悲痛
ナターラスカヤ砦では、王国の騎士たちと、戦闘に参加した南のエルフ族、カカンゴラヘイムのエルフの戦士たち、北のプレタニケ島から海を渡って駆け付けたドワーフの三氏族の戦士たち、そしてそれらより少数ではあるが、白煙と共に現れて王の窮地を救った春光の兵団の騎士たちが整然と列をなしていた。
戦いは王国軍の勝利で終わった。
影の民は散り散りに敗走し、王は無事砦に帰還、少なくない犠牲は出したものの、兵力の圧倒的不利を考えれば、王国の大勝利と言って良かった。
今、彼らが集っているのは、若き王、キルデリク二世の訓示を拝聴する為である。皆、手甲を解き、兜を脱いで右脇に抱えている。
高らかなラッパの音が日の暮れ掛けたナターラスカヤに響き渡る。
そして中央の一番高い物見櫓に白い鎧に白いマントを身に付けた若き王が姿を表した。
「傾聴!」
クニップローデの号令にザッ、と数千の踵が鳴った。
王が騎士たちの傾聴姿勢に右手を上げて応え、
「楽にせよ」
と言った。
「典礼休息!」
またクニップローデの号令があり、兵たちは足を肩幅に広げて姿勢を正した。
「まずは今日、我ら王国の窮地を救ってくれた神話より来たりし友人たちに感謝を述べたい。皆にも紹介しよう。誤った戦争を挫く為に、天より来たり地よりまろびでたリョーサルムヘイムとカカンゴラヘイムのエルフの王、そして魔窟の底、海を隔てたプレタニケより集いしドワーフの四氏族の頭領たちである」
再びラッパが鳴り、ティタとその従兄弟プワロンガ、デックと、似たような髭面の三人のドワーフたちが、王と並び立つように物見櫓に姿を現した。
「我々は長く、エルフやドワーフは神話中の不確かな存在と考えていた。だがそれは違ったのだ。彼らに伝わる歴史、そして我々に伝わる歴史、詳細を検証するのは賢者たちの研究を待たねばならないが、彼ら妖精と考えられていた種族たちは、この大陸に古くから住うまごうことなき人間の、先住民族である」
聴衆がざわついた。
「静粛に!」
クニップローデの号令で、兵たちは静けさを取り戻す。
「かつて西方より我々の祖先がこの大陸に移り住んで来た折、我々の祖先は既に鉄とそれを扱う技術を手にしていた。だが、この大陸に住んでいた彼らの祖先は僅差でまだその発明に至っておらず、生存圏を争う戦いに破れ、北方と南方に分かれて森に隠れ、諸島に移ったのだ」
王国の騎士たちからすれば寝耳に水の、驚くべき話だった。だが、実際にエルフやドワーフと言われる民が目の前に現れ、見た事のない技で戦うのを目撃している以上、異を唱えるのは頑迷が過ぎると言えた。
「賢明なるエルフの友人たち、そして偉大なるドワーフの友人たちよ。今日この勝利は、正しくそなたたちの知恵と勇気による所が大きい。遠方よりの足労と八面六臂の戦いぶり、感謝に堪えぬ。王国の、全ての臣民を代表して礼を言う。助けてくれて、ありがとう」
ティタとプワロンガは恭しく礼をしてそれに応え、ドワーフの頭領たちは鷹揚に頷いた。
「我々王国は砦の糧秣の五分の二ずつを両種族に供与する。また戦功賞金及び必要経費の返済として国庫より金貨にて八万三千五百リョーンずつをお支払いすることを、キルデリク二世の名に於いて約束しよう」
またどよめきが起こった。大金だった。だが、王国が滅ぶかも知れなかった戦いの功労を思えばそれでも足りないかも知れなかった。
「そして、我が国の誇り高き騎士たち、その従者や侍女たちよ。御苦労だった」
王は騎士たちの列にゆっくりと視線を送った。
「クニップローデ卿を先頭に、この砦を守った騎士たち、諸卿らこそこの国の盾、この国の剣である。惜しくも戦いに命を散らした勇敢なる戦士たちもまた同様に。諸卿ら、また戦没者の遺族たちにも八万三千五百リョーンの黄金をもって、その奮闘と忠誠とに応えたい。よく戦ってくれた。ありがとう」
王は肯くような仕草をした。
「そして、闘志天翔の諸卿らであれば次の戦いにも恐れず臨み、勝利すると信じるものである。紹介しよう。我が友にして三族同盟の立て役者、吟遊詩人に不死の英雄として歌われた春光の兵団を率いる竜殺しにして奇跡の将軍、グリステル・スコホテントトである」
またラッパが鳴った。
物見櫓に更に一人の人物が上がる。
聴衆に一際大きいどよめきが起こる。
そこに現れたのは歌に聞く凛々しい女騎士ではなく、エルフの青年を伴って立つ、一人のか細い修道女だったのである。
「静粛に! 静粛に!」
クニップローデが繰り返し号令を掛けたが、兵たちが静けさを取り戻すには時間が掛かった。
「皆も知る通り、彼女は元々神の法と共にある修道女である。戦いを終えた今、剣を置き、鎧を脱いだ彼女が修道女の姿なのは自明である。
さて、これから彼女が語る真実。
それを真摯さを持って聴いて欲しい。
それはこれまでの我々に取って、またこれからの我々に取って非常に重要な内容だからだ。
そしてこの真実と正面から向き合うことが、我々王国の民に課せられた次なる戦いである。
では春光の将軍よ。頼む」
グリステルは王と代わって物見櫓の中央に立った。
「私は、グリステル・スコホテントト。かつては神の恵みと図書の教会の修道女にして、王国神聖騎士団の騎士。そして今は世にも奇異なる巡り合わせにて、四族の戦士を纏め、自由騎士団として戦って来た春光の兵団の長の王命を承りし春光の将軍です」
グリステルが話し始めると、兵たちは水を打ったように静まり返った。
「陛下。私のような埒外の輩との友情を大切にして下さり、また、このような不相応な機会をお与えくださったこと、深く感謝致します」
グリステルは深々と頭を下げ、王は右手を上げてそれに応えた。
「さて。私が騎士団を離れ、自由騎士団たる春光の兵団を率いることになった目的と理由とを皆様にお伝え致します。即ちそれは、この百年戦争と呼ばれる長きに渡る影の民との戦争を終わらせること。それは騎士団の中にいてはできないことであったがゆえです」
グリステルは自分の言葉が人々に染み渡って行くのを確かめるように視線を巡らせた。
「先に王は、エルフやドワーフといった方々が、文化が少し違うだけの、我々と同じ人間だと申された。では、我々が長年を敵として争って来た影の民たちは? 彼らは本当に魔物でしょうか?」
グリステルの横に、狼の顔の獣人が現れた。
ザジ将軍だ、魔界の将軍だ、という囁きが聴衆の間から漏れ聞こえた。
「違います」
グリステルはきっぱりと言った。
ザジは顎紐を解いて、狼の顔の覆面を外し、兵たちの前に素顔を晒した。
おおおおっ、と一層大きなどよめきがナターラスカヤの砦を満たした。
エルフやドワーフたちに並び、訓示に参列していた春光の兵団の影の民たちも、一斉にそれぞれの覆面を脱いだ。
「ご覧の通り、彼らもまた、まつろわぬ古の民。我らの祖先が森へと追いやった先住民族たちです」
ザジは再び覆面をかぶり直し、春光の兵団の影の民たちもそれに倣った。
兵たちはざわざわとしたままであったが、クニップローデすら驚きに号令を忘れて、それを制することをしなかった。
グリステルは構わずに続けた。
「生来、肌の弱い彼らは陽の光にすら火傷のような爛れを生じます。故に陽の光を避け、種族ごとに決まった動物の覆面を付けて暮らす北方の民。我らはそれを邪悪な魔物と誤解して、迫害し殲滅せんとする戦争を仕掛けた」
グリステルは悲しそうに目を閉じた。
「一番最初のきっかけがなんだったのか? 最早本当の所は誰にも分かりません。しかし私は、この事実を知った時、この戦争は誤っていると、命を賭しても止めなければならないと決意したのです。それが、私が騎士団を離れ四族混成の春光の兵団を編んだ理由です」
グリステルはザジを、そして眼下に並ぶ春光の兵団の騎士たちを見た。
「王よ。不躾は百も承知でお願い申し上げます」
グリステルは跪き、王に改めて頭を下げた。
「この戦争をお止めください。戦争が始まる前の境界線、我々王国と北方の影の民との領域の間に不可侵線を引き、停戦を交渉してください。誤解から始まったこの戦争でこれ以上誰かが傷付き、命を落とすのを防ぐのです。それは今、陛下にしか出来ない稀代の偉業です。我らの悲願を、今!」
ザジが同じく跪いた。エルフの二人の王が、ドワーフの頭領が跪いた。春光の兵団も頭を垂れて跪いた。
「私も同じ思いです! 陛下!」
羽帽子のタリエ=シンが叫んだ。
「どうか停戦を! 戦わないことを選ぶのもまた勇気! 騎士団は、民たちは、長きに渡る戦に疲れ切っております!」
タリエが跪き、タリエの大隊の騎士たちもそれに倣った。
「私からもお願い致します! 陛下!」
大剣のノヴォーコ・フォルドミートも野太い声で叫んだ。
「どうか御英断を。悪と戦うのが善ならば、過ちを正すのもまた悪との戦い、まぎれもなく勇気の証です!」
ノヴォーコが跪き、ノヴォーコの大隊もそれに倣う。
「将軍たちの願いは我らの願い!」
続いて声を上げたのは、かつてのグリステルの騎士隊仲間、エルンスト・エレンシュタトだった。彼と彼の中隊が膝を折る。
「お願い申し上げます陛下!」
ナターラスカヤに集う将軍たち、兵たちが次々膝を折り、跪いて王に頭を垂れた。
皆口々に停戦を祈り、平和を王に希求した。
それはエルフにもドワーフにも侍従や侍女たちにまで及び、砦に集った全ての者が王に平和を懇願する形になった。
「あい分かった!」
王は一際大きな声で兵たちの懇願に答えた。
「顔を上げよ。グリステル・スコホテントト。どうか立ってくれ。ここに集った全ての民に私は宣言しよう。国王、キルデリク二世の名に於いて、百年戦争の終戦に向けて、停戦の協議に全力を尽くすと。戦いが終わり、騎士たちが領地に、家族の元に帰ることができるよう尽力すると。だがそれは、余の力だけでは到底叶うものではない。力ある将軍たち。ここにいる歴史の証人の騎士たち。エルフの友人とドワーフの友人たち。そして、今まで敵として戦いの悲劇を繰り返して来た影の民たち。皆の助力が必要だ。どうか未来の子供たちに悲惨な戦争の暮らしをさせなくて済むように、力を貸してくれ」
王に手をとられ、グリステルが立ち上がる。
ザジが、エルフとドワーフの代表者たちが、将軍とその兵たちが立ち上がった。
そして高らかに王が宣言した。
「戦争は終わりだ!」
大地が震えるような歓声が上がった。
ラッパが鳴り響き、騎士たちは盾を鳴らし、大地を踏みしめて鳴らした。
国王を称える声、春光の将軍を称える声が上がった。
それはエルフを称える声に、ドワーフを称える声に変わり、春光の兵団を、ザジを、他の将軍や騎士たちがお互いを称える声に変わった。
「糧秣の残りを放出せよ! 日が暮れ次第、戦勝と終戦を祝賀する宴とする!」
王が更にそう宣言し、また地鳴りのような歓声が起こった。
「キルデリク二世万歳!!!」
「春光の将軍万歳!!!」
王は兵たちの称賛に手を上げて応え、グリステルもまた微笑んで皆に手を振った。
その笑顔が、一瞬で凍りついた。
王がそれに気付き、言葉を掛けようと口を開いた時、グリステルが小さく咳き込んで血を吐いた。
異変に気付いた聴衆の歓声はざわめきに変わる。
ふらついたグリステルが姿勢を変えると、その背中に長矢が突き立っているのが見えた。
『グリシーッッッ!!!』
「刺客だ!」
メロビクスが短く叫んで、背中の弓を構えて隣の物見櫓に立っていた人影に対して矢を放った。ザジはグリステルを支え、庇うように動いた。
メロビクスの矢は正確に刺客の胸の中央を射抜いた。
『ニコラス……てめえっ!』
叫んだのはザジだ。
隣の物見櫓で弓を手にしていたのはニコラス・ディバーラだった。
胸を射られたニコラスは口から血を流すとフラフラと櫓の手摺りまで後退り、ひっくり返るようにそれを乗り越えて、外壁の向こう側に落ちて行った。
兵たちの間から悲鳴のような声が上がった。
『グリステル!』
ザジは抱き抱えるようにグリステルを支えて声を掛けた。
『目を開けろ、グリステル・スコホテントト! こんなの認めねえぞ! お前は約束を果たした! 戦争は終わるんだ! おい、聴いてるか! お前が終わらせた! お前の勝ちだ! だから……嘘だろ、こんな……こんな所で……グリシーッ!』
薬師を呼べ、と王が命じた。
戦傷者の治療に当たっている薬師を呼ぶ為に、ばたばたと伝令が走って行った。
『起きろよグリシー。言ったろ。俺はもう、誰かが死ぬのは見たくないと。お前の死は特にそうだと。なんだってお前は……お前まで……俺の目の前で……』
狼の覆面の表情は変わらない。だが、その声と息遣いから、彼が泣いているのは明らかだった。
『死ぬな。グリシー! グリステル・スコホテントト! 死なないでくれ! グリステル! グリステル!』
兵たちは事情を察して、静まり返っていた。そしてザジの叫びを聞いて、同じく啜り泣くような声があちこちから漏れ聞こえた。
『うおおおおッッッ! グリシーッ! グリシーッ!』
ザジは彼の言葉に全く反応しなくなったグリステルを抱え込むようにして抱きしめ、天に向かって絶叫した。
『グリシーーーッッッッ!!!!』
その悲痛な叫びは、陽の傾きに赤く染まるナターラスカヤ平原に遠く遠く響き渡った。
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