故郷

 教会の扉口まで迎えに出てくれたシスターは初老の上品な婦人で、年老いてくたびれたような感じはなく、背筋のぴんと伸びたどこか可愛げのある修道女だった。


「まあまあまあ、珍しいお客様。シスター・ヴァンカルティエ! シスター・ヴァンカルティエ! お茶の用意をして頂戴!」


「ご厚情、痛み入ります。私はアーガスバーグの商家の三男で、ウルリチ・モイテングと申します。こちらは友人のアントン・ヒューガー。吟遊詩人のタリエ=シンと、用心棒のノヴォーコ・フォルドミート」

「これはご丁寧にモイテングさん。私はこの教会を預かる修道女長のシスター・ドリス・エンゲルハルト。シスター・ドリスと呼んで頂戴」


 ***


「グリステルのお墓参りに?」


 神の恵みと図書の教会は、バイツェンマンシェルの森の外縁にひっそりと佇む小さな教会だった。

 赤い瓦屋根。白い漆喰の壁とその殆どを覆い隠そうとする緑の蔦。湧き水が豊富なのか、小さな噴水があり、天使像が抱えた水瓶からは懇々と澄んだ水が湧き出している。


「そうです。シスター・ドリス。実は私は危ない所を生前のスコホテントト卿に助けて頂きまして。いつかお礼をと考えていたのですが……つまり、亡くなられたと聞きまして」


 教会の執務室に通された四人は、そう広くない部屋にぎゅうぎゅうに座りながら、肩を竦めるようにして振舞われたハーブ茶を啜っていた。

 ウルリチのその問い掛けに、ドリスはホホホと笑った。


「ごめんなさい。あなたを笑ったわけじゃないのよ。グリシーのことをスコホテントト卿、なんて呼ぶものですから」


 ドリスは息を整えてお茶を口にすると、懐かしそうな表情を作った。


「スコホテントトというのは、あの子が騎士になってここを出て行く時に自分で決めた苗字です。あの子は本が好きで、お気に入りの童話の登場人物から苗字を借りた」

「偽名ということですか? では、本当の苗字は?」

 ドリスは控え目に首を振った。

「あの子に苗字はないのよ。あの子は戦災孤児で、グリステルという名前は私が付けたの」

「孤児……」

「今では、王国は勢いを盛り返し、前線は遠くなりましたが、十年ほど前は森の向こう側の草原が戦場だったの。当時ここには小さな村があってこの教会には神父様がいた。神父様は他の教会と連絡を取り合って、戦災孤児を偏りなく預かり育てるための組合を作ってらっしゃった。この教会でも十三人の子供を預かっていた。世の中は混乱と恐怖の坩堝るつぼ。神父様は子供たちに知恵と勇気とを与えることが、何より彼らの助けになると考えてらっしゃったの。この教会は、昔から図書を集め保存するのを伝統にしていて、本は沢山あった。だから時間を見つけては子供たちに本を読んで聞かせ、読み方を教え、一緒にそれを読んでいらした」

「その神父様は……」

「亡くなったわ」


 ドリスは遠い眼をした。

 彼女の脳裏では、その時の光景がありありと、昨日のことのように思い出されていた。


「秋から冬に差し掛かる頃だった。王国は大きな戦いに敗れて沢山の死者を出し、前線は崩壊して魔物の軍勢はここまで押し寄せて来た。ネアーレに早馬を出して援軍を要請したけど、到着には三日掛かるとのことだった。三日持ちこたえれば援軍が来る。騎士たちは義勇兵を募って、この教会を臨時の砦にして戦線を支えようとした。もちろん殆どの村人は逃げてしまったのだけれど」

「神父様は……ここに残られた?」

「ここにはね、沢山の本があるの。市場に並ぶような量販本だけじゃないわ。名のある書家が手ずから書いた写本も。偉大な聖人が編んだ原典も。神父様はそれを守るために残られた。グリシーは、あの子は神父様を手伝うと言って残った。私は……ここで預かっていた子供たちと共にネアーレに避難した」

「それで、どうなったのです?」

 そう尋ねたのはタリエ=シンだった。

「詳しいことは分からない。私はその場にはいなかったんだもの。ただはっきりしてることがある。救援が来たのは五日後だった。村は消えてしまったわ。村人たちも。神父様は亡くなり、グリシーは生き残った。血まみれの火搔き棒を手にして。敗北や救援の遅れから世間の目を逸らすためかしらね……騎士団は十三歳の修道女を聖女だ英雄だと祭り上げて、あれよあれよと言う間に騎士に取り立ててしまった。彼女は……ちょっと正義感の強い、誰より優しい、気立てのよいどこにでもいる給仕係だったのに……」


「シスターは……グリステル様のご遺体を?」

 アントンが核心を突いた。


 ドリスは目を閉じて何度か頷く。

「ええ、私が清めた麻布でくるんで、埋葬したわ」

「それは……間違いなく、つまり……彼女の……」

「……グリシーの最期が、どんなだったかご存知なのね?」

「彼女の仲間の弟君おとうとぎみから聴きました」

「あれが……あの黒こげの腕がグリシーだったか。私には判らない。八年も会ってないのだし、あんな形で再会するなんて想像もしてなかったもの。長い名前の貴族の方が来て、立派なお墓を建てて行ったけど、私にはまだあの子が天に召されたという実感がないの。でも生きているなら、一度くらい挨拶に来ても良さそうなものだけど」


 ドリスはそう言うと溜息を一つ吐いて立ち上がった。


「御免なさい。やあね歳を取ると話が長くなって。グリステル・スコホテントトのお墓よね。裏の墓地よ。ご案内します」

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