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 旧校舎は年季の入った檜造りの建物だ。全面的に木製で、太い柱が瓦屋根をどっしりと支えている。本校舎から伸びる簀子の廊下を渡った先にあるその学び舎は、現在文化部の部室棟になっている。校舎の移設が行われたのは十年以上前のことだが、生徒の強い要望もあって定期的に補修しつつ使用されている。


 音楽室の前を通過していると、物憂げながらも気品を感じるピアノの音色が響いてくる。たしか部室としては未使用の部屋だ。

 その隣の教室が俺たちの目的地である美術室。


 ちーが檜の分厚そうな扉を引くけれど、建て付けが悪いのかびくともしない。「んん——っ」と唸っている少女を手伝って、俺も扉に手をかける。


 ——あれ、

 そう思った時には、扉が勢いよく滑り出す。思っていたよりずっと軽かった。

 ガタンっとやかましい音が轟いてしまう。


 美術室の中にいた三人の視線が一斉に集まった。


「——っわぁ、びっくりしたぁ」


 一番奥にいる女子生徒が口に手を当てて目を見張る。申し訳ないことをしてしまった。


 手前には男子生徒が二人。肌色が目立つフィギュアが置かれた机を挟んで胸ぐらを掴み合っている。

 向かって右にいるのは、ちょっとキザっぽいけど爽やかそうな人。ハーフなのか肩のあたりで綺麗に切り揃えられたプラチナブロンドの髪は、男子にしては華やかで印象的だ。ボタンを一つ開けたシャツが引っ張られてよれている。

 もう一人は、ブレザーの中に赤と白の縞模様をした薄手のパーカーを着ている。こちらは対照的ともいえる、短く刈った無造作な黒髪の人だ。ちーを見た途端に、眉間のシワがなくなって、代わりに朗らかな笑顔を浮かべる。

 二人とも青藍——二年生のネクタイピンを付けている。


「ねえ、もしかしてキミ、入部希望?」


「そーです!」


「お、やっぱりかぁ」


 赤白パーカーの先輩に二つ返事で入部の意を示すちー。何の説明もなく行き当たりばったりで決めてしまっていいのか——。ちっとも文脈が理解できなかったけど、とにかく本気らしいことはわかる。裏も計算もちっともない、正真正銘のにこにこ顔だ。

 そこに、プラチナブロンドの先輩がつかつかと歩み寄ってくる。


「喜ばしい。栄えあるシケン二期生の、記念すべき第一号は、キミだ!」


 彼は髪をかき上げて流し目を送ってくる。


「——そんなわけで、僕とお茶しに行かない? 入部手続きとか色々と教えてあげるよ」


「待てや」


 その肩を掴んだのはもちろん赤白パーカーの先輩。


「ん——? 居たのか、シゲ」


「……ミッチー」


「その渾名で呼ぶなと言ったろうが!」


「ああ、何度でも呼んでやるよ。ミッチー、ミッチー、ミッチーってな。宮古先輩が卒業したからって、速攻で一年口説いてんじゃねーよ」


「なんだとぉ!?」


 目の前で一触即発の雰囲気を醸し出す二人。そういえばさっきも取っ組み合いの最中のようだった。よっぽど仲が悪いのだろうか。


「——っ! 入部の子!?」


「いてぇ」


 その間を押しのけ、彼らを弾き飛ばす勢いで、奥にいた女子生徒が駆け寄ってくる。ウェーブのかかった、ちーと同じくらいのセミロングは、校則ぎりぎりっぽい向日葵に似た明るい色をしている。

 きりっとした目尻に涙を溜めて、彼女はちーの手を取る。身長もだいたい同じくらい小柄で、一つ一つのアクションがいちいち大袈裟だ。とても松葉のネクタイピンをしている三年生には見えない。


「よかったぁ。今年は誰も来ないかと思ったよー……————って、キミっ」


「こんにちはです、ヒワちゃんっ」


「いちかちゃん!? すごい、救世主だよぉ!」


「なんだ、ヒワ先輩の知り合いなんですか?」


「入学式の日にちょっと、ねー」


 ちーは「ねー」と重ねて、ぬくぬくと温かそうな笑顔を交わす。

 その間に盛大に尻もちをついていた二人の先輩も近づいてくる。

 そのうち、プラチナブロンドの——ちーをナンパしていた方の——先輩と俺の目が合って——、その顔が驚愕に歪む。


「お、王子——っ!?」


「どうも……」


 王子とは、サッカー部での俺の愛称だ。まさか文化部の上級生にまで知れ渡っているとは。しかし、そんな引くほど驚かれると少しショックだ。


「王子ですかぁ————、萌くんが?」


 ちーはきょとんとした表情をする。

 従姉妹が王子じゃピンとこないのも無理はない。


「王子も王子、おおマジよ。女子サッカー部に颯爽と現れた貴公子——、青薔薇の似合う女ナンバーワン!」


「ヒワ先輩のは、ただのミーハーじゃないっすか」


「うるせーやい。ウチは女子が八割もいるってのに、この部だけは妙に熱苦しいっていうかぁ、ムサいっていうかぁ、華がないっ」


 赤白パーカーの先輩に向かってヒワさんは言い募る。この部の男女比はこれから知っていくとして、よほど鬱憤が溜まっていたのだろう。


「俺も入りますよ。幽霊部員でよければ、ですけど」


 ヒワさんは雷に打たれたように衝撃をあらわにする。半開きの口から漏れた「うそ——っ」という一言には、なぜかエコーがかかった。


「あーあ、ヒワ先輩がフリーズしちゃった」


「王子……王子がウチに……? 嘘だろう……?」


「って、こいつもか。しょーがねぇ奴だな。二人とも、ちょっと待っててくれるかい」


「は〜い」


 早まっただろうか。

 気がついたら口走っていた。大して後先考えず、ほぼ無意識に。

 だからといって、取り消そうという気持ちも不思議と起こらなかった。そこに動機があるとすれば、ちーが入部するから。

 ついでに言うと、知り合いの先輩に聞き込み調査して、俺は彼女が知らない事実を一つだけ知っていた。

 この部は凛咲さんと姉ちゃん——宮古初香が作り上げた場所だということを。


「あ、紹介するね。アタシは大瀬日和。ヒワでいいよ。こっちが櫻井で、こっちが斉木」


 何事もなかったように動き出したヒワさんは、二人の先輩を順に指して言う。「王子がいたら僕のアイデンティティが……」と頭を抱えて唸っているプラチナブロンドの先輩と、愛想よく笑っている赤白パーカーの——聞き覚えのある苗字の——先輩。

 紹介を継いだのは赤白の先輩だ。


斉木茂さえきしげる、よろしくなー。えーと、いちかちゃんって呼んでいいの?」


「はい! シゲくんっ」


「はぅ——んっ」


 なにやらときめいたらしい表情をしている茂さんの顔を押しのけて、


「ごほん……。まあ、こいつの事は忘れていいからさ。僕は櫻井道明さくらいみちあき。ああ、今日の出会いはまさに運命! 仲良くしようね、いちか」


 道明さんが片手を胸に、反対の手を鷹揚に広げて、大層な台詞と共にちーににじり寄る。イケメンの部類に入る顔立ちをしているのに、中身はだいぶ残念なようだ。ちーがあまりにも簡単に背中へのボディータッチを許すものだから、割って入る。

 ——とりあえず警戒はしておこうと誓った。


「ミッチー?」


 道明さんの整った顔が一瞬で崩れた。


「う——。いや、櫻井先輩でいいよ」


「うはははははっ。お前、そのあだ名嫌いだもんな。宮古先輩のおかげで」


「やめてくれ……いろいろ思い出す」


 指を突きつけて大爆笑する茂さんの前で、道明さんは青ざめた額を押さえていた。よろめいて、机の上に手をつく。


「えーと、じゃあミッチーくんでっ」


「あんまり解決になってないなぁ……」


 いよいよ精彩を欠いていく道明さんは、床に膝をつき、机に肘を乗せて組んだ両手に額を当てる。そうか、彼も姉ちゃんの犠牲者なんだな——と、若干の同情を覚える。


「あはは。元気のある子はいいねーっ」


 ヒワさんは窓際にある机の引き出しから二枚のプリントを抜き出して、窓から吹き込む風にひらりとなびかせて見せた。


「もうすぐ部長が来るから、入部手続きはそれからしよっか。王子——東萌黄くんは有名だからいいとして。んだ、いちかちゃんの苗字は?」


「言ってませんでしたっけ。宮古です。宮古いちか」


 ちーの日向のような微笑みに——、

 先輩たちの表情が、忽ちにして凍りついた。




   ***続く***

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