商隊

 貨物馬車三輌、客員馬車二輌からなる計五輌のモイテング商会通商キャラバンは、五騎半個隊の騎馬隊に守られ、西シヴェンツェーグを警備する物見砦の内の一つへの補給物資を満載して納品に向かっていた。


 モイテングの二人の兄は、弟にも商人としての経験を積ませようとその商隊の長を任せた。とは言ってもお飾りの偶像のようなもので、実際の仕切りは同行するベテランの番頭がするのだが、それを現場でつぶさに肌で感じさようという配慮だった。


 行き帰りで野営して差し渡し五日の旅程の今回のような補給行は、ウルリチが関ろうが関わるまいが、戦争が始まって以来この国と前線との間で毎日のように当たり前に行われているありふれた通常業務だった。


 ウルリチは持ち前の良い子ぶりを発揮し元気良く嬉しそうに返事をし、それなりの前向きさでもって一連の手続きを観察したりその詳細について質問したりしながら、内心は悪路の道中に揺れる馬車やその為に本を読むことすらできない退屈さなどに一日目からうんざりしていた。


 二日目の夕方。

 退屈は、沢山の死と引き換えに払拭された。


 突如馬が暴れて馬車が乱暴に止まった。御者にそれを質そうと客室前方の小窓の扉を引くと、顔に矢の刺さった御者が倒れ込んで来てウルリチは悲鳴を上げた。

 カーテンを開けて外を確かめる。騎士は慌てて盾を構えて飛来する矢を避けていたが、この段で油断していた二人が射倒され落馬していた。護衛の騎士の若い隊長はあろうことか全く戦おうとはせずに撤退を命じた。

 同乗のベテラン番頭、ディッチバウが恐怖と怒りで半狂乱になりながら抗議したが、若い隊長は「君たちも早く逃げたまえ」とだけ言って兜の面を降ろし、生き残った二人の騎士と軽やかな馬足で逃げて行った。

 反対の方向から、不気味な叫び声と何かの集団が駆けてくる足音が聞こえてくる。

 もう一台の馬車も混乱に陥っていて、何か言い争いながら荷運びの人足たちが次々と馬車を降りて逃げ出しているようだった。

「ここに居て下さい! 私が御者をやります!」

 ディッチバウはそうウルリチに言って、一人客室から飛び出した。

 だが、その直後に

「や、やめろ……ぐあっ……」

 という声を最後に音沙汰がなくなった。


 窓の外を沢山の人影が行き来し、十数人の足音が荒々しく通り過ぎ、人足たちの悲鳴が次々と上がる。ウルリチは息を殺し、災禍が行き過ぎることを神に嘆願しながら客室の椅子の間に縮こまっていた。

 恐怖で頭が一杯で、何も考えることかできない。今まで沢山読んできた本にも、こんな時どうすれば良いかは書いていなかった。


 そうしてる内に辺りは静かになってきた。


 ウルリチが死の運命から逃れられたのかと思い、深い溜息を吐きながら外の様子を伺おうと顔を上げた正にその瞬間、客室の扉が雑に開け放たれて、大きな人影が覗き込んだ。


 いや、それは「人」ではなく、痩せた犬の顔をした魔物だった。

 ウルリチは声にならない悲鳴を上げた。


『タルク! タルクヴィソ、ギナ!』


 犬顔の魔物は手槍を突きつけながらウルリチに何か命じたようだったが、彼にはその意味が分からない。怯えているとローブの襟首を乱暴に掴まれ、強引に馬車から引きずり出され、地面に投げ出された。


 手が水溜りに触れてぺちゃっ、と音を立てた。だがそれは水溜りではなく血溜まりで、血と泥が混じったものの中に倒れ込んでいる事を認識したウルリチはその余りの不快さに吐いた。吐いた反動で息を吸い込むと、自分の吐瀉物の匂いと血の匂いとが胸一杯に広がってまた吐いた。ズボンやシャツには泥と血と吐瀉物の混ざった液体がしおしおと染み込んでくる。見回せば、彼と賊以外は皆死体になって地面に横たわっていた。さっきまで生きて話していたディッチバウも。

 彼を取り囲む犬顔の魔物たちは口々に彼らの言葉で何かを捲し立てるが、ウルリチには一切意味が分からない。

 涙目で咳き込みながら、ウルリチは初めて絶望というものを知った。

 日常は余りにも簡単に壊れた。

 彼は魔物の野盗の仕事の脇で、汚物にまみれた最期を遂げて、その屍を野に晒すのだ。

 その時、その最期の少しの時間にウルリチの胸に去来したものは後悔だった。


 もっと、やりたいように生きたら良かった。

 嫌なことは嫌と言って、こんな仕事断るんだった。

 リンゴのタルトを妹に譲らず、全て食べてしまえば良かった。


 父様と母様に、もっと構ってくれと抱きついておけば良かった!


『スルガ、スロク、ロ、クホーブ?』

『クホーブ。ゴリド』


 犬人間のその言葉だけは、何故かウルリチにも意味が分かった。「殺せ」だ。


 命令を受けた犬人間が槍を振り上げる。それが自分の死だと思うと避けたい気持ちと受け入れる気持ちがせめぎ合って、ウルリチは固まった。しかし視線だけはその切っ先から目を逸らすことができず、彼の意思とは関係なく、彼にはその血濡れた槍の穂先がこの世のどんなものよりもはっきりと鮮明に見えていた。


 どすっっ!


 鈍い刺突音は、ウルリチの命を断つものではなかった。


 どこからか漆黒に塗られた長矢が飛来し、ウルリチを殺す筈だった犬人間の頭を綺麗に貫通して、一撃で命を絶った。


『フフォーク!』


 近くにいた犬人間が警告と思しき声を上げる。フフォーク、フフォーク、と周囲で馬車の荷を漁っていた魔物たちも互いに声を掛け合ってワタワタと戦闘準備を始めた。


 なんだ、何が来たんだ、とウルリチは矢の来た方向に目を凝らした。


 彼に見えたのは、犬人間たちがガチャガチャと鎧を鳴らしながら陣形を整えるその向こうで、真っ黒な馬に乗った真っ黒なマントを着た人物が一騎で、かなりの速度でこちらに突っ込んで来ている所だった。

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