危急

「ディバーラ卿! ニコラス・ディバーラ!」


 それは紛れもなく最近仲間に加わった若い騎士だった。

 ディバーラは悔しげに顔を歪めて視線を逸らした。


「貴殿がなぜ……」

「グリステル様」


 メロビクスはディバーラの喉に短剣を押し当てたままその襟元を引き下げ、暗殺者の胸をグリステルへと見せた。月明かりが照らすそこには青黒い教会のシンボルと見慣れない文字の言葉が刺青で刻まれていた。


「この入れ墨は……」

「御心当たりが?」

「古ガラティア語……誓いの言葉だな。……神と教理と教会とにこの身も心も捧げ、我らそれらを護る荊棘いばらの棘とならん」

「教会の刺客……」

「聞いたことがある。『死の棘』と呼ばれる特別な訓練を受けた教皇庁直属の暗殺者。私を狙って戦場に放たれたのか」

「そしてまんまと春光の兵団に潜り込んだ」

「中々どうして。坊っちゃんの新兵かと思っていたが狡猾な密偵だったわけだ」


「殺せ!」


 ディバーラが叫んだ。


 メロビクスがちらりとグリステルを見る。

 よろしいですか、の意味だ。

 グリステルはかぶりを振った。

「離してやれ」

「しかし……」

「いいんだ」

「お言葉ですが、この者の技は本物です。胸の傷は浅い。まだ充分に動けるでしょう。次に戦ったら、再び勝てるかどうか……」

「次は私が相手をする。昼間に来い。前からな」


 グリステルは立ち上がると全ては終わったといった風情で自分の馬の様子を見に行った。


「グリステル様はああ仰っているが、その時は私もまたお前の敵だ。私はお前の背中を刺すことを迷わないからそう思え」


 メロビクスはディバーラだけに聞こえるようにそう囁くと素早く身を引いてグリステルに従った。

 

「メロビクスの馬は?」

「この先に繋いであります」

「メロビクス」

「は」

「ありがとう。助かった。きみがいなければ私は刺客の凶刃に倒れていただろう」

「お役に立てて、これ以上の喜びはありません」

「激しい戦いの後ですまないが、私はなるべく早くグリステルスタッヅに帰りたい。夜一夜走るつもりだが……」


「何故だ!」


 絶叫だった。ディバーラだ。

 グリステルとメロビクスは振り向いた。

 夜道の真ん中に跪くようにして、ディバーラはもう一度叫んだ。


「僕は刺客だ! 僕がしくじれば家族が罰せられる! だからやめない! お前か僕かが死ぬまで、何度でもお前を狙う! お前たちの拠点のことも、教皇庁に報告するぞ! なんで殺さない⁉︎」

「こちらの都合だ。死にたい事情があるなら我々の目につかないところで頼む」

「暗殺者だぞ! お前を! お前の側近を殺そうとした!」

「私は阿保ではない。貴殿に言われずとも、そんなことは分かっている。貴殿を逃すことでこちらの情報が敵に漏れて、不利になるだろうこともな」

「だったら何故……⁉︎」

「貴殿はこの戦争の真実を知った」


 ディバーラはぐっ、と黙った。


「教皇庁に報告するがいい。我々が戦う意味を。黙っておくならそれでもいい。報告すれば消されるかもしれないような情報だ。貴殿の判断に任せるよ。とにかく戦いの中でならともかく、私はもう積極的に貴殿の命を奪うことはない」


 ディバーラは項垂うなだれた。


「誰にも……言えるものか」

「そうだろうな。五年前。初めてザジに出会い、影の民の真の姿を知った時、丁度今の貴殿と同じ気持ちになった。私はそれを、神の試練と受け取った。戦争を。この欺瞞に満ちた残酷な戦争を止めよ、と仰っているのだと。だが誰もが同じ神の言葉を聞くわけではない。それは、それぞれの胸の奥底からもたらされるものだからだ」

「お前に神が、僕を殺すなと言ってると言うのか……?」


 グリステルは、ふふっ、と笑った。


「何がおかしい?」

「すまない。貴殿を笑ったわけではない。私に貴殿を殺すな、と言ってるのは神ではない」

「……どういうことだ」

「ザジだ」


 ディバーラは水を浴びたような心地でグリステルを見た。

 二人のやり取りを黙って聞いていたメロビクスはグリステルの真意をようやく理解した。


「ザジは人が死ぬのを見るのを嫌っていた。そんな彼を、私は彼との約束を盾にして死地に駆り立て、死なせてしまった。貴殿を助けろ、というのはザジの遺言でもある。ザジは私と貴殿とを助ける為に死んだのだ。貴殿を殺しては、ザジの死の半分が無駄になる。私には……それが出来ない。

 天にある霊魂のお告げで貴殿を殺さないのはその通りなんだが、彼は神にしてはその……顔が豚だし、がさつで品がない。だから笑ったんだ。ザジはもう生きられない。戦争を終わらせることも、世界を変えることもできない。だが私や……貴殿は生きている。だから……それができる」

「世界を……変えられる……?」

「かも知れない。難しいが簡単なことだ」

「どっちなんだ」

「自分が変わればいいのさ」


 グリステルは話は終わりだ、とばかりに再びメロビクスに向き直った。


「どこまで話したかな。そう。夜っぴいて帰路を走る。だがそれでは馬が持たないから、バルノウ川に差し掛かったら……」

 

「馬鹿だ。あんたたちは」


 ディバーラはそう言うと、声を上げて泣き始めた。


「戦争を止めるなんて……世界を、変えるなんて……」


 ディバーラは泣き崩れた。


「やり方が分からないなら」


 グリステルはディバーラに近づき、跪いて彼の肩に手を置いた。その隙だらけの様子に、メロビクスは緊張した。


「もう少し私たちを手伝うか? そう決めるなら、ご家族のこともなんとかなるように皆で考えよう。貴殿が本当の意味で我々の仲間になるのなら、貴殿の家族は我々の家族も同然だ」

「王だ」

「なに?」

「戦争は更に泥沼になる。王の死で」

「……なにを言ってる?」

「大規模な会戦に、王が視察に来られるのだ。前線の士気を高めるためと、若い王の威光を昂めるために。だがその情報は魔物の将軍に筒抜けだ。教皇庁は教会を軽んじる若い王を死なせて、近縁の幼い従兄弟を擁立し、傀儡として操るつもりなんだ」

「なんだと……!」

「ヴァハ将軍はその戦いに投入できる魔物の軍勢を全て投入するつもりだ。王国軍は大敗し、王は死に、戦争はあと百年続く。世界は変わらない」

「メロビクス。急いで戻るぞ。馬には悪いが休憩はなしだ。よく教えてくれたニコラス・ディバーラ。戦場はどこだ? 王の視察はいつだ⁉︎」


「視察は五日後。戦場は……ナターラスカヤ平原」






*** 了 ***

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る