step #4


「なんか楽しいこと、ないですかねー?」


 ちーちゃんは読んでいたインテリア系の写真雑誌を閉じるなり、デジャヴ感が半端ない台詞を呟いた。

 昨日と同じ資料室に二人。今日はどちらも五限で放課の日なので、まだ十六時前である。

 私は読んでいた文庫本から少女に視線を移す。


「うーん……。しりとり——はもうお腹いっぱいだわ」


 昨日はやけに盛り上がってしまったけれど、冷静に考えてみると毎日やってたらすぐ飽きるだろう。間違いなく。


「しりとりも楽しいけど、ちゃんと同好会らしいことがいいですね」


「同好会……ねぇ」


 放課後ウォーカー——そんな同好会が誕生したのは、四月も半ばに入った頃だった。

 活動目的は「自分が本当にやりたいことを見つける」という、いかにも青春っぽい謳い文句の集まりだ。部員はちーちゃんと私——以上。校則で決められた最低条件すら満たしていない、二人の間だけの同好会。有り体に言えば、ちーちゃん流のお遊びなのだ。

 私は部活らしい部活をしていないし、付き合う分には構わない。でも、この子は——、


「写生大会とかどーですか?」


 この子は……。間違いなく分かってて言っているんだろう。

 「言ってみただけ」と言わんばかりの平然とした微笑みを、半眼で睨み付けてやる。


「よ〜しっ」


 ちーちゃんはいつもの日向色の笑顔で、私の鼻先まで迫ってくる。少女は私の目を覗き込んで、楽しそうに言った。


「楽しいこと。こっちから探しに行きましょう!」




   *




「——で、うちに来たってわけ」


「うん、まだ体験入部できるよね?」


 へらへらっと訊ねるちーちゃんを、彼女の友達——斉木結さえきゆいさんは呆れたように見つめる。

 無理もない。詩織経由で得た情報によると、現時点で入部希望を出していない一年生は、ちーちゃんただ一人である。締め切りは四日後——今週の金曜日だ。


「そりゃ部長に頼めばできるけど、あんたバスケはどうするのよ」


「悩み中かなぁ」


「贅沢な悩みだこと。河内先輩まで付き合わせて……」


 一面に青々とした人工芝が広がっている。ここは校庭からフェンスで区切られたところにある、六面のテニスコートだ。

 結さんはラケットで自分の肩を叩く。モデルのような体型に小さな顔、よく見るとくっきりした二重にマスカラを盛った派手めの女の子だ。きっと女子からも男子からも目立つことだろう。いつもは下ろしている琥珀色の巻き髪を、今はサイドテールにしている。


「ごめんなさい、結さん。迷惑だったら言ってね」


「いえ。こっちこそ、ほんっとうにすいません! この通り変なことばっかりするんですけど、根は悪い子じゃないんでっ」


 彼女は早口で言うと、きっちり百三十五度のお辞儀を——ちーちゃんにさせる。もう一押しと、栗毛の頭がさらに押し込まれていく。


「——あ、もう無理ですっ、むりっ!」


「いいのよ、大丈夫。私も暇してるから。ちーちゃ——いちかちゃんを責めないであげて」


「わざわざ呼び直さなくてもいいですよぉ」


 その言葉と共に結さんはちーちゃんの頭を離す。

 解放されるなり、彼女は友達に「痛いよ」と文句を言った。


「お、ちーと結だ。どうした?」


 ふいに、私の頭の上から包み込むような優しく囁きかけるような声。振り返るとそこにいたのは、体操着を着た背の高い——女の子だった。うっすらと萌黄色の混じった黒髪のショートヘア。やや男性的な整った顔立ちの美形だが、近付き難さを感じさせない、人当たり良さそうな雰囲気をまとった子だ。


「萌くんっ」


 ちーちゃんは花が咲くように名前を呼び、私の脇をすり抜けてその子——サッカー部に入部したての一年生、東萌黄あずまもえぎさんに寄り添う。私に対するのとまるっきり同じような距離感だ。違いがあるとすれば、二人にしかわからない空気感みたいなものが横たわっていることか。


「東さんって、ちーちゃんの友達だったの?」


「いちかの従姉妹ですよ。お隣さんで、生まれた頃からの付き合いみたいです」


 斉木さんはなにやら複雑なニュアンスを込めて答えてくる。

 ——確かにかなり親密な関係に見える。


「萌くんは外練?」


「うん。そっちの綺麗な人は——やっぱり、二年の河内凛咲さん?」


「そうだけど。やっぱりって……?」


「こいつがよく話してくるんですよ。それに、一年の男子にも噂広がってますよ。橘には『図書室の令嬢』がいるって」


「——んなっ!?」


「げ……、やばっ。知らなかったんですか?」


 東さんがしまったという顔をする。


 顔がみるみる火照ってくる。自分の預かり知らぬところでそんな呼び名が付いていたなんて。綺麗も大概だと思うけれど、今どき『令嬢』って……——初耳なんですが。

 思い起こせば壱月亭で、ちーちゃんもお嬢様とかのたまっていた。ただのおふざけかと思ったら、この噂に掛けていたのか。


 校庭の方から「萌黄ぃ!!」と怒鳴り声がする。


「——あはは。呼ばれてるんで、俺行きます」


 苦笑する東さんに向かって、結さんが一歩踏み出す。


「部活、がんばってね」


「結もね」


「う、うん」


 結さんが控えめな声で返事をする。


「明日は朝ご飯食べにきてよーっ」


「おす!」


 東さんは悠々と校庭の方へと全力疾走していった。

 爽やかな感じのいい子だった。文武両道、女子受けする整った面立ちと仕草。昨日思い描こうとして断念した、ちーちゃんが付き合いたいと思うような人——最有力候補は彼女かもしれない。

 手を振って見送るちーちゃんの背中を、結さんがじっと見つめていた。


 東さんの背中が見えなくなった頃、結さんも踵を返す。


「それじゃ、私は隣で打ち込みやってるんで、お二人で好きなように打っててください。一時間はコート使えますから。ごゆっくり」


「ゆっちゃん、ありがとー」


「ありがとうもいいけど、来るなら来るで次からは早めに教えてよ。今日はたまたまコートが空いてたけど、いつもすぐ埋まっちゃうんだから」


 ちーちゃんは右手でピースサインを作って、ししっと笑う。


「りょーかい」


「ごめんね、結さん」


「河内先輩のせいじゃないですよ。いちかの無茶振りに付き合ってくれて——、むしろ同情してます」


 私が軽く会釈すると、結さんは隣のコートに戻って行ってしまう。言い方は厳しいけれど、なんだかんだとちーちゃんを見守ってきた優しい子なんだろうと思った。


「さぁて、やりますか。せんぱい!」


 ——どうぞお手柔らかに。

 私はそう願いながらラケットを胸の位置に構えた。




 そして十分後——、


「無理。もう無理……」


 私は息も絶え絶えに膝をつく。手から滑り落ちた黄色の硬球が、てんてんと転がる。ちーちゃんの底無しのスタミナは、入学初日に嫌と言うほど見せられた。根っからの文化部気質な私がついて行けるわけがない。


「サーブ、こっちですよー!」


 少女は両手を振って、情け容赦なしに次を要求する。


「タイム!! 休憩——、ちょーだい!」


「せんぱい、ラブですよっ!」


 ただいまのセットカウント『30 - 0』。

 ——ふぅん……、そんな使い方してくるんだ。


 一転して火がついた。「やってやろうじゃない」と、私はボールを握り締め、立ち上がる。

 ベースライン手前ぎりぎりから、ボールを真上に放り上げる。落ちてくるタイミングに合わせて、腰から身体を弓なりに引き絞り、インパクト。抜けるように爽快な音が弾ける。

 今日一番の勢いの乗ったサーブは————、コートを飛び越えてフェンスに真っ直ぐ突き刺さった。




   *

   *

   *




 火曜日からの三日間、同好会・放課後ウォーカーは橘高校中の部活を回り続けた。

 テニス部に始まり、バレー部、卓球部、バドミントン部、ハンドボール部、ソフトボール部、野球部、サッカー部、ラクロス部、校舎裏ワンダーフォーゲル部、科学部、コンピューター部、軽音楽部、吹奏楽部、管弦楽部、漫研部、造形部、書道部、茶道部、華道部、将棋部、囲碁部——、その数なんと三十以上だ。


 そして木曜の夜の入り、ちーちゃんは入学式の日以来再びバスケ部の体験に参加している。

 初日と同じように、ファイブ・オン・ファイブの試合形式でコートを駆け抜ける。その姿は本当に全力で楽しんでいるようだ。ちなみに、私はコートの端で見学している。運動部巡りの疲労が溜まっていて全身が重かった。


「いいよ、宮古。ガードとして飛び抜けてる」


「吉谷さん」


 彼女はタオルで汗を拭きつつ、私の側に立つ。


「全中の頃から目をつけてたんだよね。本当、ウチに来てくれて嬉しいよ」


「ええ、そんなにすごいんだ?」


「そりゃね。ガード——あ、ポジションね。ガードじゃ五本の指に入るくらいの実力だったよ。ウチだけじゃなくて、他の学校でも、宮古を狙ってるとこあるんじゃないかな」


 今更驚かないけれど、こうして他の人からの評価を聞くと、ちーちゃんの凄さを改めて知らされる。


「宮古のやつ、ウチの入部届けを保留にしてるんだ。河内さんは、なんか聞いてない?」


「私は全然。ちーちゃんと部活の話はしないから……」


「そうかぁ、残念」


 吉谷さんは期待しているんだろう。バスケ部に入れば、彼女はきっと活躍できる。美術部だってそうだ。明日体験入部すると聞いているが、行けば歓迎の嵐に違いない。

 写真部が三年前に廃部になってしまったのは残念だ。存在していれば、彼女は迷いなく入ったんだろうか。

 この学校では部活動への所属が義務付けられている。

 いずれにせよ、ちーちゃんが白黒付ければ、みんな納得するんだ。


 もう自分だけの『楽しいこと』を知っているはずの後輩。私のためにこうして無為な時間を過ごさせるのは、もったいなさ過ぎる。




   ***続く***

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