film #3


「りーさちゃん」


 詩織と入れ替わりに生徒会室から出てきたのは、先輩だった。


「——ひゃ!?」


 思わず変な声を上げてしまう。まったく予想していなかったタイミングで予想外の人物が登場したら、驚かない人はいないだろう。

 ゆったりとしたエスニック柄のワンピースに、木彫りの首飾り。新鮮に映る、先輩の私服だ。

 生徒会室は二年生教室と同じ階にある。背中にクラスメイト達の視線を受けつつ、二週間ぶりに会う先輩に視線を向けた。私より少しだけ背が高いので、ほんのちょっとだけ見上げる格好になる。


「……久しぶりですね。こんなところまでどうしたんですか?」


「なにって、りさちゃんに用事、決まってるじゃない。これからイイトコに連れてってあげる。もちろんヒマでしょ?」


 しれっと。まるで決まったことのように言う。優しく細められた、有無も言わせない眼差しが見つめてくる。

 ——またこの人は勝手に。


「生憎でした。今日もこれからも、暇じゃないんです、私」


 即決でお断りする。

 暇じゃないのは事実だ。この後は詩織と一緒に体育館の見回りに行くことになっている。もちろん、ただの手伝い。先輩の用件も聞かずに断るほど切羽詰まった用事でもないけど。


 先輩は、そんなのお見通しと言わんばかりに不敵な笑みを崩さない。私の反応を窺うように、待っている。


 息が詰まるような間が訪れて、目尻が熱くなりかける。

 今更、喉が震えているのを自覚する。

 そこに、タイミング良く詩織が現れる。


「宮古先輩、お久しぶりです」


「詩織ちゃんも久しぶりー! 進級おめでとう」


「ありがとうございます。宮古先輩こそ、ご進学おめでとうございます。大学にはもう通われているんですよね」


「ありがと。詩織ちゃんは相変わらず礼儀正しくて可愛いわねー」


 言った矢先、先輩は詩織の腕を取って密着する。

 そんな何気ない仕草にも心がざわついてしまう。親友にさえ嫉妬してしまう器の小ささが、我ながら嫌になってくる。


「りさちゃん借りていいかしら?」


「はい」


 詩織はにこやかに即答する。この裏切り者め……。


「代わりにお願いが。ほんのついでなんですけど、凛咲の用事も借りて行っていただけませんか?」


「あぁ、そゆこと。了解。じゃあ、波照間くんには第二体育館の見回りをしておくからって伝えておいて」


「よろしくお願いします。凛咲もがんばってね」


「ちょっと、勝手に……っ」


「じゃ、行こっか。りさちゃん」


 とんとん拍子に詩織と話を進めた先輩は、私の手を勝手に握ると、ずんずん歩き出す。


「詩織ちゃんもやるようになったわねぇ。波照間くんはちょっと頼りないけど、なんとかやっていけそうで安心だわ」


「——っ、大学はどうしたんですか?」


「細かいことは気にしないの。ハゲるわよ」


「禿げ……——って、そういう問題じゃないですよ。早く体育館に行ったらどうですか? 私は行きませんけど」


「あら、それはりさちゃんのお仕事でしょう? 貴女が行かないんじゃ、私も行く意味がなくなっちゃう」


 なんでそんなに涼しい顔をしていられるのだろう。

 居心地が悪い。いちいち調子を狂わされる上に、さっきからすれ違う人達がちらちら見てくるのだ。


 ——主に、先輩を。

 二年生の教室前に私服の女性が居るのだから当然と言えば当然だけど、理由はそれだけではないと思う。


 先輩——宮古初香みやこはつかは良くも悪くも目立つ存在だった。

 七十年以上の伝統を誇る私立の女子校だった橘高校に共学化の波が訪れたのは、ほんの四年前のこと。

 先輩はその一期生。しかも詩織に言わせると、入学から三年間を通して生徒会の会長を務め上げた辣腕である——らしい。実際、私からみても筆舌に尽くしがたい活躍ぶりだった。

 今年になってドイツの姉妹校との交換留学が復活したのも、先輩の働きかけがあったからだ。

 行動的で破壊的。ある人からは慕われ、またある人からは暴君と謗られる。

 本人は「言いたいことを言ってるだけ」と、実に平然としているのだから見上げたものだ。二年生のフロアに何食わぬ顔でやってくるのだって、その自覚のなさの現れである。


 そして、居心地が悪い原因はもうひとつ————、


 先輩と私には秘密があったから。


「……分かりました。とりあえずお話聞きますから」


 先輩の背中を押して階段の裏まで移動する。これ以上教室の前にいると胃だけじゃなく全身に穴が空きそうだ。

 詰めていた息を思いっきり吐き出す。


「で、なんの用事ですか?」


「体育館に行けば分かるわよ」


 私に目配せをして、ぽつりと一言こぼす。


「わざわざ生徒会室までこなくても、電話でよかったじゃないですか」


「言っても来ないでしょーに」


 その通りなので何も言い返せない。

 分かってる。頑なになっているのは、バツが悪いのは、先輩が有名人だからじゃない。

 私が個人的に、先輩と会いたくなかったからだ。


「————福屋の抹茶大福あるんだけどなー」


「ほんとですか!?」


 ————あ。

 やらかしたと思ったときには既に遅い。次の瞬間目に映るのは、満足そうに頷く先輩の姿。


「福屋が好きなの……、よく知ってましたね」


「りさちゃんのことならなんだって分かっちゃうのよ、私は」


 そういうことは軽く言わないでほしい。

 視界に収まる後ろ姿ですら、胸が締め付けられるような景色になってしまうんだから。


「調子のいいことばっかり。分かってますよ。うちの近くで美味しい抹茶大福って言ったらそこしかないですからね」


 また喉が震えている。


「そう言うことにして、急ぐわよ。観戦しながら食べましょ」


「観戦……?」


 言ったきり一つの説明もなく、先輩は体育館の方へと、勝手に歩いて行ってしまう。また、私の手を引いて。

 もう諦めて、なにも聞かずに付いていくことにした。


 強引で勝手で——なのに私は、どうしようもなくこの人に振り回されてしまう。




   ***続く***

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