エピローグ 春光の聖女

希望

「そして、彼女はここに帰って来ました。生まれ育ったこの教会、神の恵みと図書の教会に」


 長い長い話を終えたシスターはそう言って軽く溜息を吐いた。


「戦争が終わって五年。暫くは沢山の人たちが春光の将軍の……いえ、将軍はおかしいかしらね。戦争は終わり、グリステル・スコホテントトは元の修道女に戻ったのだから。それこそ騎士や貴族、王族の方々、エルフやドワーフ、影の民の方までもが彼女の、春光の聖女の墓碑を訪れ、献花して、語りかけたり、祈ったりしたものよ。でも今では……そんな人物は初めからいなかったかのように静かになって。たまに遠方からのお客様が、彼女の話を聞きに来るだけ。そう。あなた方のようにね」


 戦争が終わってから五年。

 国王キルデリク二世と王国の騎士たち、ドワーフ、エルフの一族、また四族の入り混じる春光の兵団の兵士たち、そして難民や戦後失業者の受け皿としての畑や港を造り、新たな共同体を構築したウルリチ・モイテングらの尽力により、影の民の氏族連合との和平はなり、不可侵線にはそれと分かるように白い真壁石の石塁が築かれ、影の民と王国との戦争はその幕を閉じていた。


「あなた方は影の民の方ね? 珍しいわね。旅にしても、こんな所までくるなんて。それに素顔で。窓の鎧戸を閉めましょうか?」


 神の恵みと図書の教会を訪れていた客は、若い男女の旅人だった。


「いえ、お構いなく。僕も彼女も貝粉膏モイテインを塗っていますので」

「貝粉膏……モイテング商会の品ね」

「ええ。これを塗っておけば炎天下でない限り、我々影の民も獣の革をかぶる必要はありません。年寄りたちは、素顔で歩き回る我々をはしたない礼儀知らずだといい顔はしませんが」


 答えた青年は銀色の髪に青い目をした聡明そうな若者だった。隣には同じ銀色の髪をした娘が、寄り添うように座っている。


「僕たちは、グリステル・スコホテントトに……春光の聖女に一言謝るために、彼女の足跡を辿って、ここまで来たのです」

「謝る?」

「実は僕たちは、会ったことがあるのです。彼女と、彼女の相棒として知られるザジ将軍に」

「まあ。まあまあまあ」

 人の良さそうなシスターは目を丸くして驚いた。

「いつ?」

「今から十年ほど前。当時ザジ将軍が守っていた物見小屋の近くで」


 銀の髪の男女は顔を見合わせた。


「我々は、グリステル様とザジ将軍とを、影の民の軍隊に売ったのです。我々は戦災孤児で、影の民は孤児を見張りや斥候として軍団の雑用をさせていました。私と彼女は、連絡の遣いの帰りに、水汲みをするヒュームの女を見た」


 シスターは息を飲んだ。

 そして、続けるように仕草で促した。


「軍隊はザジ将軍とグリステル様を捕まえる為に出動し、しかし取り逃したようでした。私と彼女は、戦争を止めた英雄を、危うく死に追いやる所だったのです」


 シスターは柔らかく微笑んだ。その目には涙を浮かべていた。


「近々、我々は結婚します。その前に、グリステル様に謝りたかったのです。危機に陥れて申し訳なかったと。そして伝えたかったのです。あなたが戦い、過ちを正し、人々を動かしてくれたお陰で、我々は平和の中で結婚することができるのだと」


 シスターは涙をこぼし、ハンカチを取り出してそれを拭った。


「ごめんなさい……やあね、歳を取ると涙もろくなって……」

 そして小さく咳払いをすると、二人の若者に向き直った。

「彼女はあなた方を恨んだりしていないし、もしこの場にいたとしても決してあなた方を責めることはないでしょう。あなた方の行いも、戦争という大きな歴史の流れの中で起きた出来事だからです。あなた方の結婚を彼女は祝福するだろうし、心から喜ぶでしょう。彼女が命を懸けて戦ったのは、まさしく、あなた方が掴んだような、人々の穏やかで幸せな暮らしを取り戻すためなのですから」

 若い二人は手を取り合って嬉しそうに微笑んだ。

「グリステルのお墓ね。案内してあげたいんだけど、私はこれからまた別のお客様をお迎えする約束があるの。けれど安心して。修道士に案内させますから。ニコラス、ニコラス」

 シスターに呼ばれて、奥から若い修道士が現れた。

「なんでしょう、シスター」

「この方々をグリステルのお墓に案内して差し上げて」

「分かりました、シスター。さあ、こちらです」


 二人は席を立ち、シスターもまた教会の入り口まで付き添った。


 教会を出ると戸口の脇には来た時と同じ姿勢で座り込む大柄の守衛がいた。


 若い二人は肩に槍のような武器を立てかけて座り込むその守衛にも挨拶をしたが、守衛は黙り込んで反応しない。目深にかぶったフードで表情は窺い知れないが、平和な昼下がりだ。名ばかりの守衛は転寝うたたねでもしているのかも知れなかった。


「では、墓碑まではこのニコラスがご案内します。私はこれで。良い午後を」

「ありがとう。とても良いお話が聞けました。シスター……あー、そう言えばお名前がまだでした。僕はエイダム。この娘はエバ。あなたは?」

「私はシスター・アンメアリ。お幸せに。エイダム。エバ。あなた方の婚姻に、あなた方の神様の祝福がありますように」


 エイダムとエバはニコラスに連れられて墓所へと去って行った。


 二人を見送りながら、シスターは小さな声で守衛に話し掛けた。


「心配なかったろう。彼らは普通の巡礼者だった。だが、私の身を案じてくれてありがとう。頼りにしている」

『……』

「どうした? 不機嫌だな守衛殿」

『おめえがあの二人にする話を聞いてたらな、あの時のことを思い出してな』

「またその話か。それはもう何度も謝っただろう。それに先に死んで見せて私を騙したのはきみの方だぞ」

『俺は騙したんじゃねえ。連絡の手段がなかっただけだ。でもおめえは最初から一芝居打つ段取りだったのを、俺に黙ってやがった』

「何度も説明したろう。ニコラスが枢機卿一派に家族を人質に取られていてな。私は彼に殺される必要があったんだ。それにあれで私を心良く思わない連中の、いらん手出しの心配からも解放された。獲物を捕まえたら猟犬も焼くのが世間というものだが、死んだ者を殺そうとする奴は中々いないからな」

『それが芝居だと俺に説明する時間はあったろうが』

「それは……まあな。だが戦後、私が牢屋に繋がれたり殺されたりしなくて済む手段を何か考えろと言ったのはきみだぞ」

『お陰で俺が泣き叫んだ場面が、お前のサーガの最後の章として今でも酒場で歌われてるんだぜ』

「だから済まなかったと言っている。それにザジのあの本気の態度があったからこそ、誰一人私の死を、ニコラスの暗殺の成功を疑う者はいなかったのだ。悪いがきみに事前に説明していたら、ことが起きた後のきみの演技は、あんなに真に迫るものにはならなかっただろう?」

『それは……そうだけどよ』

 フードの端から豚の鼻が覗いて、ぷい、と横を向いた。

「五年も前のことを今更蒸し返すな魔界の将軍。もうすぐメロビクスが子供たちと畑から帰ってくる。が不機嫌だったら、子供たちも訝しむぞ」

『拾ってきた戦災孤児を育てて、一緒に芋を洗う将軍がいるもんかよ』

「いるのさ。この教会には。二人もな。ほら、噂をすれば。とがり耳の妖精と小鬼たちだ」


「ザジの父さーん!」

「アンメアリの母さーん!」


 シスターは手を振った。


 大きな籠を背負ったエルフの青年の元から、六人の子供がシスターと守衛の元に駆けてくる。子供たちはシスターに、守衛に抱きついて、その背中に登ったり、腕にぶら下がったりした。


「お客様たちはまだのようですね。料理の支度を急ぎます」

「ありがとうメロビクス。さあ子供たち、メロビクスを手伝って上げて。今日はとても大事なお客様がいらっしゃるのよ」


「だーれー?」

「どんな人ー?」

「その人、角生えてるー?」


 シスターは姿勢を正すと指を一本立てて言った。

「一人はエルフ。魔窟の妖精姫。不思議な魔法の使い手の美しき森の妖精の女王」

 そしてもう一本指を立てた。

「二人目はドワーフ。穴蔵の髭付き樽。地の底で燃える鉄から剣を生み出す頑固な鍛冶屋」

 更に三本目の指が立つ。

「三人目はこの国一番のお金持ち。商家の幽霊男。七つの海に船を出し、森を切り開き、様々な種族が混ざって暮らす街を作った天才商人」

 そしてシスターの指は一編に二つ立ち、五つの指が子供たちに示された。

「そして王国の騎士が二人。羽帽子をかぶった歌の上手い騎士と、大きな剣を軽々と振り回す怪力の騎士」


「えー」

「すごーい」

「こわーい」


 子供たちはきゃいきゃいと騒ぎ立てる。


「そして最後の一人は……誰だと思う?」

「ニコラス?」

「ザジの父さん?」

「ウサギ! 絶対にウサギ!」


 シスターは秘密を語るように子供たちに顔を近づけて、小さな声で打ち明けた。


「最後の一人はね。馬屋の貴公子。勝利と終戦の仕手。この国の、お、う、さ、ま」

「えー!」

「おうさまー?」

「ウサギが良かったー」

「そんなこと言わないの。みんな、お客様がいらしたら元気よく挨拶するのよ」

「はーーい!!!」


 シスターは顔を上げて街道に繋がる道を見た。

 初春の涼やかな風が吹き抜け、空に雲雀ひばりの鳴く声が響く。


 道の先に、金の装飾が施された立派な馬車と、真っ白に輝く荘厳な馬車とがこちらに向かってくるのが見える。


 シスターは隣の守衛の手に指を絡めて握った。

 守衛は不器用に、だが彼なりに優しくその手を握り返した。

 馬車に気付いた子供たちが歓声を上げて駆け出して、エルフの青年がそれを止めようと慌てて追い掛ける。


 シスターはその様子を見て笑った。守衛も覆面の中で笑っているらしかった。


 彼女と彼は、穏やかな平和の空気を胸一杯に吸い込みながら、いつまでもこんな日々が続けばいいと思った。


 空は高く、どこまでも、どこまでも、抜けるように青かった。






〜オークに捕まった女騎士が、そのオークと力を合わせて戦争を終わらせる話〜


〜〜〜 完 〜〜〜

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オークに捕まった女騎士が、そのオークと力を合わせて戦争を終わらせる話 木船田ヒロマル @hiromaru712

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