film #5


 我に返った観客たちのどよめきは、インターバルに入っても続いた。感想は総じて「メチャクチャだな、あの子」だ。私もそう思う。

 ベンチに戻ったいちかちゃんに、二人の少女が駆け寄って行く。ウェーブのかかった明るい茶髪の子とショートの黒髪の子だ。

 まず、茶髪の子が詰め寄った。


「こらぁ! なんてシュート打ってんのよ! 点差考えなさい!」


「いやー、ね。ちゃんと入る気がしたんだよ。——なんとなく」


「あ。なんとなくって言った! こいつぅ」


「まぁまぁ、ゆっちゃん。落ち着いて」


 宥めるのは黒髪の子。三人の付き合いの長さを感じさせるやり取りだ。

 それを眺めているうちに、ふと思い至る。


 ——みやこ……って呼ばれてたよね、試合中。みやこいちか——もしかして……っ!?


 大福が喉に詰まりそうになった。

 隣の先輩は涼しい顔で彼女たちを見ている。


「————どしたの?」


「なんでもないです……」


 複雑な思いが胸を満たす中、第四クォーターが始まった。


「こんなところに居た。探したわ。こっちは大変だったのよ」


 いつの間にか、側に詩織が立っていた。私を咎めるように口を尖らせている。応援席に居座って完全に観戦モードだったので、気配に気付かなかった。今更ながら、大福の粉がついた手のひらを下に向けて隠す。サボりを追求されたら先輩のせいにしよう。

 詩織には悪いけれど、コートから目を離せない。そんな私に倣って、彼女もスコアボードに視線を移した。


「わ、すごいね。今年の新入生チーム」


 そう、すごいのだ。

 私の知っている限り、新入生が模擬試合でリードを保った事例はない。

 そもそも吉谷さん曰く、模擬試合の目的は、入部希望者にふるいをかけること。ここで力量の差を見せつけて、なお入部の意志が変わらない者を正式な部員とするための、一次試験なのだ。そうでもしないと、希望者が多過ぎて立ち行かなくなる。

 かような事情もあり、新入りに花を持たせてやろうと思っている選手は一人もいない。

 ちなみに、その壁を乗り越えてめでたく入部すると、親善試合という名の洗礼が待っている。今度は部の一員として、学年によるヒエラルキーを叩き込まれるらしいのだけど、それは別の話である。


 隣に腰を下ろして、詩織が言う。


「もしかして勝っちゃうのかな? だとしたら大ニュース」


「ギャラリーに新聞部の小野田先輩が来てる。とっくに注目されてるよ」


「ふふ。さしずめ期待の新人ってところね」


 楽しそうに笑う詩織の声を聞きながら、私は別の思いに囚われていた。

 ——コート上の少女。その活き活きとした姿が、猛烈に気持ちを掻き立てるのだ。


「私は会長に報告してくるから、あとはゆっくり観戦してていいわよ。先輩も、また」


「うん。波照間くんにビシッとするよう言っといて」


「伝えておきます。——凛咲は、先輩と仲良くね」


「……善処します」


 詩織の背中を見送るのもそこそこに、私はコートに目を戻す。

 このクォーターも、いちかちゃんは目まぐるしく試合を彩っていた。




 試合終了のブザーが鳴る。

 結果は『77 - 72』——辛くも、二年生チームの勝利だ。

 息の詰まる攻防に、手汗がじっとりと滲んでいた。


「はー、負けちゃったぁ!」


 いちかちゃんはコートの端に仰向けに倒れる。

 そこに、彼女の友人であろう二人が駆け寄っていく。


「惜しかったねー。もうちょっとだったのに」


「フル出場でよくあれだけ動けるわね。アンタって……」


 反対側のベンチでは、二年生チームが汗だくで座り込んでいる。

 彼女たちも、新入生たちに負けるのはプライドが許さなかったらしい。第四クォータで発揮された抜群の連携プレーは、公式試合ですら発揮したことのないレベルのものだったそうな。と——、これも後から吉谷さんに聞いた話である。


 言ってしまえば、いちかちゃんが選手たちのポテンシャルを引き出したのだ。

 これがスポーツ青春物なら、確実に一年生エース誕生の瞬間だろう。


 それにしても、あの子の本命はバスケ部だったのか。

 ——まさか運動部に取られるなんて思いもしなかった。

 朝、ほんの少し会話をしただけの関係なのに、なんとなく残念な気持ちがわだかまっていた。


「あっ、せんぱーい!」


 こちらに気付いて両手を振る彼女に、控えめに手を振り返す。

 それを見た先輩は、意外そうに問いかけてきた。


「知り合いなんだ?」


「はい、朝ちょっと——」


 いちかちゃんが、即席のチームメイトに呼ばれて駆け出していく。どうやら記念写真を撮るようだ。カメラマンを務めるは、もちろん彼女だ。

 それを見届けた頃、先輩がすっと立ち上がった。


「さて、私は部室の方に顔を出してこようかなぁ」


 ——部室。と言えば、一箇所しかない。


「付いてきてくれる?」


「——嫌です」


「そっか、残念」


 大して残念でもなさそうな響き。

 しかし、次の言葉を、先輩は急に真剣な面持ちになって告げる。


「十八時に桜の園で待ってて」


 ——あ……。


 先輩が背中を向けて、去っていく。


 ——卒業しても会えますか?


 聞きたかった。答えが欲しかった。

 でもそんなこと、聞けるはずもなかった。そんな資格すら私にはないのだ。

 だって元々、なんの約束もない関係だったのだから。




   ***続く***

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