約束

 馬車の扉を開け放った犬頭の獣人の首から、にょっきりと血塗られた鋼の切っ先が飛び出していた。


 グリステルは状況を理解できない。


「後ろじゃ嬢ちゃん!」

「もう遅い!」

 デック・アールブの声に振り向けば、体勢を立て直したヴァハが大上段からの一撃を振り下ろす所だった。

 グリステルは身を固くした。


 がっきぃ!

「うぬぅっ!」


 二股の槍が差し出され、穂先に設けられた返しの部分がヴァハのガントレットの右手首を捉えて、その必殺の一撃を空中に引き留めた。槍でヴァハを抑えたのはその側近の狼男だ。


(仲間割れ⁉︎ とにかく今は陛下だ!) 


 右手に絡んだ槍を解こうとするヴァハと槍を巧みに操ってその手首を捉え続ける狼男を尻目に、グリステルは馬を飛び降りると王の乗る馬車に駆け寄った。


「陛下!」

「うむ!」


 馬車の中から思いのほか元気の良い返事が返って来た。犬頭を鋭い突きで仕留めたのはどうやら現王、キルデリク二世陛下本人であるようだった。


 不埒な暗殺者をドカッと蹴飛ばし、その勢いで刺さったままだった剣を抜き去る。その剣は片刃の小ぶりの剣で、優美なカーブを描く変わった刀身をしていた。扉から剣のハンドガードと王の手が覗く。そのハンドガードには控え目ながら優美な装飾がされており、小さな赤い宝玉が日の光を浴びて輝いた。グリステルは不思議なことにその剣に見覚えがある気がした。

 しかし今はそれどころではない。

 どうやら馬車はひとところに長く留まり過ぎたようだ。

 騎馬の暗殺部隊以外にもグリステルたちと白い場違いな馬車に気付いた徒歩の敵たちが、バラバラとこちらに向かいつつあった。

 ニコラスはどうやら先行して辿り着いたその遊撃部隊と戦闘になり、馬車から離れたようだった。


「ご無事ですか陛下!」

 グリステルは叫びながら馬車に駆け寄る。

「情けない声を出すな。春光の騎士よ」

 馬車から降りて来た王は略式の額冠を頂き、白いビロードのマントを羽織って鎧を身に着けていた。

 グリステルはその顔を見て驚愕し、素っ頓狂な声を上げた。

「く、クロビス⁉︎ 馬屋の貴公子クロビスか⁉︎」

「久しいなグリステル・スコホテントト。それとも我々の間ではアンメアリ・クレェァと呼んだ方が良いかな?」

「何故きみがここに⁉︎ 陛下は⁉︎」

「ここにいる」

 アンメアリはハッとした。

「クロビス……開祖王と同じ名前。そして、王太子とも同じ名前」

「そう。王位を継いでキルデリクの名を襲名したが、私はこの国の正統王位継承者。幼名、クロビス・バジナ・テューリンゲンである」

 グリステルは膝を折って低頭した。

「その節は、ご無礼を」

「よしてくれアンメアリ。今は戦いの最中さなかだ。それに我々の友情は、立場が変わったとしても変わらないもののはず」

「陛下……」

「さあ、立て春光の騎士。いや。キルデリク二世の名に於いて余が任ずる。そなたは今日から春光の将軍だ。余のことは変わらずクロビスと呼ぶが良い。これは王としての命令である」

「陛下……いや、クロビス殿」

「殿はいらん。堅苦しい言葉遣いもな。ほら、敵がやってくるぞアンメアリ。今こそ約束の時! かつてきみは、私ときみがまた肩を並べて戦い、二人とも生き延びた時にはきみの背負った真実を教えると言ったな? その時に命を落とさぬよう、勉学と鍛錬にはげめと! 私はその通りにして来た!」

 現王キリデリク二世は、グリステルの剣に付いた敵の血を刃を振り止めて払い拭うとグリステルに向けてウインクした。


「今がその時だ」

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