相談

「とても信じられないよ、ウルリチ」


 ウルリチから大体の事の次第を聞いたアントンは、聞き終えると深い溜息を一つき、ヴァイツェン酒を一息にあおってそう感想を述べた。


 夕暮れ。

 ウルリチとアントンの姿は、アーガスバーグ繁華街の通り沿いにある一番大きな酒場「良き再会亭」のいつものテーブルにあった。二人の行きつけのその店は古くからある二階建ての大きな店で、仕事を終えた職人や人足で席は埋まりつつあり、フロアは徐々に賑やかになって来ていた。


「話してるのが君じゃなかったならね。でも君は僕の親友で、僕は君が信用に足る人物だと良く知っている。衝撃的な事件だったし、記憶の混乱もあるだろうから全くそのままのことが君の身に起きたかどうかは疑わしいとは思うけど、少なくともそのような……まるで吟遊詩人たちが歌う英雄譚のような出来事は何かしら起きたんだろう」

「うん」

「要点をまとめよう。

 君は君の家のキャラバンを率いて西シヴェンツェーグの物見砦へと補給物資の納品に向かっていた。そこを犬の顔した魔物の……えーと」

「コボルト」

「そう。コボルトの大軍に襲われ、護衛の騎士は半分が死んで半分は逃げてしまい、キャラバンの仲間たちは……つまり……」

「……大丈夫。続けて」

「……次々とコボルトの手に掛かり、あっと言う間に生き残りは君だけとなった」

「うん」

「そこへ黒ずくめの騎馬が駆け付けて来る。魔物たち……えーと」

「コボルト」

「コボルトたちは矢を射掛けたが騎馬の主には全く通用せず、またその馬脚が余りに速かった為に二射目は射てず、古式ゆかしい『ハゲタカ碑文の陣形』で、たった一騎の黒騎士を迎え撃とうとした」

「その通り」

「黒騎士はそれを認めても全く馬速を落とさずに、それどころか拍車を掛けて、魔物の……えーと」

「コボルト」

「コボルトの陣形のど真ん中に全速力の迫槍突撃ランスチャージで突っ込んだ。黒騎士はこの一撃で、五匹の魔物を葬った」

「多分。僕からはそう見えた」

「陣形は真っ二つ。風のように駆け抜けた黒騎士は馬から降り、精神を集中して呪文を唱えた。……どんな呪文だっけ?」

「マエグ・グワエウ。はっきり覚えてる。マエグ、グワエウ、だ」

「マエグ……グワエウ。何語だろう。公用語コモンでも、アオマン語アオマニカエでも、古ガラティナ語リンガラティンでもなさそうだけど」

「分からない……魔術用の特別な言葉かも」

「本当に魔術なのか? 弓矢や吹き矢の類いを使ったんじゃなく?」

 アントンの質問に、ウルリチは首を振る。

「彼女は弓矢も吹き筒も構えてなかったよ。それにコボルトの弓手は四、五匹いたが、殆ど同時に全員倒れたんだよ? 更に僕は倒れたコボルトを結構近くで見ていたけど、矢が突き刺さっているようなことはなかった。でも……」

「小さな毒針なら、刺さっていたのを見落としたかも知れない?」

「いや。それは勿論、可能性としてはないではないけど、そんな小さな針で魔物を一瞬で倒せるものかな。毒ってのは血の巡りに乗って身体に回って命を奪うものだろう。効果が出るまでに血が一巡りする時間くらいは掛かるんじゃないか」

「……分からない。正直、吹き矢の毒針で生き物が死ぬ所を見たことがない」

「それは僕も同じだよ。彼女が呪文めいた言葉を唱えた時、ひゅうっ、と風の音がしたんだ。それと近くの茂みがざあっ、と音を立てた」

「風を起こす魔法?」

「……どうだろう。命を奪う風の魔法。そんな魔法があるなら、説明は付くけれど」

 アントンは自分とウルリチの杯にヴァイツェン酒を注ぎ足した。そして自分の杯を一口呷ひとくちあおった。

「続けよう。黒騎士は不思議な呪文で魔物の……えーと」

「コボルト」

「コボルトの弓手を全滅させ、更に契約悪魔の巨漢の戦士を呼び出した」

「ザジ。オーク族のザジと言ってた」

「ザジが吠えると、魔物の……えーと」

「もう『魔物』でいいよ」

「魔物の群れは恐慌をきたし、そこに黒騎士とザジが抜剣して斬り込んだ」

「いや。抜剣したのは彼女だけだ。ザジは槍のよう武器を抱えてた。槍だけど穂先が斧みたいになってるやつ」

「二人は次々と魔物を倒し、あっと言う間に全滅させた。そして戦う彼女の姿を見て、君は……つまり」

「恋に落ちた」

 ウルリチは杯の酒を一口飲んだ。

「僕は今も、彼女のとりこだ」

「うん。彼女は君に馬を与え、荷馬車を買い取ると言って代金を渡し、食料は森の精霊に捧げると言った」

「その時、森の木々が鳴ったんだ。こう……ざわざわっと。まるで彼女のその言葉に喜ぶみたいに」


「エスト・ミヒ・リンガ・グラカ・サン」(それは私にとってグラカ語だ)


 訳が分からない、とアントンは言った。

 そう。あの日ウルリチが使ったこの言い回しは、アントンが気に入って使う言葉を真似たものだった。


「リデント・ストリディベルバ・グラカ」(愚か者はグラカ語を笑う)


 ウルリチの返事にアントンは、おっ、と嬉しそうな顔をした。


「分からないものにも敬意を払え、か。気の利いた返しだ」

「彼女が言ったんだ」

「……なんだって?」

「僕が状況に混乱して、君の言葉を借りたんだよ。エスト・ミヒ・リンガ・グラカ・サン。そしたら彼女が言った。リデント・ストリディベルバ・グラカ。愚か者はグラカ語を笑う……ってさ」

「愚か者はグラカ語を笑う。ガラティナの聖人、ケンティリアヌスの言葉じゃないか……。何者なんだ……その黒騎士は……」

「それを知りたいんだよ。どうしても」

 

 ウルリチは杯の残りの酒を一気に呷った。


「彼女の話ぶりでは騎士団の内情も知っている様子だった。剣技に優れ、教養があり、魔物を連れて魔物狩りをする魔法騎士。只者じゃないのは確かだけど、じゃあ何者なのか。僕はどうしてもそれを知りたい」

 ウルリチはアントンの手を取って握りしめた。

「手伝ってくれ。アントン。さっきも言ったが僕はもうすっかり彼女のとりこだ。何らかの形でこの気持ちに決着を付けない限り、僕は先には進めない。彼女のことを調べ、その居場所を突き止めて、彼女にもう一度会いたい。僕の、この気持ちを伝えるために」

「……彼女の答えは、君の望むようなものじゃないかも知れないぞ」

「分かってる」

「いや。会話にすらならないかも知れない。この前助けたのはたまたまの気紛きまぐれで、次に会ったら恐ろしい魔女の本性を現わして、一息に君を殺すかも」

「覚悟の上だ」

「高く付くぜ。時間も、金も」

「糸目は付けない。これは僕の、人生とその未来に関わる問題なんだ」


 アントンはウルリチを正面から見た。

 部屋の寝床では生きた死体のようだった彼の頬には今や赤みが差し、唇は潤って、瞳は強い意志に輝いていた。

 目の前で無二の親友が今までになく闘志を燃やしている。理由は恋で、相手は魔人を召喚して使役する一騎当千の魔法騎士。

 アントンは笑った。


「ニヒル・ディッフィケレ・アマンティ(恋をする者には何事も困難ではない)、か」


 そしてウルリチの手を力強く握り返しながら言った。


「よおし! やってやろう友よ。魔法騎士を捕まえて、君の気持ちをぶつけよう。そして上手く行っても、行かなくても、またここでこうして二人で杯を交わそう。ウルリチ・モイテングの経験した、叙事詩のような恋のために!」

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