旧知
エレンシュタトから見ると、正面に妖魔の騎馬軍団百、右手の岩山に新手の五十、朝日は岩山の頂上にあり、それを背負って隊長らしき一騎がこちらを見下ろしているようだった。
構うものか。
彼は身体の前で剣を垂直に立て、儀礼に則った戦前の礼をした。目を閉じ、一呼吸して、雄叫びを上げようとした正にその瞬間、
ウオオオオオオオオッッ!!!
右手の岩山の一団が、戦場に隈なく響き渡るような雄叫びを上げた。
やろうとした事を一瞬先にやられて、エレンシュタトは驚いてそちらを見た。
輝く朝日を背景に、五十の騎馬は
すると不思議なことが起きた。
前方から突進して来ていた敵の馬脚が乱れ、幾つか別々の笛が響いて部隊が方向を変えて陣形を組み直し始めたのだ。
岩山から駆け降りる、白い鎧の部隊に対して。
輝く朝日の中、一糸乱れぬ統率で槍を構えて突進する白き鋼鉄の軍団の矛先は全て真っ直ぐにエレンシュタトの敵たる妖魔の軍勢に向いていた。
そう。岩山の新手は、少なくとも妖魔の味方ではなかったのだ。
妖魔たちはエレンシュタト隊の残党に最早脅威なしと判断し、新しく出現した白の兵団への対応を最優先としたらしく陣形全体を岩山側に向け直そうと動いていた。白の兵団と妖魔の隊の距離から見て、妖魔の試みは間に合うものと思われた。
その時、今度は左手の森に異変が起こった。
森の木々がザザザッとざわめいたかと思うと、煙の尾を引く何かが妖魔の軍勢に向けて飛んだ。
それは空中で次々と爆発し、火花と細かな破片の雨を妖魔たちの頭上にばら撒いた。馬たちが恐慌をきたし、嘶いて暴れる中、更に森から無数の弓矢が放たれた。
それは雨のように妖魔たち全体に降り注ぎ、陣形の後ろからの射撃だったこともあって多くの妖魔を射倒し、また傷付けた。陣形を成す幾つかの妖魔部隊は森に向けて攻撃を掛けようと馬首を巡らせた。だが軍勢を統べる隊長はそれを制して岩山からの部隊に戦力を集中させようと号令をしているようだった。妖魔の部隊は混乱に陥った。矢の雨が止む。そこに白い鎧の五十騎が突っ込んで行く。その先頭の二列がランスを持っていて、彼らの初撃は馬速を乗せた強烈なランスチャージだった。
その威力は凄まじく、鏃の陣形はその形を保ったまま、妖魔の軍勢の三分の二ほどまでを蹂躙した。妖魔たちの混乱に拍車が掛かる。金の羽根の飾りの付いた白い兜の隊長らしき一騎が何か号令を掛けると、彼らはランスを捨て、小さな集団に別れ三騎一隊で妖魔一騎に対し、それを次々と討ち取り始めた。正々堂々としているとは言えないがこのタイミングでこの戦法は効果が高いようで、妖魔たちは目に見えてその戦力を減らして行った。
隊長の何人かが討ち取られた妖魔たちは統率を失い、バラバラに退き始めた。
その逃げる先に、今度は煙と火花を引く弓が次々と撃ち込まれ、それらが一斉に濃い煙を吹き出し始めた。その煙を突っ切って逃げようとした妖魔たちもいたが、短い悲鳴が幾つか聞こえて、それっきり煙から出てくる者はいなかった。
エレンシュタトの方にも二騎の妖魔の騎馬が駆けて来た。
虫の息であるエレンシュタトたちの側を抜けた方が生き残れると考えた者たちである。
彼らは同じ牛頭の一族らしく、巨馬に跨る巨漢たちだった。武器はエレンシュタトのロングソードの倍はありそうなグレートソード。盾は持っていない。
エレンシュタトは我に返って剣を握り直し、家紋の入った
彼の剣の師であるクニップローデ師は、自身も百年戦争の最前線で戦い続けた叩き上げの戦士で、その教練において騎士たちは徒歩でも騎馬でも必ず多対一の状況で戦ったり、身を守ったりする術を学ぶ。エレンシュタト自身、乱戦の中でその経験を活かし戦ったことは何度もあったが、こんなにはっきりと二対一になるのは初めてだった。
まずは一騎を倒す。
その間にもう一騎に斬られるかも知れない。だが、だからと言って守りに入れば、勝機はない。迷わず一騎目に対することが活路なのだ。エレンシュタトは震える太ももを盾を持った左手で打った。
その時だ。
「隊長! エレンシュタト隊長!」
エレンシュタトを呼ぶ声があった。
「ニコラス! ディバーラ卿! 無事であったか!」
ここまでの攻撃を上手く凌いだようで、殆ど無傷のディバーラが、兜の面体を上げたまま彼の愛馬でこちらに駆けて来る。
「左の牛頭を頼む! 右は私が!」
「承知!」
ディバーラ卿は短く答えると面体を下げ馬に拍車を掛けて加速した。エレンシュタトも呼吸を合わせて馬を駆り、牛頭二騎とヒュームの騎士二騎が互いを目指して駆ける展開になった。
疾走する四騎の距離はあっという間にゼロになり、
がきん、ぐしゃ、
交差する瞬間に斬撃と打撃の音が高く鳴った。
エレンシュタトの剣は相手の大剣の軌跡を受けて逸らしながら相手の頭を砕いたが、兜のなかったエレンシュタトは耳を半ば削がれ、すれ違い様に剣を取り落として失った。
ディバーラは相手の斬撃を盾で受けたが、余りに正面からまともに受けたために、衝撃を逃がしきれず馬から浮いて宙に残され、次の瞬間落馬していた。
「ニコラス!」
エレンシュタトはディバーラを気に掛けたが、彼自身それどころではなかった。
左手には盾があるが、右手は徒手である。
ディバーラを落馬させた牛頭は手綱を思い切り引いて馬首を返し、大剣を手にエレンシュタト目指して突進してくる。
こうなれば、取る手段は一つしかない。
盾を押し立てて捨て身の体当たりをし、共に落馬を狙うのだ。
幸い腰のベルトには普段使いのナイフが下がっている。落馬して揉み合いになり、相手が大剣の間合いを取るより早く致命点や手足の腱をナイフで捉えられれば、まだ勝ち目があるかもしれない。
上手く行く確率は、投げた糸が針に通るような低さだが。
(だが、やらなければ確実な死だ)
エレンシュタトは覚悟を決めた。
盾を握り直し、馬を牛頭の駆る騎馬に向ける。
拍車を掛け、今度こそ雄叫びを上げた。
次の瞬間、さっ、と彼の視界の左側から踊り込む黒い影があった。
馬の嗎。朝日に輝く白い鎧。閃く剣と陶器を弾いたような澄んだ音。
きぃーん
何かが回転しながら宙を舞って遠ざかる。
折れた大剣だ。
牛頭がゴフッ、と血を吐いて馬から倒れて落ちる。
真っ黒な馬に跨った白い騎士は、廻り込むようにして自分の倒した牛頭が倒伏するのを確かめながら、馬速を落とす。
助かった。いや、助けられた……のか。
呆気に取られながらレンシュタトも馬速を緩め、助けて貰った礼を言おうと白い騎士に近づいた。
「む。貴公は」
会話ができる距離まで来ると、意外にも金の羽飾りの付いた兜のその白い騎士の方からエレンシュタトに話し掛けて来た。
「エレンシュタト卿。エレレナン・エレンシュタト伯爵が御嫡男、エルンスト・エレンシュタト卿か?」
「な……何故私の名を……? そなたは、いや、そなた達は何者か?」
「私をお忘れか?」
白騎士は兜の面体を上げた。
エレンシュタトは絶句した。
言葉を失うエレンシュタトの目の前で、四年前、彼の率いる隊の深追いのせいで罠に落ち、爆発に巻き込まれて死んだはずの旧知の仲間が、春光の騎士と呼ばれた戦う聖女が、ニッと歯を見せて笑った。
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