墓標
「上手くやったね、ウルリチ。僕は君が、これ程交渉術に長けているとは知らなかったよ」
神聖騎士団の装甲馬車に揺られながら、アントンはウルリチを正直に賞賛した。
「本に書いてあった通りしただけさ」
ウルリチは余り関心がない様子で、小さな窓の外を見ながら答えた。
「ポーチェスタ卿は元々僕には負い目を感じる所があるし、騎士様というのは名声や体面を大事にするからね。とは言え僕もあんな交渉を自分でするのは初めてで、上手く行くか気が気じゃなかったんだけど」
「もし自分の一族の名前が臆病な裏切り者として未来永劫歌い継がれたりしたら、騎士としては死んだも同然だし、子孫からはさぞ恨まれるだろうね。そんな立場でも妻を娶れて、子孫が残せたらだけど」
「いやぁお見事お見事!」
二人の会話に羽帽子の吟遊詩人が割り込んだ。
「依頼を受けた時は奇妙な話だと思いましたが受けて良かった! 私は今、あの退屈な騎士隊長なんかよりも余程面白い歌の題材を目の当たりにして興奮を抑え切れません!」
整った顔立ちの、だがどこか狐を思わせる若い吟遊詩人は、立て板に水の口調でそう言った。ウルリチは相変わらず関心なさそうだったが、アントンはどうもこいつにも油断は禁物だな、と感じた。
「さてウルリチ様。詳しい話を聞かせては貰えませんか? 物々しい騎士隊に守られているとは言え、これは命が懸かる旅。万一の事があった折、自分が死ぬ理由も知らないのは嫌ですし、事態の全容を知らずに戦うとなれば大剣のノヴォーコの大剣も鈍ろうと言うもの」
ノヴォーコはポーチェスタの館を訪れた時と違い、板金の鎧を着込んでいて、だが兜は膝に抱え、目閉じて瞑想しているようだった。
「申し訳ないがダメだタリエ=シン。そこの事情も含めて君たち二人には高い給金を約束しているし、事情を詮索しないというのは契約条項に入っていて、二人ともその条件を飲んで書面にサインをしただろう」
「魔物狩りの黒騎士、ですね?」
タリエの細い目が、更に細められ、どこか殺気に似た鋭い輝きを放ったのをアントンは見た。
「……知らないな。なんのことだ?」
「少し前から吟遊詩人の間では話題になっていたのです。通商破壊の魔物の部隊や、旅人を襲う野盗の魔物を襲っては倒している謎の黒騎士がいると。見た者の話では、醜い顔の大男だったとも、小柄な美しい女だったとも、気高い貴公子だったとも伝えられています。ウルリチ様が生き残ったと聞いた時、もしかして、とは思ったのですが」
「…………」
「まあどちらでも良いのです」
にこっと破顔したタリエ=シンからはもう殺気は消えていて、人懐っこい元の彼の雰囲気に戻っていた。
「給金分の仕事はしましょう。それに具体的な街の名や人のお名前を出さなければ、この仕事を歌にしても良いというのもまた、契約条項に入っていたことをお忘れなく」
馬車が石でも踏んだのか、がたん、と揺れた。ウルリチはタリエの言葉に同意も反意も示さず、ただ小さな窓から流れる外の景色を見ていた。
***
「これは……」
馬車を降りたウルリチと彼の仲間たち、そして護衛に付いてきたポーチェスタと彼の十五人の部下たちは、キャラバン襲撃現場の街道の傍に、意外な光景を発見した。
「墓標だ」
そこには規則正しく並ぶ土盛りの塚と、その上に大きな石を置いて墓標とした有り合わせの墓地が造られていた。
「これは……戦場で仲間が死んだ時の、騎士隊の弔い方だ」
ポーチェスタも驚いた。
「一体誰が……こんなことを。しかし数が多い。護衛と人足だけなら数はこの半分に満たないはず」
「ポーチェスタ卿」
ウルリチはポーチェスタに本題を切り出した。
「墓標の数が多いのは、あの場にいたコボルトが埋葬されているからです」
「なっ⁉︎ コボルトが……埋葬⁉︎」
「実は私はあの日、ただ逃げ延びたのではないのです。私を助けてくれた不思議な黒騎士がいた」
「黒騎士……それは何者です?」
ウルリチは首を振った。
「正体は分かりません。黒騎士は無類の強さでコボルトを蹴散らし、私を馬に乗せて見送ると、風のように姿を消した。その強さ。乗馬の技術。教養と礼儀に則った振る舞い。私は彼女が、王国の神聖騎士だったのはないかと考えています」
「待ってくれ……今、なんと言われた? 彼女?」
「そう。彼女。黒騎士は長い髪を後ろで束ねたうら若き乙女でした。意志の強そうな眉。青い瞳。透けるように白い肌。顔立ちはグラカの彫像のように美しい」
「……馬鹿な」
「私のキャラバンを見てプファルッツの物見砦への補給と看破し、貴方のことも知っている様子でした」
「あり得ない」
「彼女は言いました。ポーチェスタの弟が隊長か、と。失礼ながらポーチェスタ卿にはお兄様が?」
「いる……いや、いた、と言うべきかな。兄は戦いに命を散らした」
「これは……知らぬこととは言え、不躾を申しました。つまり彼女は、お兄様の関係者。心当たりはありませんかポーチェスタ卿。どんな小さな手掛かりでも構いません。私は命の恩人のあの方にもう一度会って……」
「あり得ないんだっ!!!」
ポーチェスタは叫ぶようにして否定した。
その剣幕にウルリチは驚いた。
「彼女は死んだ。二年前のナターラスカヤ」
「死んだ……?」
「そうだ。春光の騎士。グリステル・スコホテントト。ナターラスカヤの大規模な戦いの中、仲間と共に魔物の罠に落ち、崖道の爆破に巻き込まれて」
「そんな……でも私は……」
「私の兄もその戦いで死んだ。爆発をまともに受けた兄の遺体はバラバラだったが、仕立て屋に頼んでなんとか人の形に縫い合わせて貰った」
「彼女の……遺体は?」
「あったさ。だが全部じゃない。黒焦げの腕だけだ。彼女の愛馬はライトニングという白馬だったが、この馬も全身が焼け焦げて死体は暗闇のように真っ黒だった」
「しかし私は、私は確かに……」
「墓もある。バイツェンマンシェルの『神の恵みと図書の教会』だ。彼女は元々その教会の修道女だったんだ」
「墓……」
「そうだ。戦う聖女、春光の騎士と歌われた彼女は宮廷夫人たちに人気があって、その死を悼んだ貴族の有志が彼女の育った教会に墓を建てた」
「しかし、しかし私は確かに!」
「春光の騎士を見た?」
「そうです‼︎」
「違う‼︎」
ポーチェスタは震えていた。
彼は俯いて祈りの言葉を唱えると、深呼吸のような息をしてウルリチに向き直った。
「君が見たのは彼女ではない。彼女だとしたら、生者ではない。
それは、彼女の姿をした……亡霊だ」
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