幻想

 気が付くと、周囲を捜索していた手下たちもぐるりとアンメアリとクロビスの二人を取り囲み、じわじわとその包囲の輪を縮めるように動いていた。


 アンメアリは剣を抜いた。刃に波のような紋の走る不思議な剣だった。


「面白え。生死は問わずとのお達しだからな。ナイトゴーンツの爪と牙相手に、剣一本でどこまで持つか、試してやる」


 イエグハはにやにやと笑いながらその輪の外から高みの見物をきめこむ構えだ。


「どうするんだ? アンメアリ」

「………」


 流石のアンメアリも万策尽きたのか、クロビスの問い掛けにも答えず、どこか遠くを見るような目をして黙り込む。


「ここまでか……アンメアリ。最後に一つ教えてくれ。アンメアリ・クレェァ。君は……女性か?」

「ハハハハハハハハハハッ!」


 アンメアリの答えは高らかな笑いだった。

 クロビスも含めその場にいる誰もその意味が分からなかった。本当に愉快そうな、心から飛び出したような気持ちの良い笑いだった。全員が呆気に取られ、天が笑うために遣わした御使みつかいと化したアンメアリを見つめた。


「……気でもふれやがったか」

「フフッ。そうじゃないさ、イエグハ」

「てっ……てめえ! なんで俺の名前を!」


 アンメアリは剣をひょいっ、とクロビスに渡して、両手を左右の腰に当てて胸を張って立った。急に剣を渡されたクロビスは、危うくそれを取り落とすところだった。


「二年前。シュールグラヌの村だ。私を忘れたか?」


「シュールグラヌ?」


 イエグハはアンメアリの顔をまじまじと見つめた。

 誰かの断末魔。燃え盛る村。殺戮の限りを尽くしていた彼らに対し怒りと共に戦いを挑んで来た騎馬の一団。そしてそのリーダーは女だった。


「貴様は……!」


「ザジ!!!」


 アンメアリは誰かの名を呼んだようだった。クロビスは、その短い名前に覚えがあった。名前を呼んだのが合図かのようにどこからともなく鞘に納まった剣が飛んできた。誰かが投げたのか、ヒュンヒュンと回転しながら飛んできたそれを、アンメアリは手を伸ばして空中でしっかりと受け止めた。


「グリステル‼︎ グリステル・スコホテントト‼︎」


 イエグハが驚愕して叫んだその名前に、クロビスもまた驚愕した。


 アンメアリが不敵に微笑みながら剣を抜く。それはクロビスが預かったスモールソードよりスラリと長い、騎士たちが実戦に使うロングソードだった。鍛え磨かれたその刀身がギラリと朝日を跳ね返した。


  グリステル? グリステル……スコホテントトだって? 一体……一体何を言ってるんだ? 


「こっ、殺せ!!!」


 イエグハがそう命じて、包囲網を形作る十人の殺人者たちが一斉に斬り掛かろうとした正にその瞬間、包囲網の一角に小さな爆発が起き、濃い煙が辺りに拡がった。


 煙が風に舞うとそこには右手は順手に、左手は逆手にダガーを持った尖った耳の金髪の少年が立っていた。


「エルフ……⁉︎ 」


 クロビスは思わずそう言った。幼い頃、物語の挿絵で見たエルフそのものだった。


「グリステル様から離れろ」


 エルフの少年は殺気のこもった声で短く告げると、素早く独楽のように回転しながらナイトゴーンツの荒くれたちの手首や首筋を次々と斬り付けて行った。


「ぎゃっ!」

「ぐわっ!」


 背後からも悲鳴が聞こえた。

 振り向くとならず者が二人、投げ斧を頭にめり込ませたまま倒れるところだった。その向こうから、背は低いが横に広い、樽のような何かが駆けて来ていた。鋲が沢山打たれたヘルムを被り、大きな戦斧をもって長い髭を揺らしてドタドタと走るその姿。


「さあ来い夜魔ども! 夢の沼底の国に送り返してくれる!」


「ド……ドワーフか⁉︎」


 クロビスの頭は全く理解が追いついていなかった。


 サーガの中の死んだはずの英雄……伝説や神話の中だけの存在のはずのエルフとドワーフ……昨日までクロビスにとって非実在のものだったそれらが、形を取り、目の前で悪党と戦い、次々にそれを倒している。そしてアンメアリがグリステル・スコホテントト……⁉︎


 ギインッ!


 混乱するクロビスの目の前で激しい火花が散った。

 クロビスの顔を両断しようとしていた凶刃を、アンメアリの輝く剣が受け止めていた。


「ぼーっとするな」


 アンメアリはそこから力任せに敵の剣を弾き返し追いすがるようにして肉薄すると敵の下腹を蹴り付け、呻いて前のめりになったそいつの首に剣を押し当て、撫でるようにして斬り裂いた。流れるように連なった動きだった。


「それでもか?」

「アンメアリ……君は……君は……!」


 そこに鹿毛の馬が駆け込んで来た。

 その騎手を見て、クロビスは、ひっ、と息を飲んだ。戦斧杖ハルバードを担いだ豚顔の魔物だったのだ。


『グリステル!』


「はいっ!」

「ああ!」


 クロビスとアンメアリが同時に返事をした。


『なんで二人とも返事すんだよ』

「話せば長い。紹介しよう。馬屋の貴公子グリステル卿だ」

『ああ?』

 豚顔がジロリとクロビスの方を向いて、クロビスは、びくっ、と身を硬くした。

「グリステル。彼は私の相棒。オークのザジだ。なに、いい奴だよ。見た目よりはな」

『見た目よりは余計だ。世話の焼けるお嬢さんよ』

「世話の焼けるは余計だ。もっと早く助けに来い」

『グリステルを二人助けたんだ。二回分恩に着ろよな』

 その時、クロビスはザジの名を、その名が誰を示すかを完全に思い出した。


「ザジ……あなたが! 戦いに疲れ、暴虐をやめた魔界の将軍!」

『将軍? 誰が?』


 アンメアリはクスクスと笑った。


「こっちのグリステルを頼んでいいか? 馬を貸してくれ」

『どうしようってんだ?』

「夜魔の元締めが逃げた。追いかけて決着を付ける」

『やれやれまたガキのお守りか』

「誰でも最初は鼻垂れ小僧さ。グリステル。剣は使えると言っていたな。その言葉が真だと今が示す時だ。敵を倒す必要はないが、自分の身は自分で護れ」

「わ、分かった」

「こっちは任せる。もう一人の私を死なせないでくれよ。ザジ将軍!」

『馬を持ってかれる将軍がいるもんかよ』


 アンメアリはザジが降りた馬に代わって跨るとあぶみを打って走り出した。


『さあて魔界の将軍も一働きするか。背中を頼むぜ。坊やのグリステル!』

「え⁉︎ あ、私か。ま、任せておけ!」


 クロビスはアンメアリから、

 いや。

 本物のグリステル・スコホテントトから預かった剣を力強く握り直して青眼に構えた。


 

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