしもどこかプラス思考でいられる。


「でも、そういえば、悩み事、口にしたことなかったかも」


「悩みを口にしてこなかった、か。——そう。もしも白日の元にさらされるとしたら、それはとても大きな悩み事かもしれないわね」


「え————」


「経験よ。あまり鵜呑みにしないでね」


 経験——か。もし詩織さんにも思い出があるのなら、少し聞いてみたくなった。そんなに付き合いの長くない相手に、こんな質問ができるなんて、わたしにとっては度胸ある行為だ。お祭りというのはそういう場なのかもしれない。


「大きな悩み事を持っている友達を助けることは、できないでしょうか……?」


 詩織さんは少し考え込むように、手の甲に顎のせて、商店街の方を見つめる。


「親友なら、たとえどんなときでもそばにいることかしら。もしその人が険しい道を選んだとしたら、見守るのは、とても根気のいることだけど」


「見守るだけ、ですか……?」


 本当にできることはそれだけだろうか。わたしのときは、宮ちゃんたちは行動で示してくれた。わたしもそうありたいと思ったんだ。


「友達ってね、案外何もできないものよ。家庭にしても進路にしても、恋愛にしてもそう。重要なことを決めるのは友達の役目じゃない。それでも何かしたいと思うなら——、友達であり続けることしかないわ。もちろん、自分が友達としてできる範囲は全力でやるのよ」


 お母さんと相談したのも、バイトをしながら学校生活を楽しむことを決めたのも、自分だった。宮ちゃんたちはそばにいて、時々困っていたことを手伝ってくれただけ。見方を変えればそうだったようにも思う。

 彼女たちはいつだって笑って、友達でいてくれた。

 それなら、宮ちゃんがもし困難に直面したとしても、わたしは変わらず親友でいつづけよう。


「さあ、そろそろ行きましょうか」


 夜空はいよいよ暗くなり、花火大会の時間が近づいてきていた。




   ***続く***

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