朝食

 クロビスは鳥の声を聞いて目を覚ました。


 壁際に膝を抱えて座り、そのまま崩れるような姿勢で彼は眠っていたのだ。


 眠って……そうだ、私はアンメアリを助けて、そのボタンを……彼女は女で……アンメアリは⁉︎


 がばっと顔を上げて辺りを見回すが、彼女の姿はない。彼女が寝たはずの麻の土嚢があるだけだ。


「アンメアリ?」


 呼んで見たが勿論返事はない。


 まさか……まさか私を置いてどこへ去ったのか? もうこれ切り会えないのか⁉︎ まだ遠くに行ってないかも……今から追い掛ければ!


「アンメアリッ!」


 ごろごんっ! と引き戸を破るように開け、クロビスは朝日の中に飛び出した。

 アンメアリは船長だ! 海を目指すなら河下に行くはず!

 駆け出そうとするクロビスに声を掛ける者がいた。


「どうした。慌てて」

「アンメアリを追うんだ! すぐ追いつかないと船でどこかに……ア、アンメアリ?」

「おはよう」


 振り返ると焚き火のそばに立つアンメアリがいた。シャツのボタンを確認すると一番上が外れたままだが、彼女がそれを気にしている様子はなかった。

 彼女は焚き火の周りで串焼きにしていた魚の具合を確かめると、小さく食前の祈りを捧げて、それをもしゃもしゃと食べ始めた。


「そっちはきみの分だ。腹が減って目が覚めてな。河で突いてきた。考えてみれば昨日の昼から殆ど何も食べてない」

もりなんてあったのか? それに火打ち石は?」

「牧草用のすきがな。火打ち石は母屋の暖炉にあったぞ。住民は余程慌ててここを去ったらしい」

「あの中を漁ったのか……それに鋤で魚を突けるのか、君は」

「嵐の後はな、魚はみな岸べりの岩陰にいるし、疲れていて動きが鈍いんだ」

「アンメアリ……きみという奴は。なんでもできるな」

「船長だからな。食べないのか? 焦げるぞ」

「頂くよ」


 言われてみれば空腹だった。焼けた魚の香ばしい匂いに、胃がきゅるきゅると反応する。

 クロビスは焚き火に向けて傾いた串代わりの削った枝に触れたが、その予想外の熱さに思わず手を引っ込めた。


「下の方を持つんだ」


 アンメアリにそう言われ、その通りに持って丸焼きの魚を目の前に持ってきて見たが、どう食べたものか捉えどころがない。戸惑っているとアンメアリが


「適当にかぶり付け。腹わたは苦いから、気に入らなければその辺に吐き出せ。あと骨もな」


 と言いながら、ふっ、と骨らしきものを足元の地面に吐いた。


 クロビスは真似をして、名も知らなぬ魚に齧り付き、歯で肉を骨からこそぐようにして頬張った。

 まずぱりぱりとした皮の食感が、続いて脂の乗ったジューシーな身の旨味が口の中に広がった。


「美味だ」

「そうだろう。塩があればもっと美味いんだがな」

「なんという魚だ?」

「トラウトだ。今の時期が一番美味い。だが帰ってから家の料理人にトラウトを求めても、同じ味ではないかも知れないぞ」

「何故だ? 魚が変わるわけではあるまい」

「魚は変わらないが味は変わるのさ。どんな時に、どこで、どうやって、誰と食べたかによってな」

「よく分からない。甘い物が辛くなったりはしないだろう」

「夜通し走って、激流を下って、我々は腹ペコだ。無理矢理食べる宮廷料理より、腹ペコで食べる焼き魚だ」

「真理だな」

「空腹は最高の調味料だよ」


 二人は同時に、ふっ、と骨を吐いた。

 そして顔を見合わせて二人とも吹き出すように笑った。

 昨夜はアンメアリが女だと思って動揺の限りを尽くしたクロビスだったが、こうして立ち居振る舞いを見ているとやはりアンメアリのそれは気っ風のいい青年そのもので、クロビスはアンメアリが少し胸が柔らかいだけの男ではないかと思えてきた。


「なあ、アンメアリ」

「どうした?」

「確かめたいことがあるんだが」

「なんだ? 言ってみろ」

「君のことなんだ。もし私の誤解なら、謝罪するから許して欲しいし、誤解でなかった場合も、それはそれで謝罪するから……ひどく怒ったりしないで欲しいんだが」

「要領を得ないな。なんだと言うんだ?」

「アンメアリ・クレェァ。君は、つまり……」

「ああ、まずい!」


 アンメアリはクロビスの質問を遮って、緊張した声を出した。


「なんだ?」

「見ろ。騎馬の一団がこっちに来る」

「助けか?」

「違う! 人買いギルドの人狩りの部隊だ。まさかこんな所まで追ってくるとは……焚き火を消せ!」

 言いながらアンメアリは足で砂を掛けて焚き火を埋め始めた。

「どうしてここが分かったんだ⁉︎」

「だから焚き火だよ! ここらは今廃村だから、上がった煙が目印になったんだ!」

「どうする⁉︎ 逃げるか⁉︎」

「向こうは馬だ。逃げても間に合わない。一旦隠れてやり過ごす!」


 二人は再び寝床に使った馬屋に入って行った。

 くすぶって細い煙を上げる焚き火の跡を残して。

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