film #2


 新しいクラスは二年C組だった。文系クラスである。

 入学式とホームルームを済ませ、今日はお昼前に下校になった。うんと伸びをして、半分帰宅部の私はこれからどうしようか思案する。


 結局、入学式ではいちかちゃんの顔を見つけられなかった。


 いちかちゃんの臙脂色のネクタイピンが脳裏によぎる。

 私達が通う私立橘高校の制服は、男子は濃紺のブレザーに同じ色のパンツ、女子は濃紺のブレザーにチェック柄のプリーツスカートだ。胸元のネクタイは男女共通だが、女子の方が太いデザインになっている。

 そして一番の特徴は、学年毎に色の違う桜モチーフのネクタイピン。進級するときに色が変わるのではなく、入学時の色を引き継いでいくため、今年は一年生が臙脂、二年生が青藍、三年生が松葉である。


「お。河内さん、また一緒のクラスだね」


 知り合いの影を探すでもなく教室を見回していた私に、吉谷よしたにさんが話しかけてくる。

 男子よりも短いくらいのショートヘアをした快活な子だ。特別親しいわけでもないけれど、一年の頃からなにかと話す機会が多い。


「よろしくね」


「今年も頼りにしてるよー、特にテスト前」


「えぇ、なによそれっ」


「まあまあ、そう膨れなさんな。冗談だって。まぁ、半分くらいね?」


 ——半分は本気なのか。

 お茶目っぽくウィンクを決めた吉谷さん。

 そんな彼女の耳が、後ろから引っ張られる。


「ほれ行くぞ、吉谷」


 吉谷さんと同じバスケ部の木村さんだった。確か隣のクラスの。


「痛い痛いって」


「すぐ集合って言ったろ。こんなところで油売ってんじゃないよ」


「ちょっとくらいいいでしょー」


「ダメ。あんたいつもそう言って準備サボるんだから」


「ぐ……」


 耳たぶを掴まれたままの吉谷さんがたじたじだ。

 木村さんは口調は厳しいけれど、面倒見が良いタイプの子らしい。おおらかな吉谷さんとは相性がいいのかもしれない。


「さて、部活行ってこようかな。今年は期待の新人が入ってくるみたいだし」


 木村さんに引きずられるようにして、吉谷さんが教室を出ていく。

 部活動が活発な学校の例にもれず、入学シーズンは新入生の奪い合いだ。バスケ部は早速今日から勧誘を始めるらしい。


 吉谷さんの足が廊下の向こうに消えていくのを眺めていると、今度は、入れ替わるように教室に戻ってきた純と目が合う。

 風間純かざままこと——彼女も一年生からの付き合いだけれど。フレンドリーな吉谷さんと違って、「またお前と同じクラスか」とばかりに睨みつけてくる。本当、ずいぶんな嫌われ様だ。


 ふいに、肩に手が乗せられる。


「りーさ」


 傍らに立っていたのは、川島詩織かわしましおり。小学校から続いている、私の唯一の親友だ。

 幸運なことに彼女とも二年連続で同じクラスである。三年生に上がる際にはクラス替えがないので、三年連続ということになる。


「もうお帰りかしら?」


 彼女は肩にかかったロングヘアを払いつつ聞いてくる。


「そうだけど、詩織は? 一緒に帰る?」


「ううん、これから生徒会の仕事なの。ほら、勧誘活動の見回り」


 詩織はてきぱきとした調子で告げる。

 旧家の一人娘である彼女は、幼い頃から大人の前に出ることが多かったそうな。そのためか、周りの同級生よりも大人っぽく見える。一年の頃から生徒会書記と茶道部の副部長を兼任している才女だ。


「そっか、頑張ってね」


「冷たいなぁ。暇なら凛咲りさも手伝ってくれないかしら。今年はなにかと人手が足りなくて困ってるのよ」


 詩織は奥ゆかしげな目に「わかるでしょ?」と、結構強引なメッセージを込めて訴えかけてくる。

 ——最初からそのつもりで話しかけてきたのか、と軽く呆れる。

 まぁ、困っている理由に心当たりがないわけじゃない。だからこっちもとぼけたわけで。私は顎を手の甲に乗せて、唸るように呟く。


「そりゃ今年はね……」


 あの人がいないんだし。


「ねぇ、お願いよ! 宮古先輩が抜けた穴を埋めると思って」


「仕方ないなぁ、今回だけなら。詩織の頼みだしね」


「さすが凛咲!」


 嬉しそうに手を合わせる詩織を見ていると、なんとなく、あの頃に戻ったような気がしてくる。詩織がいて、頼りになる先輩たちがいて、——春の嵐のようなあの人がいた。




 詩織の担当は文化部だったので、校舎から少し離れた場所にある文化部部室棟の見回りをした。

 生徒会を取り巻く情勢から離れて久しいが、彼女の評判は上々の模様だ。料理部からクッキーをもらい、軽音部からは二週間後に開催される歓迎ライブの優待チケットをもらった。囲碁部からの挑戦は——さすがに辞退した。

 そんなこんなで文化部の見回りを終えた私たちは、生徒会室の前に来ていた。


「凛咲がいてくれて良かったわ。早速、全校生徒の部活とクラスを把握してるんだもの」


 ——よくもまぁ。

 生徒会が取りまとめた個人情報満載の名簿をさり気なく横流ししてきたのは、他ならぬ彼女だ。白々しいことこの上ないけど、それを隅々まで覚えている自分の律儀さを指摘されたくないので、口の端をぴっと結んで黙ることにする。

 元々は、人を覚えるのが得意ではなかった。しかし、記憶力に自信がないわけではなかったので、必要に迫られて人の顔と名前とその他もろもろを要領よく暗記できるようになってしまった。もう必要になることはないと思っていたのに、まんまと詩織の手のひらで踊ってしまっている。


 詩織が生徒会室の扉をノックする。

 中から「はい」と、淡白な返事が返ってくる。少し苛立ちを含んでいるような反応だ。


「——私、外で待ってようか」


「どうして?」


波照間はてるま会長に嫌われてそうだし」


「そんなことないわよ。仕事だって手伝ってくれたじゃない」


「でもねぇ……」


「凛咲が気を遣うことはないでしょ。生徒会書記を手伝ってくれた一般生徒を邪険にする理由がどこにあるのかしら?」


「ま、それならいいけど」


 詩織はにこにこ笑っている。

 一年生の夏頃までは、私も生徒会の役員だった。しかし、行事満載の秋に向けて忙しい盛りの時期に辞めてしまった。その一件で、辞める間際まで引き止めてくれたのが、当時会長になりたての波照間先輩。彼を困らせた責任は感じている。なにせ、その頃の生徒会は、未曾有の人手不足に陥っていたのだから。

 以来、生徒会室にはなんとなく近寄り難さを感じてしまう。

 そんな私が助言するのはおこがましいかもしれないけれど——、


「学年から一人ずつ、役員を増やした方がいいんじゃない? あとは他の委員会にも手伝ってもらうとか。先輩と同じことができる人なんて、そうそういないんだから」


「やっぱりそうよねぇ。後で会長に相談してみるわ」


 詩織が生徒会室の押し扉を開ける。


「あ——っ」


 部屋へ入るや否や意表をつかれたような声をあげた詩織と入れ替わりに、


「へ————?」


 目に入った光景に、思わず素っ頓狂な声が漏れ出た。

 艶やかな黒髪を揺らして、その人が私の前に現れた。




   ***続く***

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