異常

 抜剣し、愛馬に鐙を打って暗闇の戦場を駆けるエレンシュタトは命を捨てる覚悟だった。


 空は薄っすらと青みを帯びていて、彼は時分が夜明け前であることを知った。程なく東の岩山から朝日が覗き辺りは明るくなるだろう。


 百有余の影がエレンシュタトと共に横一線に戦場を駆ける。単純に一人が二騎を倒せば勝てる計算だ。死ぬにしても五人を道連れだ、とエレンシュタトは決意した。


 敵もこちらに向かい突撃を掛けたようだった。


 二百の松明が地響きを立ててこちらに突進してくる。その有様は敵ながら壮観な風景で、エレンシュタトが自分の最期になるかも知れない戦場が情け無い小競り合いなどでないことに満足した。


 だが敵の戦列が接近するにつれて、エレンシュタトは違和感を覚えた。


 騎馬の影……いや、松明の位置が低い。

 馬の上に伏せているのか?

 それに松明の振る舞いも妙だ。二つの火が対となり、まったく同じ動きをしながらぐんぐんこちらに近づいてくる。

 聞こえてくる馬のいななきも、どこかトーンがおかしい。


 いや、これは……騎馬ではない。それどころか、馬ですら……?


 モォォーォォォォッ!


「牛、だと……⁉︎」


 それは牛だった。

 角に火の付いた松明を括り付けられた百頭近い牛の群れだ。

 エレンシュタトは自分たちが敵の策略に落ちたことを知った。


「いかん! 撤退だ! 引き返せ! 撤退! 撤退!」


 エレンシュタトは即座に退避の命令を出したが、時すでに遅かった。

 彼の百人隊は興奮し猛進する牛の群れに真っ向から激突した。

 中には上手く手綱を捌き牛を躱した者もいたが、半数以上が牛と衝突したり、縺れたり、混乱して立ち上がった馬に振り落とされたりして落馬した。自分の馬や暴れまわる牛に蹴られたり踏まれたりした者はほぼ即座に戦闘不能となった。


 平原の中央で、エレンシュタト隊は松明付きの角を振り立てる半狂乱の牛たちと揉み合うようになりながら停滞せざるを得なかった。


「矢が来るぞ! 躱せ!!!」


 エレンシュタトは声を限りに警告を発したが、これも時すでに遅かった。

 敵は戦場の真ん中で牛の群れと混ざって混乱するエレンシュタト隊に対し、猛然と矢を射かけて来た。

 幸運にもエレンシュタトをその射線に捉えた矢は二本だけで、集中力が冴えていた彼はその二本ともを躱し、剣で払って無力化することができたが、その矢の雨でエレンシュタト隊の戦闘可能な兵は更に半分に減った。


 そして敵の陣地から甲高い笛が鳴るのが聞こえた。


 無傷の敵百騎への号令だ。

 白んで薄明るくなって来た空の下、見回せば味方は二十騎生きているかいないかで、矢に当たった牛が死んだり逃げたりしたためにようやく混乱から脱しつつあった。

 だが、混乱を脱した先にあったのは絶望だった。


 甲高い笛がもう一つ鳴った。

 敵の百騎は隊列を組み、見事な陣形で突撃を開始した。

 自陣の防護壁を振り返るがとてもそこまで帰り着ける距離ではない。帰り着けたとしても二十人の兵で陣を維持することは不可能だ。


 朝日が昇り始めた。

 タイミングが完璧だ。

 敵の将軍か、軍師か、この計略を巡らせたものは全て計算の上だったに違いない。


 日が昇る岩山を仰ぎ見れば、なんとそこにも五十ほどの別働の騎兵の影が輝く陽光を背景に姿を現していた。


 百五十対二十。


 念の入ったことだ。


 エレンシュタトは思った。


 だがことここに至った以上、只では死なん。エルンスト・エレンシュタトは今日ここで死ぬが、卑劣な妖魔どもに死をも恐れぬ気高き騎士の有り様を示し、悪夢と焼き付けてくれん!


 結果から言えば、彼は二つ間違っていた。


 彼は、この戦いでは死ななかった。

 そして岩山に現れた新手の五十は、妖魔の軍勢の別働隊ではなかった。

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