魔将

『グリシー』


 グリステルスタッヅへの帰路。

 グリステルと仲間たちの馬車は適当な所で道をそれて野営していた。

 時分は深夜。不眠番はグリステルの順番だ。

 彼女は焚火の揺らめく炎の中に昨日の出来事を映してその記憶の中を漂っていたが、名前を呼ばれて現実へと引き戻された。


「……ザジ」


 馬車の車輪にもたれ掛かるようにして眠っていたはずのザジが、いつの間にか側に来ていて、グリステルの斜め前に座った。


「腹でも減ったのか? 食べ物は焼いてないぞ」

『そうじゃねえ』

「……昼間のことか」

『坊やのグリステルが言ってた話だ』

「耳がいいな」

『あいつがでけえ声で叫んだからな。確かめてえことがある』

「成る程な。どう話せばいいかな……」


 グリステルは焚火に一本薪をくべた。

 新しい薪にみるみる火が移り、焚火は明るさを増して、火の高さがゆらゆらと高くなった。


「この戦いが終わった後のことを、考えたことはあるか?」

『……いいや。正直、毎日目の前のことしか考えてねえ』

「例えばだ。全てが上手く行き、影の民と王国とに和平が成り、不干渉の境界線が再び引かれたとしてだ」

『ああ』

「私はどうなる?」

『そりゃあ……戦争を終わらせた英雄として、お屋敷でも建てて、のんびり暮らすんじゃねえのか?』

「そうだろうか?」

『どういう意味だ?』

「影の民たちから見た私は、同族殺しの大罪人だ。ここ数年の春光の兵団の働きがもとで死んだ影の民の兵は、今や千を下るまい」

『そりゃあ……だが、ヒュームたちに取っては伝説の英雄だろ? 大事にされるんじゃねえのか?』

「話はそう簡単じゃない。王や貴族たちから見れば、彼らの枠組みに収まらず、名声と兵力を持つ私は目障りだろう。教会も。私は女だてらに戦士として指揮を執り戦場を駆けて勝利を重ねている。彼らの教義には反するのさ」

『教会はお前の実家みてえなもんじゃねえのか?』

「……同じ神を崇めていてもな、国の中枢の教会と、私がいた田舎の教会は宗派が違うんだ。司祭様たちは私が活躍し名を上げるのは面白くないだろうよ」

『神頼みの仕方の違いでいがみ合うってのか? ヒュームの作法ってのは俺たちから見たら不思議だぜ』

「私も最近そう思う」


 グリステルは笑った。

 さっきくべた薪がぱちん、と弾けて、ぱっ、と火の粉が舞い、焚火の熱で夜空に向けて昇ってゆく。


『待てよ。じゃあ、じゃあお前は、この戦が終わったら……』

「始めは持て囃してくれるだろうさ。人々が戦争のことを憶えているうちはな。だが……四年たち、五年たち、平和が当たり前になった頃……私は何かしら理由を付けて捕らえられ、牢につながれるか、処刑されるかするだろう。いや、病気や事故に見せかけて暗殺されるかも知れない」

『そんな道理があるかよ!』

「少し調べて見れば分かることだ。英雄と呼ばれた者たちの晩年をな」

『だってお前は……お前が戦っているのは!』

「自ら命を絶つ気はないさ。だが、世間が私が生きるのを許さないのなら、それでもいいとも思うんだ。大義のためとはいえ、私は余りにも多くを殺し過ぎた」

『グリシー……』

「あのクロビスという若者は気持ちの良い男だった。私と共にあれば、私の罪過に巻き込んで、理不尽な目に合わせるかもしれん」

『俺たちはどうなるんだよ』

「あるべき場所に帰ればいい。モイテングの御曹司は、境界線の向こう側に種族の別を問わず平和を望む者が共に暮らす国……共栄圏を造ろうとしている。手伝ってやってくれ」

『……そういうことじゃねえ』


 ザジは苛立たしげに立ち上がった。


『そのやり方は嫌だ』

「ザジ……」

『お前の考えてることは大体分かったぜ。だけどそのやり方は気に入らねえぜ。すごくな』

「どうしろと言うんだ」

『おまえは自ら命を絶つ気はないと言ったがな、進めば死ぬと分かってる道を進んで死ぬのは自殺だぜ。今までに死んだ仲間たちや部下たちは、そんなことのために、命を懸けたわけじゃねえ』

「…………」

『まだ戦いは続く。考える時間はあるんだろうが。忘れてるならもう一回言うが、俺はもう誰かの死を見るのは嫌なんだ』


 ザジはくるりと背を向けた。


『お前のは特にな』


 そう言うと彼はさっさと自分の寝床に戻って、グーグーと寝息を立て始めた。


「ザジ……」


 グリステルは、ぽつり、と彼の名を口にした。すると胸が少し温かくなって自然と笑みがこぼれた。


 焚火の薪が少し崩れて、火の粉がまた夜空に昇った。



***



 その部屋は、冷たい石造りの塔にあった。


 薄暗い、がらんとした空間。

 馬蹄型の大きなテーブルには七本の蝋燭が立っていて、フードを目深に被った七人の人物が等間隔に座っている。


 その部屋にはもう一人いた。


 八人目は、テーブルに囲まれた空間の中央に跪いて頭を下げている。やはりフードを目深にしていて、顔は見えない。


「グリステル・スコホテントト。まさか生きていたとは……」

「しかも調べによれば、戦場で拾った魔物や妖精を束ね、自身の軍を編んでいるという」

「怪しい術で戦場を乱し、兵どもからは英雄と慕われているとか」

「許すまじ……許すまじ……」

「このままでは伝統と格式は軽んじられ、我らの威信は地に堕ちる」

「取るべき方策は一つ」

「灰は灰に。土は土に」

「亡者は、あるべき冥府の底に」

「任せたぞ。死の棘よ。成功の暁には、そなたは永遠の喜びを得るであろう」


 跪いている人物が、少しだけ頭を動かした。そして、くぐもった低い声で返事をした。


「偉大なる浄化の炎のために」



***


「クラッグ! クラッグはおらんか!」


 クロビスは城に帰ると、すぐに彼直属の執事を呼んだ。


「殿下! 殿下! ああどこにいらしたのです! 寝所においでにならないで! なんですその格好は⁉︎ その服は⁉︎」

「話せば長いが、色々とすごいことがあったのだ。聞いてくれ。昨晩誰に会ったと思う?」

「恐れながら、それどころではありません殿下。すぐにお支度を。湯浴みをしてお着替えください」

「支度? なんだ? 来客か?」


「気を確かにお持ちください」

「……?」

「父王様が……キルデリク一世陛下が亡くなられたのです」


 クロビスは手にしていたグリステルの剣を、大理石の床に落とした。



***



「星をご覧か? ヴァハ将軍」


 狼の顔をした戦士長、オゥロボは、高台で空を見上げる黒いマントの背中にそう問い掛けた。


「凶兆でも現れておりましたかな?」


 振り向いたのは、カラスの頭だった。

 もちろん作り物だ。彼ら、人間に魔物と呼ばれる影の民は生来肌が弱く、陽に当たると火傷のようになってしまう。彼らは部族ごとに決まった動物の面を被って暮らし、人間の王国とはまた違った文化を築いている。だがオゥロボは、鳥の頭の面を造る部族の話は聞いたことがなかった。

 

「凶兆?」


 ヴァハと呼ばれた黒衣の将軍は、肩を揺らした。笑っているのだ。勿論、そのカラスの面の表情は動かない。


「吉兆なら見えたがね。人間どもは長い戦に飽き飽きして、適当に戦っては禄だけを得ようとしている」

「と、言いますと?」

「戦う振りだけをしている、ということだ。私の言う通りに兵たちが動いてくれさえすれば……我々が勝つよ」

「だが、向こうには春光の騎士がいる。噂では冥府に堕ちたが魔界の将軍を味方に付け、邪竜を倒して生き返ったとか」


「ふひゃひゃひゃひゃひゃひゃふゃ」


 ヴァハはまた笑った。

 今度は声を上げて笑った。

 その不気味な笑い方に、オゥロボは味方ながら肌を泡立てた。


「グリステル・スコホテントト。春光の騎士。知らしめてやろう。我々の戦い方をな。そして思い出させてやろう。自分が、一人では何もできない無力な子供だということを」


 ヴァハは動きを止めた。

 そのカラスの顔の奥の表情はもちろん分からない。

 だが、オゥロボにはこの新しい将軍のカラスの面そのものが、ニヤリと笑っているように見えてその感覚にゾッとした。


 オゥロボは自分の部族の言葉で、彼だけに聞こえるように小さく呟いた。


「……エンヤ・ニサ・タヴァンノケ・ブランサ」

(……気味の悪い野郎だぜ)



*** 了 ***

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