春光の将軍
円卓
馬を潰し掛けながらグリステルスタッヅに辿り着いたグリステルは、馬を替えるとそのままメロビクスと共に北のエルフ族の集落リョーサルムヘイムに女王ティターニアを訪ね、教皇庁の密偵であったニコラス・ディバーラがもたらした情報の裏付けを依頼した。
ティタの配下のエルフ族は各地にカンパニョルと呼ばれる諜報員を分散して潜伏させており、独自の連絡網を形成して広い地域の情勢を把握していたからだ。
ティタは影の民の軍勢の動きの確認に丸一日の時間を要求し、グリステルの依頼を請け負った。そして翌日の夜に春光の兵団の主だったリーダーの招集を提言した。
***
「一部間に合わなかった地域の情報もありますが、状況が逼迫していることを踏まえ、今日今までに集まった情報から判断できることを、皆様にお伝えしたいと思います」
夜半。グリステルスタッヅのグリステルの館には、春光の兵団の幹部たちが再び集結し円卓を囲んでいた。
兵団の補給の要、物資取引の表看板であるアンメアリ商会の実質の社主にして兵団の金庫番でもあるウルリチ・モイテング。
最古参のグリステルの部下であり、王国の百人隊長タリエ=シン。
ドワーフ十二氏族の評議員の一人。戦士にして武器職人。今ではその工房を束ねる大親方でもあるデック・アールブ。
影の民、
そして春光の兵団の団長グリステル・スコホテントトと、その護衛、エルフの隠密戦士メロビクスである。
「我々北のエルフ族は、便宜上大陸を五つの区域に分けています。百年戦争の舞台となっているのはその五つの区域の中でも北側半分の三つ。ウィプロセン、テンベルクブル、デーバン。我々が各地に置いている
ティタはテーブルに羊皮紙の地図を広げた。
「数は?」
そう尋ねたのは牛頭の戦士ボビナエだった。
ティタは傍らに置いてあった銀貨を摘み上げた。
「この銀貨一枚を千の兵隊だと思ってください」
三つに区切られた地図の、向かって一番左の区画に四つ、真ん中の区画に二つ、右の区画に二つの銀貨を置いた。
「ここが、三日後に王が視察に訪れるというナターラスカヤ。ここを目指して、少なくとも八千の軍勢が集結しつつあります」
「質問を宜しいですか?」
控え目に手を上げたのはウルリチだった。
「どうぞ」
「素人質問で申し訳ないのですが、移動する軍勢の数をどうやって数えるのです? まさか指差しで一人一人は数えられないでしょう」
「……これはエルフに伝わる秘技の一つなので、他言無用にお願いしたいのですが」
ティタは小さく溜息を吐いた。
「一つは焚き火の数です」
「焚き火の数?」
「軍隊は通常、管理や補給の都合から一定人数の班を編成することが多く、焚き火もその班ごとに焚きます。焚き火の数に班編成の人数を掛けることで、比較的正確に軍隊の規模を把握できます」
「なるほど」
「しかしそのやり方では、例えば実際の班の数よりも多く焚き火を焚いたりすることで、情報を攪乱することができる。そこでエルフの
「コウグンギ?」
「四角い箱型の覗き筒です。行軍している軍隊を一定の場所から覗いて、その四角い窓に入った人数をまず数える。その後、行軍する軍隊の最後尾までが覗き穴何個分かを数えて、掛け算するのです」
「……麦を升で測るようなものですね」
「はい。この二つのやり方で計測して、値が近ければ、その数値は非常に信憑性が高いといえます。二つの値が大きくずれた場合は、翌日、別のエルフが同じやり方で計測し、値を比べる」
「納得しました。先を続けてください」
「元々、ナターラスカヤには二千ばかりの影の民が王国と睨み合っていました」
ティタは地図の中央に更に銀貨を二枚置いた。そしてその隣に、今度は銅貨を四枚置いた。
「対する王国は四千の兵でもってそれに当たるつもりでした」
「一頭の狐を狩るなら狩人は二人、か。王国の将軍も馬鹿ではないようだの」
そう感想を漏らしたのは魔窟のドワーフの長であるデック・アールブだ。
「ですが実際には増援があと八千。合わせて一万の軍勢が相手です」
ティタは両手を使い、地図の上に置かれた銀貨を全てナターラスカヤの部分に集めた。そして、更に四枚の銅貨の内の二枚を取り除いた。
「そしてタリエ=シン様からの情報では、王国軍四千の内のおよそ半分が教会派。戦いが始まったら、戦力として当てにはできません。つまり──」
ティタの言い淀んだ先を、グリステルが継いだ。
「──このまま戦端が開かれれば、王国は二千対一万で影の民と戦うことになる」
「王国も増援を呼び寄せたらいい。各地に防人として散っている軍勢を集めれば、同じくらいは集まるのだろう」
「伝令が末端の部隊に届くまで二日。軍勢が集結するのに丸二日。間に合いませんね。余程無理をするか、通常の伝令よりも早い伝令の方法が有れば話は別ですが」
ボビナエの提案をティタはやんわりと否定した。
「そもそも我々は王国の軍勢を自由に動かせる立場にはない。彼らは敵が大規模に集結していることを知らん。我々のような得体の知れないものが呼び寄せたとしても持ち場を離れることはないだろう」
ティタの話を、グリステルが捕捉する。
「それに影の民の狙いは、ナターラスカヤ会戦の勝利ではない。視察に訪れる王の殺害だ。このまま静観すれば王国軍は大敗し、王は崩御されるだろう。国は乱れ、戦線は後退し、戦争はもう百年続くことになる」
「王に視察の延期を進言してはどうでしょうか? タリエ様が独自の情報源から得たとして影の民の集結を伝えれば……」
「……無理でしょうね」
ティタの提案に対しタリエ=シンは残念そうに言った。
「若い頃には自ら剣を取って戦場を駆けていた先王と違い、昨年即位した現王は実績のない若い王です。今回の視察はその新王に戦場の経験を積ませ、臣下たる騎士たちに王の威信を保つための大事な閲兵。百人隊長の進言くらいでは中止や延期にはできないでしょう」
「我々も先の戦いで多くの仲間を失い、動ける兵はせいぜい五十。しかも敵はあのヴァハ将軍に率いられていると思って間違いない」
グリステルはそう言って目を伏せた。
「万策尽きたかの。どうする? ドワーフになると言うのなら、魔窟に部屋を割り当てるぞ」
「まずはティターニア・リョーサルムヘイム殿。デック・アールブ殿。そしてボビナエ・ボナーニ殿のお三方に頼みたい」
グリステルは立ち上がった。
「この戦いに、勝者はない。影の民が勝っても、それは即ち戦争の無限の長期化を意味するからだ。騎士団は、王国は王の仇を許さない。徹底的に戦うだろう。教会の立てる傀儡の王は、決して戦争を終わらせるような具体的な方策を打ち出すことはあるまい。
だが逆に、もしも。もしもだ。
圧倒的に不利なこの戦いに我々が勝てば、そして敵の首魁であるヴァハ将軍を討ち取ることができれば、それは我々の悲願である影の民と王国との講和の絶好の機会となる」
グリステルは頭を下げた。
「どうか、あなた方の一族のお力を借して頂きたい。一人でも多く。我々と共に戦う、勇敢な戦士をお貸し頂きたいのだ」
「顔を上げてください、グリステル・スコホテントト」
そう言ったのはティタだった。
「あなたはエルフの未来を救ってくれた。我々エルフは全て、あなたの友です」
「魔窟に巣食う邪竜はドワーフの国を滅ぼし、過去の尊い歴史を喰った怨敵だった」
デック・アールブが髭を撫でながら言った。
「嬢ちゃんはそれを倒し、金鉱もろとも一切を我々に返してくれた。それに釣り合う代金は、支払わなければなるまいて」
「ヒュームは好かんが、俺たちはお前が好きだ。グリステル・スコホテントト」
ボビナエ・ボビーニは率直だった。
「お前にこの命を預けよう。春光の将軍」
グリステルは涙ぐんで俯いた。
そして顔を上げると三人の族長の顔を一人ずつ見つめた。
「ありがとう。だが将軍はよしてくれ」
「いいではないか。勝っても負けても、嬢ちゃんが戦うのはこれで最後になるのだろう。我々もどうせ命を賭けるなら、将軍の下で戦う方が斧の刃が冴えるわい」
「そうですね。仮にも女王である私の友なのですから。将軍くらいの器でないと困ります」
「無論です。例えば春光卿が国を興し、王を名乗っても私も今ここにいない大剣の大男も付いてゆくでしょう。将軍を名乗ることすら遅すぎたくらいです」
「俺は、俺の一族は今からお前を将軍以外の呼び方では呼ばんぞ」
皆が口々に勝手なことを言い、場に和やかな空気が満ちた。
だが、ウルリチだけは複雑な思いを胸に抱いて黙り込んだ。
「グリステル様」
「どうした、ウルリチ」
「作戦は、あるんですよね。次の戦い、多少兵隊が増えた所で圧倒的不利が覆るようなものではありませんよ」
「……ある」
グリステルは涙を拭って、自身たっぷりにそう言い切った。
「ヴァハ将軍と直接相見え、その正体を知った今、私はヤツの信条というか、考え方が分かるようになって来た」
「ヴァハ将軍の裏を掻ける、と?」
「かなりの歩合でな」
「その策は安全ですか?」
「一か八かだな」
「勝算は?」
「神のみぞ知る、かな」
「あなた自身は……生き延びることができる策ですよね?」
「…………」
「私の目を見て答えてください。グリステル・スコホテントト様」
グリステルはウルリチの目を正面から見据えた。
そしてその視線を皆へと向けた。
「今回、我々に不利な要素も多いが、有利な点もある。一つは、敵の動向を我々が知っている、それに備えているということを敵が知らないこと。もう一つは、敵の作戦の第一目標が一つに絞れていること」
「王ですね」
「そうだ。第十七次ナターラスカヤ衝突戦は、それ自体、実は大規模な陽動なのだ」
「なるほど。そう言われてみればそうだの」
「そう考えると、実はナターラスカ衝突戦自体に勝つ必要はない。王を護り、お助けし、無事に撤退して頂くことができればそれが勝利に等しい」
「それはそうですが……王国軍が総崩れしては、結局それも難しいのでは?」
「そこでだ。タリエ=シン。頼みがある」
「なんなりと」
***
「なるほどのぉ。考えたものだ」
「現時点で、我々にできる唯一の策ですね」
「羽帽子の百人隊長、準備は間に合うのか?」
「任せてください。王の命だけではない。王国の命運、多くの民の命が掛かっているのです。間に合わせて見せますよ」
「私もお手伝いします」
「頼みます、ウルリチ殿。この作戦は金が掛かる」
「お任せを」
グリステルから策の概要が伝えられると、三族の長と百人隊長、商人たちは具体的な手順の相談に入った。
グリステルはそれを眺めながら、自分の胸を不思議な感動が満たすのを感じた。
(ザジ……見てくれ。私たちが作った春光の兵団を……できたらこの場にきみと立って、戦いを、その勝利を、分かち合いたかった……)
「あ、それからもう一つ質問ですグリステル様」
「なんだ。ウルリチ」
「ディバーラ卿をどうなさるおつもりですか?」
その場にいた全員が黙った。
教会の刺客だったディバーラは縛られてメロビクスの馬で連れ帰られ、今は牢に押し込められている。改心した様子だったが、彼の家族はグリステルが息災であり続ければ命の危険に晒されるのだ。
「それについても──」
グリステルは会議が始まって初めて少し笑みを浮かべた。
「──考えがある」
ウルリチはそう告げるグリステルの美しい横顔を間近に見詰めながら、彼女が彼の質問に最後まで答えていない不安に哀しい表情を作った。
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