shot #2


 お昼はローストチキンの香草焼きとヒラタケの炊き込みご飯を食べた。

 ちーちゃんと伯父さんの話はやはりというか、写真のことが中心だった。ちーちゃんが伯父さんの写真集をバイブルにしているだけあって、二人の会話は共通の言語を用いてリズミカルに交わされる。短い時間のうちに、お互いの理解が深まっているのが手に取るようにわかった。私は写真に関して明るいわけじゃないけれど、ビーズのクッションを抱いてだらっとしながら、それを聞いているのも興味深かった。

 でも、ふとした会話の中でちーちゃんが、入学式の日——桜の園での一幕をあまりに美化して語るから、だんだんといたたまれなくなってくる。


「凛咲ってば、恥ずかしがることないのにね」


「そんなとこも可愛らしいんですよ〜」


「ちーちゃん、わかってるねぇ」


 とか、勝手に言い合っている。伯父さんが二人に増えたみたいでちょっと頭痛がしてきた。

 本物の方の伯父さんが顎をしゃくって、頭を抱える私に告げる。


「ほら、凛咲。着替えてきな」


「出かけるの? 別にこれでも——」


「フィールドワーク、いこうよ」


 ああ。その単語に合点する。

 確かに、白地のワンピースではすぐに砂だらけになってしまうだろう。


「俺はその間にカメラの準備してるよ。ちーちゃんは?」


 言う間にも、彼はカメラのレンズを外して、メンテナンスを始めている。


「あたしは整備してきたので。せんぱい、ついて行ってもいいですか?」


「うん、いいけど」




 部屋はシンプルにするように心がけていて、家具はベッドと本棚、学習机くらいだ。藤蔦の柄が描かれたカーテンが、春の微風になびいている。

 ワンピースの肩紐を解いて床に落とす。下着にキャミソールを着ただけの姿のままクローゼットを漁る。

 ベッドに腰掛けたちーちゃんは律儀に窓の方を向いている。時折差し込む光が少女の頬を明るく照らす。さっきまで伯父さんと熱い写真談義をしていたせいか、じんわりと桃色に染まっている。


「驚かないんだね」


「——?」


「伯父さんのこと。女の人だと思ってたんじゃない?」


 ちーちゃんと出会った頃、河内龍は女性の姿をしていた。長い癖毛に派手めの化粧をした外見は子供でも見まごうことなく。そこから一転、男性として振る舞うようになったのは数年前からのことだ。龍はペンネームであり通り名で、本名はりょうという。

 写真家界隈では普通に広まっている事実だから、彼女が知っていても不思議はないのだけど。


「ああ、そゆことですかぁ。うーん。昔のことはぼやっと覚えてるけど——、龍さんは気さくで、かっこいい龍さんのままだから」


 ちーちゃんは憧れを込めた横顔を見せる。それは夢を語る少年のようで、とても絵になると思った。伯父さんの本心を前にした父の無様な対応とは、まるで正反対だ。


「部活、入った?」


「これだってところ、見つけましたよ。せんぱいのおかげです」


 ちーちゃんはししっと顔を綻ばせる。萌黄くんを巻き込んだ『招待状』の一件は、『しりとり』への意趣返しと、素晴らしいお店との出会いをもたらしてくれたことへのささやかなお礼としての仕込みだった。喜んでもらえて大いに結構。


 制作用に買ってあったマーブル柄のTシャツにインディゴデニムのパンツを穿く。あとは——今日は暖かいから薄手のカーディガンで十分だろう。


「シケンにしたのね。やっぱり思った通り」


「せんぱいも一緒にやりましょう? 萌くんも入ったんですよ。部長やヒワちゃんたちも、待ってる」


 カーテンに合わせて身体を揺らしながら、ちーちゃんは歌うように呼びかけてくる。


「——私は、部に合わないよ。描けないんだ……」


 私がちーちゃんの隣に腰を下ろすと、彼女はこちらに顔を向ける。


「あたしは、せんぱいと部活したい。シケンには見たこともない『楽しい』がいっぱいがあると思うの。そこにせんぱいがいたら、もっとずっと楽しくなるって、分かるんだ」


 ——この子は描けとはいわないんだな。

 それがとても居心地よく感じられて、少女の肩に頭をもたれさせる。


「もうちょっと待っててくれる……?」


「うん。せんぱいのタイミングでいいんです。シケンにいたっていなくたって、あたしたちは、友達なんだから」


 ちーちゃんの言葉を噛み締める。

 ノックと共に伯父さんの艶やかな声が呼びかけてくる。私たちは返事をして、部屋を出る。キャップを被ってカメラと三脚を携えた伯父さんの脇をすり抜けて、笑いながら先を歩き出す。

 背中から軽快なシャッターの音が鳴り響いた。




   *




 伯父さんの家がある調布市千堂から、橘高校のある大和市へは、ローカル線で二駅行くとたどり着く。

 駅前通り商店街——道の両側には若者向けのセレクトショップや雑貨屋、映画館、レストランなどが立ち並んでいる。全体がストーン調のタイルと石造りの街灯、それにコブシの木が並ぶ歩道は、モダンな印象を与えてくる。こどもの日、七夕、夏祭り、ハロウィン、クリスマス——時季に合わせて様々なイベントが開催される、この地域のイベントスポットとしても人気だ。


 伯父さんはその一角にある喫茶店の木戸を叩く。フクロウの置き物の足元からぶら下がったドアノッカーがきぃきぃと金切音を鳴らす。


「おばちゃん。ここ、借りてもいい?」


 彼は扉を引いて中に向かって声をかける。

 すると、中から派手な菫色の長い髪をした女の人が出てくる。ほうれい線が目立ち始めた顔を怪訝そうに歪ませて、私たちを順に見渡す。


「龍ちゃん。今日は凛咲ちゃんも一緒か。あと——」


「いちかですっ」


 彼女は鋭い三白眼で、ちーちゃんをじろりと見下ろす。


「こりゃまた、めんこい子だね。両手に花なんて、贅沢だこと。いいよ、好きなだけ撮っていきなさいな」


「ありがとう、招鬼まねきちゃん」


 伯父さんは招鬼さんに千円札を渡す。

 彼女は伯父さんの高校時代の同級生だ。節分に真正面から喧嘩を売っているような名前だけど、私の知っている彼女も鬼を張り倒すくらいはやりかねない性格なので、その字面と共に強烈な印象が刻まれている。幼い私は近づくだけで泣いていたっけ——。


「ブレンド三杯ね。ちょっと待ってな」


 招鬼さんは一旦お店に引っ込んでから、すぐにコーヒーを持ってきてくれた。伯父さん、ちーちゃん、私の順にお店の軒先にあるプラスチックのベンチの脇——地べたに腰掛けて、商店街の人波を眺めている。三人揃ってジャケットを肩にかけ、三脚に立てたカメラを構えて。

 写真家・河内龍の持論である『居て見る』ということ。じっくりと時間をかけて、写真家自身が風景の一部に馴染むのを待って、人の自然な生活を切り取る。壱月亭でちーちゃんも実践したと言っていたけど、実際やるには忍耐力と根気のいる作業だ。

 街路樹の下に群生した赤紫色のツツジが、風に震えている。五つに広がった花弁の一枚一枚を観察して、メモ帳サイズのスケッチブックに模写する。ちょっとした落書きくらいなら筆が止まることもない。


「釣りに似てるかもね。ちーちゃんはやったことある? 釣り」


「はい。お父さんが好きで何度か」


「リラックスだよ。魚が来るまで何もしなくていい。彼らの習慣には波音一つ立てず、凪のようにじーっとしてる」


 実際、居座り始めた頃は好奇の視線がちらほらと向けられていたが、不思議なもので次第に気にされなくなってきたようだ。今や私たちは風景と同化していて、奇異に思う人は見当たらない。

 伯父さんがさりげなくシャッターを切った。ベビーカーに乗った子供が母親に笑いかけた瞬間だった。ちーちゃんはまだじっとしている。彼女なりの一瞬を待っているんだろう。

 おもむろに通行人を見たまま話しかけてくる。


「——せんぱい」


「ん、どしたの」


「月曜日は図書室にいますか?」


「たぶん——?」


 ちーちゃんはくるりとこちらを向いた。いつもより大人びて見える鳶色の瞳は先輩のそれに重なる。私はそこから思わず目をそらす。


「じゃあ、放課後ウォーカーの活動日にしましょうよ」


「シケンに入ったんじゃないの?」


「まだ、活動目的を果たしてないですからねぇ」


 ——自分が本当にやりたいことを見つける。

 ちーちゃんはシケンに入ると決めた。だから、彼女はそれを見つけたと言えるだろう。果たしていないとは——、私のことか。


「そんなの、意味ないよ」


「あたしは『本当にやりたいこと』をやるだけです。これでも得意なんですよ、探しもの」


 少女はしなやかに胸をそらして言った。




   ***続く***

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