hydrangea #1.5


 その子はいつも通りの曜日、いつも通りの時間に、すっかり見慣れた制服を着て、受付に現れた。胸元には青藍のネクタイピン。手には近所の花屋のミニブーケが入った包み紙を持っている。


類家るいけさん」


「あ、ごめんなさい」


 今日は金曜日の割に、待ち合いが空いているような気がする。それでも、患者さんや家族の方々の足は絶えなくて。受付の列が途切れたのを見計らって、うんと伸びをした瞬間に、声をかけられた。肩がごきっと派手に鳴ったのを聞かれたかもしれないと思うと、非常に気まずい。


「河内です。面会、お願いします」


「はい。じゃあこれに名前書いて」


 面会記録簿に名前を記入した河内さんに、面会者用のカードを渡す。彼女は律儀に、私に一礼してから、エレベーターホールに歩いていく。


「あの子、毎週金曜日に必ず来てますね」


 脇からひょこっと顔を出してきた、若い看護師が言う。


「ご家族——ですよね。ご両親と一緒にいらしてるのは見たことないですけど」


「そうよー。大和から通ってるの」


「大和って——、東京のっ? 鎌倉ですよ、ここ」


「ああ、新野にいのさんは知らないんだっけ。彼女、ご両親と離れて暮らしてるのよ」


 私は新野さんに、パソコンの画面を向ける。河内さんのカルテと面会記録を見せると、新野さんは真顔になって、それを読み始めた。

 彼女は毎週金曜日、十八時にぴったりに来て、面会時間いっぱいまで病室にいる。行く先は決まっている。


 ——510号室。

 ——河内咲季こうちさきさん。


 たぶんまっすぐ病室に行って、時間になったらまっすぐここに戻ってくる。

 彼女はそれを、九年間続けているのだ。




   *




 簡素な病室だ。ベッドの周りに、バイタルセンサーの小さなモニターと点滴が置いてあるだけ。物音ひとつない白い空間は、まるで時が止まったかのよう。

 その中で、咲季は相変わらず、リラックスした顔で眠っている。


「咲季、おはよう。凛咲だよ」


 枕もとに顔を寄せて、いつもの挨拶。当然だけど応えはない。


 窓辺に置かれた口の細い透明なガラスの花瓶を手に取る。前回生けた青いカンパニュラの切り花はまだ元気そうだったが、抜き取って新聞紙に包む。

 代わりに持ってきたミニブーケの包みを開ける。一輪の青紫陽花の切り花。お店に並んでいるもののうち、一番鮮やかな色合いのものを選んだ。花瓶の水を入れ替えて、それを生ける。


 いつもの決まりきった作業を終えたら、後は二人で自由に話をする時間だ。


「ねぇ、聞いて? 私、やっと描けたよ」


 ベッドサイドにあるパイプ椅子に腰掛けて、彼女に報告する。


「何度も話したよね。ちーちゃん。あの子のおかげ」


 彼女の手を包み込むように握る。細くて青白い手首。でも、確かに温かくて、とくんとくんと脈打っている。


「目が覚めたら一番に会わせるよ。きっと友達になれる」


 ——そうしたら、三人で絵を描こう。

 私とそっくり同じ顔をした、双子の妹。


「咲季——」




   ***続く***

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