脱走

 燻る焚き火の跡を、ざっ、と払って掘り返すブーツがあった。


 砂の中からは炭火の薪が出てきて外の空気に触れて赤い輝きを増した。


「まだ近くにいるぞ。良く探せ」


 人買いギルドお抱えの人狩り部隊、「ナイトゴーンツ」の頭、イエグハは顔全体を覆う髭を振るようにして辺りを見回し、自分でも獲物の痕跡を探した。


 潰れかけた水車小屋、粗末な造りの馬屋。ギルドの長から命じられた今回の追跡対象、二人の逃亡者がここで一夜を明かしたのは間違いない。連れてきた十二人の部下たちの内、二人は更に下流に進み、残りの十人が今この廃屋周辺をしらみ潰しに探している。部下たちは剣を帯び、手にショートスピアを持ってそこかしこの物陰や草むらを突き回して獲物を探していた。


 納屋から出てきた部下、ランドルフに視線を投げると、彼はここにはいません、という旨で首を横に振って見せ、馬屋の裏手の背の高い草の茂みの方へ捜索の範囲を移して行った。


 だが、イエグハはその馬屋が気に掛かった。


 彼は馬屋に近づくとランドルフが開けたままにした戸をくぐり、中を見回した。


 なるほど、ちょっとした農具や干し草の残りカスのようなものはあるが、人間二人が隠れられるようなものはない。

 見上げる天井も、それはそのまま屋根の板で、はりや屋根裏の空間に隠れられるような場所はない。


 気のせいか、と言った雰囲気で踵を返し、入って来た時と同じ足取りで外に出て行くかと思われたイエグハだったが、


 ざんっ……!


 と腰の曲刀を抜き放つが早いか壁にもたれるようにして置かれていた土嚢を斬り付けた。


 ずばっ、と逆袈裟さかげさに斬り裂かれた土嚢の大きな裂け目からは、ざうっ、と音を立てて大量の砂が飛び出した。


 イエグハは肉食の獣のような眼で土嚢から、ざーっと砂が流れ出るのを見つめていたが、ふん、と鼻を鳴らすと馬屋から出て行った。



***



 屋根の上で、屋根板の隙間からその様子を見ていた二人の人物がいた。


 アンメアリとクロビスだ。


 クロビスは追っ手として送り込まれて来た人狩り部隊の恐ろしさに縮み上がっていた。

 アンメアリが空気をほとんど吐かないで喉の振動だけで出すような小さな声で囁く。


「ナイトゴーンツの頭目、イエグハだ。人買いギルドはいよいよ本気みたいだな」

「ナイトゴーンツ?」

「魔物のふりをして村や商隊を襲い、年寄りは殺して若者や子供を捕らえて売り飛ばす非道の輩さ」

「詳しいな」

「二年ほど前に一度やり合ったことがある」

 アンメアリの瞳に一瞬冷たい光が差したように見えて、クロビスは少し驚いた。

「アンメアリ?」

「なんだ?」

「今すごく怖い顔をしていたぞ」

「その時のことを思い出してな。……連中は人を殺し慣れてる。手練れだぞ」

「奴らは船も襲うのか?」

「船? ……ああそうだ。曜日によってはな」

「どうする?」

「二択だな。一か八か打って出るか。運を天に任せ、ここで奴らが消えるのを待つか」

「打って出るなら?」

「馬だな。奴らは我々を探すため、馬を降りてあそこに繋いで見張りを立てた」


 アンメアリが指す先を見ると、河沿いに立つ並木の一角に確かに八頭ばかりの馬が繋がれているのが見えた。

 二人がいる馬屋からは直線距離で約五十メルテ。駆け抜ければまず間違いなく見つかるだろう。


「馬を奪ったら?」

「アーガスバーグの南の大門を目指す。門はまだ閉まっているが、この時間なら見張りの交代は終わって目の覚めたのがいるはずだ。魔物に襲われた商隊の生き残りだと言って、入れて貰うか、上手く行けば衛兵が出てくれるかも知れない。そうなれば奴らも迂闊には手が出せまい」

「待ってくれ。奴らはその南の大門から来たんじゃないのか? 衛兵も見張りも奴らの仲間なのでは?」

「世間が分かって来たな。いい着眼点だ。だが安心しろ。奴らが来る時使ったのは多分、東の不浄門だ。不浄門は奴隷や死者を通す門で、人買いギルドが仕切ってるからな」

「合図は任せていいか?」

「まだ打って出るとは決めてないぞ」

「ここにいても見つかるのは時間の問題。そうなる前に打って出るのだろう?」

「世間が分かって来たな」

「君が分かって来たのさ」


 二人は顔を見合わせてニヤリと笑った。


「万が一、上手く行かなくても」

 クロビスは深呼吸をして、勝手に上がって行く心拍の鼓動を鎮めようとした。

「昨夜言った通り、私は後悔もしないし、君を恨みもしない。君に出会えて良かったと思うし、君と友人になれたことは私の生涯の誇りだ」

「死ぬつもりみたいな言い方だな」

 アンメアリの様子はさっき魚を頬張っていた時と全く変わらない。少なくともクロビスから見る限りは。

「アーガスバーグに入れたら、昼を奢ってくれ。ワインで乾杯しよう。たかるようで悪いが所持金は連れが持っていてな。持ち合わせがないんだ」

「我が家に招待するさ。ワインも樽である」

「流石は貴族様だ」

「船長には当然のもてなしだ」

 クロビスはここを生き延びたらアンメアリを城に招き、正体を明かすつもりでいた。何があっても取り乱さないこの友人が驚く様を想像すると、なんとしてもその様子が見たくなり、彼は絶対に二人で生き延びようと決意した。


「見張りが離れる」


 アンメアリの声に我に返って馬の方を見ると、確かに見張りが離れて河の方に歩いて行く。用足しか何かだろうか。


「チャンスだ。三つ数えたらここを飛び降りて全力で走る。転ぶなよ」

「分かった」

 クロビスは緊張したが、昨晩のボタン掛けほどではなかった。だが喉はカラカラで唾を飲もうしたが上手く飲み込めなかった。


「一つ……二つ……三つ!」


 二人は腹ばいの姿勢から屋根の上で立ち上がり、駆け降りて地面に降り立った。息つく間もなく猛然と駆け出す。クロビスも命懸けで走った。あと四十メルテ。三十メルテ。速く走ることのために人が死ぬならば、クロビスはこの瞬間、天に召されていただろう。二十メルテ。背後から「いたぞ!」「捕まえろ!」と声が聞こえた。十メルテ。もう遅い、とクロビスは思った。馬はすぐそこで、手綱を解く手間を考えても、奴らは間に合わず、我々二人を止められない。だが。


 馬が繋がる並木の陰から、四人のならず者が手に手に剣を持って現れた。

 アンメアリとクロビスは急制動を掛けて、馬まで五メルテの距離で立ち止まらざるを得なかった。


「アンメアリ!」

「……くっ。罠か!」


「鼠をおびき出すのにはな」

 低い声が、おどけて歌うように告げる。

「匂いの強いチーズを置いておくのが近道だ」


 二人の背後から曲刀を手に現れたイエグハは、獅子のたてがみような髭全体を揺らしながら笑った。


 

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