土煙
ヒルメッタ・クニップローデ元帥は石造りの物見塔から早朝のナターラスカヤの平原を見下ろしていた。
天気は快晴。風は強い。平原に時折土煙が揺らめき立つ。
初老と言ってよい年齢の顔には相応の皺が幾重にも刻まれ、蓄えた立派な髭が折からの西風に揺れる。
自軍は四千。
定規で切ったように正確に配置された同じ作りの白い天幕。
大聖堂のタイルのように一糸乱れぬ隊列で閲兵を待つ煌びやかな鎧の騎士たち。
「元帥」
副官のフックダーデンの声にクニップローデは振り向いた。
「お着きになったか」
「滞りなく」
「フックダーデン。あの小屋はなんだ?」
クニップローデの示す先には確かに大き目の厩舎ほどの新しい小屋があった。
「荒天だった折の、王家の方々の休憩小屋とか。兵站班から報告が来ています。書面は王家の花押のある正式なものです」
「ふむ。この天気なら必要なかろうがな」
「雨が降り出してからでは準備も間に合いませんしね」
「まあそれもそうか。お迎えに上がろう。馬車は?」
「予定通り街道口からこちらへ向かっております」
「敵の様子は?」
「は。今のところは別段変わりなく」
今日も暑くなりそうだった。
風が強い。
平原の向こう、闇の魔物どもが陣を張る森林地帯からも土煙が上がっていた。
空気が乾燥しているのか、土煙は王都の方角、街道側からも広い範囲で霧のように立ち昇っていた。
風が強く、少し埃っぽい以外は絶好の閲兵日和と言えた。
「急報! 急報! 急報にございます‼︎」
「何事だ」
息関切って駆けて来た伝令にフックダーデンが返事をする。
「敵襲です!」
「敵襲⁉︎」
クニップローデとフックダーデンは同時にナターラスカヤ平原を振り返った。
そこには変わらず、早朝の風に丈の短い細葉を揺らす初夏の草原が横たわるばかりだった。
フックダーデンが質す。
「何も起きていないではないか」
「そ、それが。敵はナターラスカヤではなく……!」
伝令は呼吸を詰まらせた。酷く狼狽している。
「どこだ。ハッチナ砦か? ドゥコゾン砦か?」
「街道……」
「なに?」
「敵の出現場所はディンケルベルス街道! 数はおよそ二千!」
「にっ、……間違いないのか!」
「間違いありません!」
伝令の声は殆ど悲鳴だった。
「陛下の馬車は⁉︎」
クニップローデは問うた。
「陛下の馬車は今どこだ⁉︎」
「急報! 急報!」
「それはもう聞いた!」
飛び込んで来たもう一人の伝令はフックダーデンに叱責され思わず言葉を飲み込んだ。
だが、その表情は急報が只事でないということを一同に伝えた。
大粒の汗を青ざめた顔に張り付けた伝令は唇をわなわなと震わせながらナターラスカヤの方向を振り返る。
一同の視線も自然とそれを追いかけた。
平原の先、森を覆うようにして一面に濃い土煙が立ち昇っている。
土煙が、森から列になって平原に出た。
それは、数千の魔族の軍勢だった。
土煙は、その行進の軍靴と馬蹄の響きと共に真っ直ぐ王国の陣に向けて進んでいた。
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